2002年のエッセイ

始めてのエクセル 2002年 2月23日
雪の大谷! 2002年 4月29日
能登で海水浴 2002年 8月 4日
紅葉の京都 2002年11月23日
フルート 2002年12月24日


始めてのエクセル 2002年 2月23日

 1997年に視覚障害者協会支部会の会計をすることになりました。やることは、お金の出し入れの管理と、帳簿の記載です。それほど大きなお金を預かっていません。とはいえ、お金の出し入れに1円の間違いがあってもいけませんし、帳簿にも1円たりともずれがあってはいけません。なので、気を遣うことに違いはありません。
そして年度の終わりに、きちんと決算書を仕上げることで、今年一年おつかれさまでした!になりますね。

 この決算書ですが、2000年まではMS-DOS 上で動く、簡単な自作決算プログラムでやっていました。それを2001年にはWindows上のエクセルでやることにしたのです。とはいっても、関数を使うことはせず、MS-DOSで作った決算書を単にエクセルに載せて、見た目の体裁を良くしていただけでした。それを今年始めて、1からエクセルでやることにしたのです。つまり関数を使ったのです。

 やってみての感想は、“プログラムの方法を関数に置き換えるだけ”です。しかも、むしろプログラムでやるより簡単というか、簡易プログラムより、もっと易しいので、アレンジ次第では、そこそこ面白いものを作ることができるかも?です。
 ただ、見た目に関して問題ありです。エクセルのセルに入れた文字や数字、これ全部表示されているのかとおもっていたら、意外に少ない文字しか出ていないのですね。スクリーンリーダは、セルに入っている文字や数字、あるだけ全部読んでくれるので、どこまでが表示されていて、どこから後が表示されていないのか?が全く分からないのです。それが分からずにプリントアウトして出しましたが、ダメで戻ってきたこと何度もありました。初めは何がダメなのかがさっぱり分かりませんでした。

 そのことが分かったのは、セルの文字が欠けているという一言でした。それで、エクセルで作った表をプリントアウトし、それをスキャナーで読み込み、OCRしてみたのです。
「なんてことでしょう?こんなに文字が入っていないなんて!」
でした。

 以来、とてもめんどくさいのですが、エクセルのセルに入る文字数をいちいち数えては、多くならないようにし、更に印刷してOCRして確かめるという手間をかけるようにしています。

 この先エクセルを使い続けるか?でも、世の中はもうMS-DOSじゃなくなっているし。どうしたものだろう……。


雪の大谷! 2002年 4月29日

 昨日の視覚障害者協会の行事が、連休最初で最後の予定だったはずなんだけど、昨夜、天気予報を見てて…

妻:「明日もいい天気なんだって」
わたし:「そうみたいだね」
妻:「どこかに行きたいね」
わたし:「いいね〜」
子供たち:「行こう行こう」

 妻に起こされる。眠い……、時間は、朝6時を少し回ったところ。昨夜は、友人のホームページを作ってて、つい夜更かし。寝たのは4時近かったから、2時間しか寝ていないことになる……、がしかしぃ、起きねばならない。

 いつものように、焼きたてパンに、引き立てコーヒーと、サクサクサラダ。家族4人が嘱託を囲んでモグモグ、パクパク。そしてごちそうさまで、準備に取りかかります。

「みんな乗ったか?よぉーし、さあ行くぞ〜」

 7時50分。クルマは、目的の場所に到着。速めに着いたつもり。でも、もよりの駐車場は満車です。警備の人らしきおじさんの誘導に従って、妻はクルマを走らせます。そして、すっかり離れた駐車場へと……。
クルマを降りたわたしたちは、ケーブルカー乗り場に急ぎます。駅に着いてみると、もう入口の手前から人、人、人。その人たちの隙間を縫うように構内に入ってみると、さらにたくさんの人たちが所狭しと立ち並んでいます。もちろん、全員目的地は、同じアルペンルートに違いありません。それでも行かねばなりません、切符売り場へ。
ようやくたどり着いた窓口に向かって、「障害者と介助者、子供一人と大人一人です」と、障害者手帳を提示しながら妻。
「8時40分発です」と、駅員。
そうなんです。立山駅から美女平までのケーブルカーの切符。8時発はもちろんのこと、8時20分発も完売してたんです。

