2009年のエッセイ

上司・部下・同僚うまくいく人間関係 2009年 3月 1日
ここ半年で読んだ本 2009年 4月26日
学会発表 2009年 5月17日
手術 2009年 6月24日
乗鞍高原へ 2009年11月22日


上司・部下・同僚うまくいく人間関係 2009年 3月 1日

 タイトルは、2007年暮れに買い求めた本2冊のうちの一冊目の書名です。“上司・部下・同僚うまくいく人間関係”とあれば、『こりゃ悩んでるな』と、どなたも気がつかれると思います。そして、買い求めたもう一冊は、“あなたが演じるゲームと脚本”です。ゲーム?脚本?この書名から内容が想像がつくでしょうか?
この2冊、書名は全く別物ですが、内容はほとんど同じで、そこにあるのは、“拘留分析”です。
交流分析とは、精神分析の手法の一つです。その方法として、“拘留”とあるように、人と人のコミュニケーションのパターンを“分析”し、そこから“その人の人となりを推し量ろう”というものです。……と、さも分かったようなことを書いていますが、ここ2ヶ月読んで読んで読み倒してのにわか仕込みだったりします。なので、あまり詳しく書くと、ボロほころび、いっぱい出ます 笑。
なぜ、そのような書籍に至ったのか?をこれから書きます。あまり具体的になるといけませんので、ぼわっとアバウトに……

 拘留分析。ご存じの方は少ないのかもしれません。わたしも全く知りませんでした。これを知ったのは、たまたま聞いたラジオ番組の中で取り上げられたお話を聞いたからです。こうなったのは、“求めよ、さらば与えられん”、の結果かなと思っています。で、何があって、求めたのか……ですよね。

『この人と接していると、だんだんいやぁな気持ちになってしまう』
『この人としゃべっていると、だんだんいらいらしてくる』
『この人と一緒にいると、どうしてむかつくんだろう』
『この人って、どうしてそんな言い方しかできないのだろう』
のように、話をしていると、だんだん気持ちが下がる、いらいらする、怒りを感じる、なんか結末がハッピーエンドからどんどん遠ざかる……、バッドエンドで終わる人っていますよね。

 こういう気持ちになること、ありませんか?きっと誰にでもあることだと思うのです全然珍しいことじゃないと思うのですよね。ただ、程度があると思います。あっても、さらりと流せるレベルもあれば、なんて言うかな、ドスンッと杭を打ち込まれたみたいに、心の奥底まで無遠慮にグサッと来るような言動を繰り返す人も……。この後者のタイプが、ここ数年、ものすごぉーくわたしを悩ますのです。人の気持ちにグサグサ突き刺さる言葉を投げかけるのです。

「いくつか職を転々としていたようですが、雇ってみましたので、よろしくお願いします。うまくやってください」
……のような申し送りが直前にあって、『一体どういう人なのか?』と…。

 ここは、人材の墓場!特命係。
おっと、これは、刑事ドラマ 相棒でした 笑。

 なんとかうまくやっていこうとしてきたのですが、やることなすこと裏目にになるというのか、やればやるほどうまくいかないというのか、近づいてもだめ、遠ざけてもだめ、いったいどうしたらいいのだ!!

 拘留分析を読んで、なるほど、この人は、こういうパターンの拘留、つまり人と人とのコミュニケーションをするんだなぁ。ということは分かりました。そういう意味では、診断がついたのです。
ところが、だからどうできる?なんですよね。
その人を変えることはできない。その人との関わり方は変えられる。
というわけです。

 本当にそうなのでしょうか?あるのは対応のしかただけなのでしょうか?だとしたら、ある意味、むなしいですよね。この手の書籍、他にもいろいろあるようなので、もう少し取り寄せてみようと思います。


ここ半年で読んだ本 2009年 4月26日

 昨年夏から、本はできるだけ中古で買い求めることにしました。そのほうがコストダウンになるし、やっぱり本を裁断して紙の束にすることに対する罪の意識がねぇ、使い古したものなら、いいかなぁとか思ってみようとはしているのですけど……、『情報が欲しいのであって、本が欲しいわけではない』と、思ってみてはいるんですけどねぇ 笑。
以下に、ここ半年取り寄せて、読んだ本を列記してみます。買い求めた本は、他にもあるのですけど、途中でというか、ほとんど読んでいないものははずしてありますし、上中下などの連作本の場合、中と下が手に入って、上を待っているものについては、そろってからでないと読まないので、それも外してあります。