 満員になった8時40分発のケーブルカーは、美女平駅に向かって動き出しました。7分かけて車両はぐんぐん斜面を登っていきます。そして到着。ドアが開きます。降りてみれば、立山駅より、また少しひんやりとした風邪が…、とゆっくり味わっている間もなく人の波に流されるままに、駅構内を抜けて、立山高原バスへと流れていきます。

   美女平駅を流れのまま出て行くと、そこには立山高原バス。そして座席に座れば、ドアが締まり、発車。まもなく観光案内放送が流れてきました。

「このあたりの森には立山杉が…ザワザワザワ」
「バス正面に見えますのは称名滝… ウワー」
「左側には… おお!」
「まもなくユキの大谷に… ウオーわあー」

 聞こえないんです。車内放送のボリウムが小さいこともありましたが、それよりは、乗客たちが、車窓から見える光景に、遠慮なしの歓声を上げるものですから、かき消されてしまって……。
妻と離れて座ることになったわたしにとって、外の景色を知る唯一の手がかりは、車内アナウンスです。それが聞こえないとなると、……。
 結局そのまま50分が過ぎて、終点の室堂ターミナルに着いたのでした。

 降りてみると、バスに乗ったときとは、全く別次元の寒さです。そして、ターミナル駅構内から外に出てみると、いきなり足下は雪です。そりゃやっぱ、ですよね。なんてったって、ここは標高2500メートルなんですから。
わたしたちは、いったんターミナル構内に入り、今度は地下1階の、たった今バスが入って来た道に出ました。そのまま行けば、あの「雪の大谷」に行けるというのだから、行かないわけにはいかないでしょう…。

「雪の大谷は左側です。雪の大谷ウォークは明日、30日までです。こちらへどうぞ」
の、声に誘われて、たった今、バスで登って来た舗装道路をぞろぞろと下っていきます。
この日、わたしのいでたちは、首までガッチリ固めた防寒ジャンバーに、防寒ウィンドブレーカーズボン、そしてスノーブーツです。妻も子供たちも似たりよったりの服装で決めてきています。周りを見渡せば、およそ同じような真冬のスタイルをした人たちばかりです。そりゃそうですよ。ホームページで調べたんだから、真冬の服装、雪の上を歩くことを前提にしてくださいってね。
でも、そんな中に…、いるんですね、スーツにハイヒールのお姉さんが。お笑いの中だけの冗談話かと思っていましたけども。

 そのまま道路を降りてくること数百メートル。そこには高さ16メートルの雪の壁がありました。雪の大谷です。
いつか来てみたかったんですよ。雪の絶壁の下に。高さ10メートルを越える雪の谷底にね。
気温3度。空は青空、太陽サンサン、雪の照り返しキラキラ、風邪ヒヤヒヤ。あちらこちらでカメラのシャッター音がします。わたしたちもカメラ片手に雪の壁に寄ったり離れたり。行ったり来たり。雪の壁に触ったり…。

 今年の大谷の深さは最大の所で16メートルだそうです。何年前だったか、20メートルにも達していたこともあったと思うのです。いつか、もし機会があったら、また来てみたいなと…、その時は是非20メートルを越える超ド級の時にと、思いながら、通り抜けてきたのでした。

 雪の大谷を抜けると、バスの通る舗装道路から外れて、雪上へと人が流れていきます。立山高原は一面の雪景色です。その雪面を時折、スキーヤーやスノボーダーがシュプールを描いて降りていっています。いいですね、うらやましいですね、わたしもいつの日かやってみたいものだなと…。
雪上遊歩道を歩いていくうちに、ぐるり見渡せば、こちらにはツルギの山が、どんとそびえ立っています。多くの人が撮影、また撮影。
立山にもカメラを向けている人もいるし、大日岳もしっかり被写体になっているようです。
クワサキ山も……

 立山のおいしい空気を胸一杯吸い込んで、光を浴びて、時間いっぱい妻と子供たちと楽しい時間を過ごしました。

 写真といえば、落差日本一の称名滝がちょうどよく見える"滝見台"でバスが少しだけ撮影のために停車してくれるんですよ。妻もささっとベストショット撮ってくれていました。
ちなみにこの時、わたし、バスにゆられて夢の中です。