 以下が、SFに分類される書籍です。


 フィリップ・ホセ・ファーマーさんの本を昨年、無性に読みたくなって、読みました。虫の知らせだったのでしょうか?2ヶ月前の2月25日に亡くなられたとのニュースを知って、驚いたというか、さみしく思いました。ということで、先月、デイワールドと、わが夢のリバーボートを取り寄せています。今は、読み待ちです。

 これは、ファンタジー小説でしょうか。

 ミステリーものです。

 時代小説です。

 テレビ番組ノベライズです。

 時台読み物です。これは、昨年の大河ドラマ 篤姫 から引っ張っていること、ありありですね。

 その他ということにしておきます。

 医療関連書籍です。

 前回のエッセイから引き続き読んだ本です。

 読みましたねぇ。SF、ファンタジーなどの小説は、気晴らしです。なお、上に列記した順にそろってはいません。ものが古本なので、あるとき買いです。 スター・ウォーズジェダイの失墜は、下巻がまだ出てきません。手放してくださる方しだいですので、こちらはただ待つばかりです。
後半に列記してある医療関連書籍は、必要を感じたものが多いですね。

なぜか同じ失敗を繰り返してしまう人たち / 芦原睦
これは、前回エッセイに続いての拘留分析の本です。対人関係の中で、不調和に至るパターンを分析し、体系化したものですね。
やっぱり読むと、その人と関わると、けっきょく嫌な思いをしてしまう場合、その人は、心のバランスを欠いているとなります。そして、その当人が、心のバランスを欠いていることに気づいていないために、同じ対人不協和を繰り返してしまうとあります。
もちろん、心のバランスの崩れ方は、グラデーション。どこかに正常と異常のラインがあるわけではありません。ただし、アンバランスな状態が、どんっと一線を越えている人とのコミュニケーションのときは、やっぱりこの本も……
巻き込まれないように、しばしやり過ごすのが賢明かもしれません。
……とあります。つまり関わらないようにするということですよね。やはりそうなのかぁ……。できたらそうしたい。それができるくらいなら……
また、気晴らしに何か読もうかな とほほ。


学会発表 2009年 5月17日

 昨年の夏のことです。全国学会で発表してみないか?という話が舞い込んできました。
「えっ!」
それから、いろいろとやりとりがあり、最終的に、「やらせていただきます」と、なったのでした。

 学会で発表するということは、学会で発表してもおかしくないもの、つまり論文を書かなければなりません。その論文を書くためには、研究活動が必要です。もちろん、科学的なものです。

 さて、どうしたものだろう?まずはテーマを決めなければなりません。テーマが決まれば、そのテーマに関わる過去の全ての論文検索です。もし過去に取り上げられている研究であれば、再現性、つまり誰がやっても同じ結果が得られるかどうかを確かめる研究になり、あるいは、更に突っ込んだ仮説に基づく研究へと発展させるワンランクアップ的な研究になります。もし、まだ誰も取り組んでいないものであれば、新発見へのステップとなるのですね。
その上に、できたら、10月末までに論文を完成させ、提出してもらいたい……。
まじか!?たった3ヶ月でできることって……。
どう考えても、過去に行われた研究の再現性を確かめ、それを少し発展させる方向でいくしかなさそうです。後は、どれを選ぶかだけです。

 高齢者のリハビリをやってきて、いつもネックになることがあります。それは、主体的継続性です。もっと、かんたんに言うなら、「やりたいことがあるんだ、あるのよ」です。旅行にいきたい。だから足腰強くしなくちゃとか、おいしい料理作って喜んでもらいたいのよ。こんな感じです。
これと逆の動機が、寝たきりになりたくないから、歩かなければです。この手のやる気は、がんばり系とわたしは呼んでいますが、スタートは良いのです。しかし、継続性がない場合が多く、長続きせず、往々にして三日坊主さんパターンです。
そのような理由でも、動いてくれればまだまし。そのどちらにも当てはまらない方々がいらっしゃいまして、一言で言えば、やるきゼロ。ゼロ系さんに手こずっているのですね。
リハビリは、させるものではなく、していただくもの。その人が自分の身体を動かしたいと“思う”ことが第一だと思うのです。そうなら、“心”を知らなければなりません。そこで、心の本、心理学の書籍を読み始めている今なのです。最近、もしかして、これかな?みたいな“方法”に出会ったので、それを研究テーマにすることにしよう!と、決めたのでした。