能登で海水浴 2002年 8月 4日

 8月の最初の休日は、家族で夏を満喫したい!
もともとアウトドア派のわたしです。これまで、子供たちを連れて、何回キャンプをしてきただろう?海辺でテントを張ったこともあるし、山でキャンプもあります。今年もぜひ行きたい!その思いは同じですが、ここ数年、テントを張らずに、バンガローやケビンを借りるパターンが増えています。それは、やっぱり準備が楽ということもあるし、少し快適に寝たい……、こっちの方が強いかな。わたしも妻も、職場での立場が若い頃より重くなって?仕事量も増えて、持ち帰りの仕事とか、休日に職場に行くこともあったりして、休みの日は、休みに使いたいというニーズも出てきていたりします。でも、オフの日は、やっぱり遊びたいしね。
ということで、今回は、ケビンを予約して出かけました。

 この日、いつものように出勤し、会議とか、行事などを終えて、一通り仕事をして、お昼前に職場を出ました。迎えの車には、妻と子供たちです。ささっと乗り込んだわたし、夏のレジャーに出かけるには、ちょっと場違いな、いつもの通勤スタイル。こればかりは、しかたありません。途中のコンビニでお昼の食べ物を買ったわたしたち、車中でささっと食べて、すぐにクルマを発進させます。
今回の行き先は、石川県の能登半島。予約したケビンは、能登島です。

 妻がハンドルを握り、子供たちがロードマップを開いています。交差点が近づくと、妻が、「ここは?」と、たずねます。
息子たちが、地図を見て、「まっすぐだよ」とか、わたしが記憶を探って、「たぶん右かな?でも道が新しくなってたら分からない」、息子が交差点の方面看板を見つけて、「そこは左」と、声を掛けたり、わいのわいのの大騒ぎです。そういえば友人はクルマを買い換えて、カーナビを入れたと聞いています。まじ、カーナビあると便利だろうなと思います。でも、その友人は、カーナビの案内どおりに行ったら、とんでもなく狭い農道に入り込んでえらいめにあったとも言っていたし、どうしたものだろうと……。
「次にクルマ買うときは、カーナビ入れたいね」

 とにかく5時までに、能登島に着けばいいんだから、少し回り道してもいいよねと、さらに奥能登に向かってクルマを走らせ、着いたのは、九十九湾。駐車場にクルマをとめて、水gに着替えて海へと向かいます。
海の透明度がいいことと、割と遠浅なので、安心して遊ぶことができます。ほどよく遊んだわたしたち、そろそろ引き上げようと、着替えてクルマに戻ったのは、4時半。30分もあれば大丈夫でしょ。
ところが、まさかの渋滞。5時を過ぎても思ったほど進むことができません。時間はとうとう5時半。こりゃだめかもしれないと、ケビンの管理事務所に電話を掛けます。

「すいません。道が混んでいて遅れています」
「今どちらですか?6時までにお願いします」
「はい、すいません」

 時計は、6時になりました。なのに未だ見通しなし。もう一度ケータイで、「申し訳ありません。もう少しかかりそうです」
そこからの15分の長かったこと。管理人さん、機嫌悪そうだし、後から聞いたところでは、管理人さんは、5時までだったのだとか……。あちゃーっです。とにかくケビンの鍵をもらって、逃げるようにその場を離れたのでした。

 ケビンに入って、あっという間に作った料理。妻の手早さには、感服です。なんで!?彼女のすごさにいつも驚かされます。しかもおいしいのです。

 まだ明るさの残る道を歩いて海辺に向かいます。そこここから、なんとなくもの悲しいカナカナカナカナ。ヒグラシの声が聞こえてきます。どこからか、花火を打ち上げる音、笑い声、音楽も聞こえてきます。みんな楽しそうです。そして海辺に着いてみれば、あちらこちらに先客?濃い美路?家族?が、ちらほら。わたしたち家族も、波打ち際でしばしの旅情を過ごした後、暗くなりつつある道を戻っていったのでした。

 翌朝、朝食を食べていると、あちらこちらのケビンでも、片付け、クルマに乗り込む気配が聞こえてきます。わたしたちも、手早く出発の準備を始めます。これがテント泊だと、そうはいきません。それもケビンの良いところでしょう。忘れ物チェック。そして、管理事務所に鍵を返せば、クルマに乗り込み、「さあ行こう!」です。目指すは、能登島の反対側、海水浴場です。
キャンプサイトを出たわたしたち、島を時計回りに北上し、ぐるりと回って南下、海水浴場に到着です。午前10時を過ぎて、もうかなりの人で賑わっています。さっそく着替えたわたしたち家族、浜辺にベースキャンプ地を決めて、シートを拡げれば、子供たちが、真っ先に欠けだしていきます。わたしも妻と手を取り合って……。