 テーマが決まれば、方法です。これは、既に出ている既存の方法を用います。次は、具体的な計画。データ収集。そして、まとめて、考察を完成させれば、論文のできあがりです。

 11月16日。 ブロック各県から提出された論文6本で、研究発表回が催されました。わたしの順番は、4番目。発表原稿を丸暗記してのぞみました。そして後日、全国学会に行ってくださいとの連絡がきたのでした。

 5月16日。羽田空港でジェットから降りたわたしと妻は、ジェットウエイからの長い通路を経て到着ロビーへと歩きます。そして預けた荷物もないので、さらに歩き続けて、空港ターミナルから、地下の京急駅へと降りていきます。
『ああ、また来たんだなぁ』と、駅を発車する電車の加速度に懐かしい思いがこみ上げてきます。遠ざかる駅、ドアあたりの女の子たちのおしゃべり、電車のサスペンションから伝わる揺れなども懐かしくてしかたがありません。そのように、“東京”に浸っているうちに、電車は、千葉へと進んで行きます。目的地は成田。
羽田から成田となれば、国際線と相場が決まっています。わたしと妻は、かつて新婚旅行でそのルートで移動しました。でも、今回は違うのです。

 電車は、成田に到着しました。わたしたちも降りる乗客の列に並んで改札口へと歩いて行きます。駅から外に出たわたしたち、初めてなので右も左もわかりません。もちろん妻は、地図を確かめてくれていますし、駅前の案内板を探してくれてもいます。でも、一緒に電車を降りた人たちの大多数がそちらに向かっているのですから、まず大丈夫でしょうと、同じ方向についていきます。

 「ねえ、あれなにかしら」と、妻。
「なにって?」
「あまたらやき」
「あまたらやきぃ?なんだか分からないけど、おいしそうな名前じゃない。食べていこうよ」と、わたし。

 それは、直径10cmほどの丸い形をしていて、厚みは4〜5cmほどのひらべったい円筒型をしたもの。焼きたては熱いので、ふうふうしながら、ぱくりとかじると、ぱりっとした小麦粉でできた皮の中から、あつあつのあんこが出てきて、実においしい。わたしと妻とで、お店の前のベンチに腰をかけて、ぱくりぱくりとやっているところで、2才ぐらいかな?の女の子?を連れたカップルが、あまたら焼きを買い求めにやってきました。
「なあ、あの子、泣き出したよ」
「うん」
「もしかして、こちらを見て泣いてない?」
「うん、お父さんの肩越しにこっちを見て、泣いているわ」
「これ食べたいって泣いているのかな」
「なのかな」
「ああ、ちょうど食べちゃった。ごめんね、食べちゃったんだよ、おいしいから、お父さんに買ってもらってね。じゃあ、ばいばい」と、女の子に手を振って、そこを離れたのでした。

 さらに歩いて行くと、着きました。
成田山新勝寺。
お正月の初詣には必ず紹介されるという関東屈指の神社仏閣の1つですね。成田山は、真言宗のお寺。真言宗といえば空海。空海といえば高野山と連想しちゃいますね。

 成田山新勝寺に参拝。となれば、やっぱり護摩祈祷です。大本堂に上がって、しばらく座って待っていると、護摩祈祷が始まりました。

 ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン

 これは不動明王御真言ですね。これが、護摩祈祷の終わりに近づくと繰り返されます。 そして、護摩祈祷が終わり、深々と礼をして辞してきたわたしたち、大本堂の裏手に回って、山林の中に整備された道をのんびりと歩いて“初めての新勝寺”を味わったのでした。

 それにしても、土曜の午前、お昼少し前って、こんなに誰もいないというのか、テレビで見たお正月の風景からは、想像もできないほど静かな様子に、大混雑を覚悟していたわたしたちには、意外な驚きでした。とにかく、およそ1時間の散策の間に、会った人は、10人かそこいらだったのですから。
こうしてお昼になる頃、そろそろお腹がすいたねということで、もう1度大本堂に来てみれば、もう少し人が増えていました。それでもちらほらには変わりありません。そこから石段を降りて駅へと向かって行くうちに、徐々に人の数が増えてきました。わたしたちがここに来たときは、まだ10時過ぎでした。駅前からの道路が、まったく閑散だったし、開いているお店もあったかなかったか分からないぐらい静かなたたずまいだったのが、今はそうでもなくなっています。