 昨日は快晴。今朝も気持ちよく晴れています。お昼を海の家で過ごした後、もう一度海へ向かいます。さんざん楽しんで、そろそろ帰ろうかというところで、タイミングを合わせたように雲行きが怪しくなってきました。クルマに乗り込み、能登島を離れると、ぽつりぽつり。いつもお天気には感謝しています。だって晴れ家族だものね。


紅葉の京都 2002年11月23日

「京都に行こう!」
結婚記念日にちなんでと思い立ったのは、20日の夜。

 23日の朝、京都へと旅だって、夜帰ってくるとして、Yahoo!路線情報にリンクして、出発駅と到着駅を記述して、選択肢から月期と時刻を指定して検索に入る。ついで出発と到着駅の詳細をさらに指定して、「出てこい列車よ!」とやってみる。
あったあった出てきました。丁度いい時間のが。
それを保存して、次は、帰りの列車も同様に検索して、結果を保存しておきます。そして、ケータイで、078−341−7903。ここが〈クレジットカードで全国のJRの指定券をご購入いただけます〉をプッシュ、今調べた列車の指定が取れるか聞いてみました。

「え!全然ありませんか、行きも帰りも」
さすが連休の初日、しかも秋・紅葉の京都は、毎年この日がメッカです。いったん電話を切って、しばし思案。
「よし、22日の夜に京都入りして、23日の午後に離れてくる。これでどうだ」
もう一度IEに向かって、……適当な列車をチェック。そして、また携帯でピポパポ。
「ありますか。え!喫煙席だけ…ですか。しょうがないな。では、クレジット言います」
次に、ホテルだけど…、「場合によってはラブホテル行きだな」とか言いながら、やっぱそれなりのホテルに泊まりたいななんて思っていたりします。
わたしと妻とで、ホテルの検索に入ります。このあたり家庭内ネットワークの強みなのでして、ADSLに繋がっているパソコンは、現在同時に4台あるのでして、子供たちにも出張ってもらえば、同時4台による人海戦術で、ことに当たることもできます。
最初に妻が見つけました。やはり音声は、こういうことについての能率はいけませんね。でも、運もあると思うのですよ。 Yahoo!とかの検索エンジンで、どんなキーワードで探すかによって、案外早くヒットすることもあるし、どういうリンクをたどっていくかでも早かったり遅かったりします。

 22日は、定時に仕事を終えて、さっさと帰宅します。妻も同じです。夕食をみんなで食べて、「じゃあ行ってくるね」で、子供たちにおみやげを約束して、わたしたち夫婦の記念日旅行となったのでした。

 列車はさすがに喫煙車両だけあって、すごいものがありました。救いは、前の方から流れてくる風にのっては、ほとんど煙が漂ってこなかったってことです。それでも気紛らわしにアルコールでも飲もうやと、ワゴンが通ったときに、酎ハイを買い求めてしまいました。(苦笑い)
車中、二人で酎ハイを飲みながら、明日どうしようで、盛り上がったことは言うまでもありません。そしてとうとう、京都駅に着きました。

 駅に降り立ったとき、思わず大きく息を吸ってしまい、「こんな都会でも、ずうっと空気がうまい」と、二人同時に言葉を発してしまいました。(爆)

 京都パークホテルは、京都駅を出て東山方面へ、東山七条に面してて、タクシーで5分ほどの所にありました。京都、さすがに都会です。もう23時を回っているというのに、駅は人でごったがえしていましたし、道路もクルマであふれてました。ホテルでチェックインしている間も、外にでていく人もいれば、帰ってくる人もいて、いったい今何時なんや。田舎ではもうすっかり寝静まっているはずなのにと……、こういうの地域差時差ぼけって言ったらいいかもしれんななどと思ってしまいました。
さて、号にいれば郷に従え。あれ、変換が変だぞ。朱に交われば赤くなる。これでいくかとばかり、このホテルにはバーがあるらしいじゃないですか。行かない手はないでしょう。赤くなりに行きましょうよ。朱に交わりにねと、二人ホテルの部屋を飛び出したのでした。

 バー・ローゲンは、B1にありました。カウンターのスツールに腰掛けて、バーテンダーさんと、話をしながら、といきたかったのですが、カウンターはいっぱいです。ウェイターの薦めで、少し奥まった落ち着いたテーブル席に着きましたよ。
「何にする?わたしは、マタドール。彼女は……を」

matadorは、テキーラ30mlにパイナップルジュース45mlとライムジュース15mlを合わせてシェークして、氷を入れたロックグラスでいただく、わたしのお気に入りの一杯です。どこのバーへ行っても、まずはのカクテルだったりします。

 静かで落ち着いた雰囲気のバーです。二人で、レーズンバターを口に運びながら話ははずみます。
「もう一杯いかがですか」のウェイターの声に、ではと2杯目はギムレットとオーダーしました。 gimletは、四分の一がライムジュースで、残りはドライジンです。これをシェークして、カクテルグラスでいただく一杯なのです。…と思いきや、さきほどと同じ氷の入ったロックグラスできました。これは強いかもしれないと思ってしまいました。ふつうの2倍ほどの量はありますものね。
サラミを一枚口に放り込んで、味わいを楽しみながら、話はさらになめらかです。そしてラストオーダーの時間です。ではやはりマティーニでしょう。

martiniは、ほとんどドライジンで、ドライベルモットが少々、これに塩漬けのオリーブの実を飾ってあったり、小さな爪楊枝みたいなフォークに刺して沈めてあったりします。

グラスを手に取ってみると、なんと大きめのシャンパングラスではありませんか。しかも並々と注いであって、うっかり持つと溢れてこぼれそうです。ここはカクテルグラスで出すものをもしかして一回りも二回りも大きなグラスで出すのかもしれないです。
では量で勝負してるのかというと、いえ決してそんなことはないと思うのです。味わいもちゃんとしてたし、バーテンダーさんのお手並みなかなかしっかりしたもののように聞こえましたよって、酔っぱらいが言っても説得力がないですかね。(笑)
それでも一応、紹介しておきましょう。バーテンダーさん、妻が見るところによると、割と若そう。しかし、かなり手際がいい。ボトルをささっと取って来るやいなや、さっと適量を取って合わせる。シェーカーの振り方は、スピーディーでしかも力強い。これはわたしも聞いて手そう思いました。
 旅行を思い立ったときにはなかったバーでのいっぱいも楽しめたし、「京都はええとこやなぁ」

「ねえ、起きて!もう8時よ」
「え!しまった、寝すぎた」
ベッドから跳ね起きるやいなや、そそくさとシャワーに交代で飛び込みます。このあたり朝の手秘話の早さは、毎日やっているので、どうということはない。あっというまに、身繕いをしてクーポン券を持って、1Fのレストランに降りていきます。テーブルに着いて、やはり昨夜の酔いがまだ残っている感じだなと苦笑いしながら、今日の予定少し遅れちゃったゴメンねと互いに顔を見合わせててれる。
妻はオレンジジュース。わたしはトマトジュース。パンとスクランブルエッグを口に放り込みながら「まあ、なるようになるさ」と、朝食を楽しむことにしました。
少し離れたテーブルに英語人の男性。どこの国の人かわからないけど、アメリカかな。それに英語を話す日本人女性がいて、ときどき彼女の英語だけ聞こえてきます。何をしゃべってるのだろう?ふうん、たまに聞こえるとぎれとぎれの単語だけじゃ何を言っているのかわからないな〜。笑いあってんだから、いい関係なんだろうねと、コーヒーを飲みながら、ちょっとくつろぎます。京都って、ほんといろんな国の人がいて、様々な国語を聞くことができておもしろいよね。
コーヒーを飲み干すやいなや、「さあ行こうか」と、わたしたち二人テーブルを離れます。

 9:38 京都駅発、9:55 嵯峨嵐山駅着のJR山陰本線の電車は、すごい満員でした。
『この人たち、きっと嵐山まで降りないんだろうな』の予想的中。嵯峨嵐山のホームは、改札口に向かって、押すな押すなの大混雑となりました。わたしは妻と、離ればなれになりそうな勢いをくじくために、やむなく東京でつちかった手を使いました。…というほどたいしたもんじゃないけどもね。

 嵐山で紅葉見るなら、やっぱ天竜寺でしょう。というほど、実は天竜寺のことを知りませんでした。
たまたま妻が「どう?」と言ったので、「じゃあ入ってみようか」と、応じただけだったんですよね。
入ってみてビックリ。ここって一大名所のひとつじゃない。そういえば前に来たとき、そんなことを聞いたかもしれないです。その時は、紅葉の季節じゃなかったんで、天竜寺に入ってみることもしなかったんですよね。この日、たしかにデジカメ持ってきてたんで、庭園のきれいなのを撮ろうと思っていたことはいたんだけど、それよりは嵐山で、おいしい茶ダンゴのお店とか、いろいろ食い気を満たそうって先に思ってたから、あまり紅葉のこと考えてなかったんですよ。(笑)