「どこでお昼にしよう?」
「ねえ、ここでうなぎを食べられるって」
「うん、いいね、ここにしよう」
こうしてお店に入って、案内されるままにテーブルに着いて、なににしようかな?と思うけど、やっぱりウナギ。それにエビの唐揚げと、日本酒も合わせて注文して……。
「なあ、カワエビって、手が長いんだなぁ」
「ここの地元のなのかしら」
「かもね。」

 こうしてお昼をおいしくいただいていると、隣のテーブルから、顔見知りの女性客かな?と女将さんの話し声が……、その内容を聞くほどに……。
 え!なんだって?全然少ないって。何が... お客がぁ。あの成田空港のブタインフルエンザ騒ぎで、ここしばらく全然人が来なくなっているって!
 あっそうか!きょうのこの朝の荘厳さも、山林散策路の静けさも、この昼の様子も、まったくいつもの“ここ”ではなかったのか!と、気がついたのでした。
こうして初めての成田山新勝寺を満喫したわたしたちは、上野駅へと向かったのでした。

 東北新幹線で盛岡に着いたわたしたち、ホテルにチェックイン。明日に備えて、今夜は、リラックスしておこうと、階下へ降りて、和食レストランで夕食。三陸の海の幸を注文して、地酒を酌み交わしながら、妻とおしゃべりを楽しみます。とにかく明日のことを考えると、嫌でも交感神経が高ぶってしまうので、きょうはシャットアウトなのです。

 今年になって、研究のためのデータを更に増やしました。その結果、仮説が肯定するに及ばない結果になることもあり得ましたし、もしかしたら、否定を考察しなければならない可能性もあったのです。もしそうなれば、それはそれ、そう報告するだけです。嘘はつけませんからね。でも、結果は、初期の研究結果を肯定することになったのでした。そこで、新たなデータを付け加えてのプレゼンと、論文にして今回、ここにきたのです。発表原稿は、何度もリハーサルをし、大丈夫。持ち時間ピッタリでできます。

 翌朝、スーツを着込んで学会会場に行きます。受付で発表者と名乗り、控え室へと案内されました。わたしは、第二会場での発表です。
控え室には二人の演者が既に来ていました。そして後二人の演者と、座長も集まったところで、座長から説明がありました。今回は、発表が多めということで、時間の関係、グループごとで、フロアからの質問は受けないで、次々と進め、全てのグループが終わったところで一括質問としますとのこと。

 さあ、わたしたちの出番です。ステージに上がって、割り振られた椅子に座ります。一人目の発表が終わり、二人目も終わりました。そして、わたしの名前が呼ばれました。
……
終わりました。オーケーです。椅子に戻り、深呼吸。『終わったよ。よくできた。じょうずだったよ』と、自分で自分に言い聞かせます。

 フロアからの質問も時間の関係で、省略となってしまい、わたしは、妻と会場前からタクシーで、盛岡駅へと向かったのでした。


手術 2009年 6月24日

 ことの始まりは妻からでした。長男が、手術をするから同意書を書いてほしいと、わたしに。それは、もちろんのこと。しかし、一体なんの手術なのか?聞けば、気胸とのこと。
気胸と聞いて、ろくでもないことばかりが次々と思い当たってしまいます。がしかし、喫煙高齢者じゃあるまいし、んなわけはありません。息子は喫煙しないはずだし、受動喫煙があったとしても、それが原因とは、思えません。けっきょく、若い男性に多い自然気胸とのことで、根治を目的として、手術を選択することにしたとのことでした。
「それで、いつなの?」
「土曜日だって」
「いつの?」
「今週」
「えっ!それって、すぐじゃん。じゃあ、さっさと書いて……」
「同居じゃない家族以外の誰かにももらわなければならないのよ」
「わかった。すぐに電話で頼んでみるよ」
こうして、6日の土曜日、仕事に休暇を入れて、その日の会議を来週に延期してもらい、朝いちばんの電車で手術が行われる病院へと向かったのでした。

 駅からタクシーを飛ばして着いてみれば、そのあたりでいちばん大きな総合病院。入口を入って窓口で病室を聞きます。部屋を訪ねてみると、別にどこが悪いのか?というほどです。でも、確かに声を出すのに不都合な感じですし、そういえば多少呼吸も苦しそうです。いろいろ聞きたいことはありますが、そんなことより、手術の成功を願うだけです。
関係の書類を渡したわたしたちは、病室で彼と過ごすことにしました。そういえば、大学のために家を出てから、ろくに話もしていません。特に妻は、母にすっかり戻っています。いつごろから?どんな感じ?ちゃんと食べてる?学校はどうなの?……。
そして、まもなく担当ナースが入ってきて、てきぱきと術前の手続きを始めました。わたしは、思わず『手慣れたのもだ』と、見ほれてしまいました。そして、手術室の手前まで一緒に行き、そこで声を掛けて、特に妻が熱い思いで声を掛けるのを黙って見ながら、ドアが閉じるのを見つめていました。