 入ってみてまず、ただの駐車場になっている所があって、そんなとこにさえきれいな紅葉がいっぱいあるんですよ。カメラ持参の人たちが、たくさん、いろんな木を様々なアングルで、パチパチやっていました。
天竜寺の入り口に着きました。
寺社のコースと、庭園のコースがありましたので、迷わず庭園でしょうといきました。

 庭園に入っていくとまず大きな池があります。曹源池って"そうげんいけ"と読むのかな?ほんとにそこに池があるのか、小石でも投げたらわかるかななんて…、やりませんよ。そんなことしたら…ねえ。こわぁい人が来るかもしれないじゃないですか。
庭園は、その池をぐるり回るように歩道というのか、小道といえばいいのか、庭園用語でなんというかわからないけど、人が二人で横にならんでるとギリギリといった幅の路が続いています。こういうの回遊式庭園というのだそうです。

とてもいい天気でした。
日差しが心地よいと感じたのは、今月天気さっぱりだったので、とても久しぶりだなぁとおもいましたよ。
駅から歩いてくる途中、そんなこと思わなかったのに、庭に一歩入りこむと、周りに広がる世界を感じられるというのは、不思議なものです。

 今年の紅葉の色づき方、おもしろいみたいです。枝の先っぽのほうが赤くなっていて、枝の元の方は黄色っぽく変色してるそうです。だから赤から黄色へのグラデーションが楽しめて一本の木で二度おいしいとかって話です。

 紅葉観賞を終えて、嵐山に向かうことにしたわたしたち、今朝乗ってきた電車を思い出しました。
そこには、予想通りの、いえ、それ以上の大混雑が、待っていました。歩道からあふれて車道を歩くことさえ、何度もありました。だって橋の上で立ち止まって川や山を見て動かない集団がずらりといましたし、立ち並んだお店のあちらこちらに行列作ってはみ出してるし、とても妻と一緒じゃないと来られたもんじゃないと思ったもんですよ。
もしかして、このままだと、お昼を目前にして食い気を満たすことができなくなるかもしれないと思いだしましてね。主立ったお店にはもうすでに長蛇の列ができているんですから。
「とにかく、あまり列のできてないところでいいから、さっさと入ってお昼にしよう」
どこがうまいとか、ガイドブックに載ってるとか、いないとか、そんなこと言ってる余裕なさそうです。
この判断当たりでした。橋のたもとのうどんと湯豆腐のお店。わたしたちが入ってまもなく、行列ができていたのですから。

 わたしはうどんを、妻は湯豆腐をいただきました。本当は湯豆腐も魅力あったんだよね。でもね、豆腐って箸でうまく食べるの、けっこう大変だったりします。それに相席だったから、お椀を口につけて箸で口の中に豆腐をかき込むような食べ方も、あまり見られたくなかったし…ね。
ついでに頼んだ桜餅。ほんのり桜の香がして、うん、うまかった。
こうして、早めのお昼をいただいたわたしたち、次の目的地へと……

 京福電車で、嵐山駅を出て、太秦駅についたのは、午後1時少し前ぐらいだったかな。それにしても太秦をうずまさって、これ知らないと読めないですよね。
映画村は、妻のたっての希望です。神社仏閣の京都もいいけど、こちらもいいかなって思いましたのでね、行ってみたんです。

 映画村は、主に時代劇シチュエーション。しかも江戸時代。さらには、今回は水戸黄門をメインにやってました。里見浩太朗の水戸黄門。ご意見それぞれにあると思います。さすがに助(すけ)さんが長かったですからね、調べてみたら17年もやっていたそうです。里見さんで水戸黄門をイメージすると、まず先に助(すけ)さんで出てきちゃいました。(笑)
でも、実際にテレビを見てみると、さすがです。わたしはもう里見さんの黄門様、すっかりファンになっています。
そういうことで、水戸黄門グッズの売店もしっかりとできていて、そこから、コーヒーカップと、手ぬぐいを買ってきたんですよ。(笑) ミーハーですね。

 映画村では、北町奉行所とか、銭形平次の家とか、時代劇でおなじみの建物がずらりとあって、ほんとにここでロケしてるのかな?と思ってしまったくらいです。
「おいらんとお写真いかがですか」
「いいね、どう?撮ってもらおうか」
おいらんの居るところって、よく分からないけれども、もしかして遊郭?に入って、座敷に上がって、すすめられるままに座布団に座りました。左横においらんがいて、その向こうに妻がいます。
「お兄さん、もっと左に寄って」
ではと、もそっとおいらんに寄り添いまして、パチリ。記念の一枚のできあがりです。
おいらんて、モノホン?んなことないですよね。きっと、東映の女優さんがやってるんですよね。(当たり前か…)
『きれいな人なのかな。ちょっと触ってもいいかな〜』

 そういえば、映画村には、姫様とかになって写真を写してくれるって所があるんですよね。わたし、密かに、妻にはお姫様になってもらって、わたしは若侍になってって思っていたりしてました。でもね、どうも若侍はなかったみたいなんだよね。それで結局、お殿様と奥方様でお願いしたんだけど、やっぱ若侍やってみたかったなぁ〜。
衣裳の着付けの人、わたしをリードしてくれた女性の方、視覚障害者の誘導には慣れていたようです。さっと半歩右前に立って、「ここをどうぞ」と、わたしの手を彼女の肘に誘導してくれました。ホント、こういう人がいると助かるよね。
着付けは言われる通りのかっこうで立っているだけで、どんどんやってくれて、たった数分で、殿様に変身です。妻は、さすがに奥方様なだけあって、もうちょっと時間がかかったようですが、それでも5分はかからなかったでしょう。
「はい、こちらを向いて。もう少し……」
パチリ
記念のワンショットのできあがりです。とその直後、パッパッパッと衣裳を外して、あっというまに元通りです。もしかして、役者さんの着付けなんか、こんなふうにやってるのかな。手慣れたものです。

 ところで、この日、午前、水戸黄門の公開撮影があったみたいです。ざぁんねん!見たかったなぁ。
いくつかイベントがあって、楽しかった映画村も、そろそろ時間です。京都を離れる時間が迫ってきています。妻と二人、ちょっと疲れた足を引きずりながらJR太秦駅に向かいました。
 京都駅に着いて、列車がくるまでのしばらく、約束を果たすべく……、とにかくとりあえず、子供たちに約束した分は買わなきゃね。なま八つ橋と、茶ダンゴを。
これは、ここんとこ京都に来たら必ずチェックしているおみやげかな。
今から思うと、20数年前かな。八つ橋って、瓦の形をした焼き菓子だったじゃないですか。それが、清水寺に行く途中だったかと思う。『なま』の字があって、「えっなにそれ?」
「おひとついかがどす」と、京都弁で言われて、「ほな」と、……
一箱買い求めてしまったことは言うまでもないことでしょう。それ以来のおつきあいでしょうか。
そして茶だんご。これは1996年に嵐山へ行った時に見つけました。できたての熱々のを出してくれるお店があって、それがとてもうまかったんですよね。
あの時の初めてのなま八つ橋、蒸したての茶だんご。うまかった。


フルート 2002年12月24日

 成人して急激な眼疾の増悪。それまで見えていたほとんどが見えなくなり、東京から地元に戻り、しばらく休養。しかし進行性の眼疾が回復するはずもなく、翌年じもとの盲学校に入学。自宅から通うには無理があるからと入寮。高卒ですから、按摩・マッサージ・指圧師、鍼師、灸師の資格取得を目指すことにしました。とはいえ、引きずる気持ちのもやもやもあり、授業が終わってから寮の夕食までの間に勉強するほどの意欲もなく、ただ漫然と過ごす毎日がありました。

 そんなある火の放課後。誰もいない音楽室に入り、それから隣の音楽準備室に入ってみます。棚には、いろいろな楽器がケースに入って置いてあります。そういえば中学高校で華々しく演奏を披露するブラスバンドの演奏のことが思い出されます。わたしは、ただ聴いているだけの傍聴者にすぎませんでしたが、『いいなぁ』と、思っていたことはよくありました。
棚に並んでいる楽器ケースはどれも大きなものばかりです。が、その中にひときわ小さなケースがあります。『これ何だろう?』と、開いてみれば小学生の頃に吹いていたリコーダーに似た、でも3本の管が納められています。手前には10センチちょっとと、20センチちょっとの短い管があり、奥に隣り合わせに40センチ近い管がくぼみに収まっています。『これを組み立てると一本になるんだな』と、取り出して組み立ててみれば、リコーダーのような縦笛ではなく、横笛です。
『ははあぁん、これがフルートってやつか』

 それらしく持って歌口を唇に当てて息を吹き込んでみますが、シューッと息が歌口をかする音がするだけ 笑。
『そりゃそうだ。いきなり音が出るわけないか』
そういえば、小学校の給食のときに、牛乳瓶に息を吹きかけてボーボーやったものだ。あれに近い感覚だなと息を吹き込んでみれば、ピーッピーッ!
『鳴るじゃん!こりゃ案外できるかも?』

 こうして、以来、授業が終わった放課後、音楽準備室からフルートを持ち出して、体育館の裏で一人フルートの練習に励んでいた毎日があったのです。もちろん、無断拝借、無断使用。
『どうせ誰も使っていないのだし、せっかくあるのに使わないなんてもったいないじゃん!とにかく使った後、きれいにして戻しておけば問題ないよね』の、独りよがりのわがまま解釈です 笑。

 フルートを勝手に使っていたこと、ばれていないはずがありません。でも、誰も何も言ってこなかったし、独学のわりにはそれなりにうまくなってきていたから、黙認かなぁです 笑。

 盲学校を卒業して、まさかフルート勝手に使っていたからと言って、それも一緒に持って来ちゃったら盗みってことになるでしょう。そういうことで、すぐじゃなかったのだけど、地元の楽器屋で、ヤマハのインペリアル……、初心者向けのを買っちゃったんですよ。それで、仕事しながら、日曜あたりに吹こうかなと思ってなんですけどね、だめでした。ほとんど吹かずに十年近くの時が流れました 笑。

『こりゃ何か吹かなければならないわけをこしらえないと、二度と吹かないかもしれない!』

 職場では、高齢の患者さんたちに、動きたくなるようにと、“遊び”を取り入れた“遊びリテーション”を 1990年の秋から取り入れています。風船バレーとか、ボーリング大会とか、手作りカルタ、いろいろなゲームを考案しては、できるだけお金のかからないやり方で毎週土曜の午前に続けてきています。
これとは別に、お楽しみ会として、春はお花見会、秋は敬老会、12月はクリスマス会などなど、職員が趣向を凝らして“見せる、聴かせる”イベントを季節の節目などに催してきています。

『よっしゃっ!今度のクリスマス会でフルート吹くぞ!』

 こうして、10月末から、職場から帰った夜の8時、フルート練習を始めたのです。

 練習を始めてすぐ分かったこと。めっちゃくちゃへたになってる。いえ、もともとそれほどうまかったわけじゃないんです。素人にちょっと毛が生えた程度のなんちゃってフルートなんですよ。でも、そんなへたくそフルートが、“ど”が三つつくほどのどへたくそになっていたのですから。
最初クリスマスの曲を5、6曲ぐらいと思っていたのですが、きよしこのよるで、いきなりつまぐきました。高音のミが出ないのです。運指も滑らかとはほど遠くて、こんなんで間に合うのか?まじ、落ち込みました。落ち込んだついでにそれから一ヶ月近く吹けなくなってしまったのですから。

 予定しているクリスマス会は、12月24日。あと一ヶ月しかない。やっぱやらないとだめだ!やらなければ何も始まらない!
そう思って、ケースのフタを開きます。そして、寄るの8時。また練習を始めたのです。たった一ヶ月でできる曲は、たった一曲。とにかく一曲だけでも間に合わせよう!そう決めて、ホワイトクリスマスに取りかかったのです。

 当日、午前10時半のクリスマス会に向けて、リハビリ室の模様替え。そして患者さんたちを迎えて、歌って踊っての会を催します。ここでわたしはサンタの衣装でいますが、フルートはありません。

 そして午後3時。サンタの衣装を脱いだわたしは、フルートを吹きながら、各病室を回ります。そして新たなサンタさんが”メリークリスマス!」と言いながらわたしと一緒に病室に入ってくるという趣向にしたのです。
わたしのレパートリーは、ホワイト・クリスマスと、きよしこの寄るの二曲。どうにか間に合いました。各病室を訪問しては、サンタさんが患者さんたちとふれあいのひとときを過ごし、BGMとしてフルートの生演奏。45分間、吹ききりました。