「さあ、待つ以外なにもすることがないし、ここに居場所もないから、とりあえずどこかに行こう。病棟に戻るか」
妻を促しながら、連絡通路を歩いてエレベータへと向かったのでした。
そとは薄曇り。まあまあのお天気です。

 手術が終わる予定時刻の少し前に、彼の病室に戻って、椅子に座ります。そして、まもなくストレッチャーで運ばれてきました。まだ麻酔が効いているようです。
ナースたちが、慣れた手際で、ストレッチャーからベッドにトランスし、ささっとバイタルチェック、そして、わたしたちに「もうぎき起きられますよ」と、優しい言葉を残して一礼して行きます。また、『プロだなぁ』と、思わず感嘆してしまいました。

 息子は、少しずつ覚醒し始めています。部屋持ちナースが時間を計ったように訪室しては、バイタルをチェックしたりしては、わたしたちに声もかけて行きます。そして、時間です。わたしたちは、執刀医師と面談するために、病室を出たのでした。

 手術は想定通りだったとのことです。ただ、原因となるブラがまだある可能性もあるので、再発もありえるとのことでした。もしそうなれば、再手術が必要かもしれないとの話で終わりました。
夕食の時間まで一緒に付き添い、もう一人で起き上がって、少しは手術創が痛むようでしたが、自分でできると言うので、後は夜勤ナースに任せて、わたしたちは、病院を後にしたのでした。

 それから、2週間後。
再発したとの連絡が入りました。そして、後々のことを考えれば、手術で根治しておいた方が良いと、本人が決めたので、わたしたちもそれを受け入れることにしました。
今回も手術同意書を持って、駅からタクシーで病院に向かいます。妻と病室に入ると、息子は、かわいい女性と一緒でした。
『こりゃまずいところに来てしまったか』と、……。彼女は、大学の……、同じ吹奏楽部の……。はいはいです 笑。

 予定された手術は、滞りなく終わり、ストレッチャーで病室に戻ってきました。わたしと妻は、それを出迎え、息子がベッドに横たえられるのをただ黙って見ているだけです。そのとき妻は、母でした。母の暖かい気持ちが伝わってきます。わたしは?というと、父というよりは、ナースたちの仕事の手際を見ていたのです。
『こういう仕事は、持ち帰って取り入れられるか検討しよう』
『こういう設備があるのか。最新だな』
ったく困ったものです 笑。

 その日も夕方まで付き添い、翌朝も前回同様、面会時間開始とともに病院に入りました。息子は、まだ麻酔の後遺症があると言いましたが、これで終わったということで、ほっとしているようです。妻はいつまでもいたいようなので、ときどき出入りはしましたが、夕方近くまで着きそうことにしました。そして、
「お金のことは大丈夫。全部めんどうみるから。それよりも、……きょうも来るんだろ?……あの娘」
息子は手術創が痛いのでしょう、少し苦しそうに笑っています。

病室を出たところで わたしたちは、その彼女と絵がおで会釈し、帰途に就いたのでした。
『後は任せたよ』


乗鞍高原へ 2009年11月22日

 今月22日は、日曜日。そしてその翌日は祝日でお休み。妻に旅行に行こうと提案したのは、先月のこと。

 少し時間を巻き戻して……。

 その日、わたしはいつものように仕事をしていました。時間は午後3時。そこに、わたしに電話。妻からで、折り返しかけてほしいとのことでした。

「もしもし」
「あなた、おかあさんが亡くなったの」
「そうか。わかった」

 義母は、難病にかかり、不自由な生活を過ごし、そしてここ数年は、寝たきりでした。わたしも妻も、そういう日が来ることを口にこそ出しませんでしたが、覚悟はしていました。でも、いざ、その日が来てみると、死を受け入れるとか、受け入れないとかといった心のプロセスとは関係のない、もっとビジネスライクなこと、通夜をどこでから始まる“きめごと”に追いまくられる日々となったのでした。
何もカニもが初めてのことばかり。どうして良いのか、妻に聞かれても答えられないことばかりです。自宅でなら、パソコンで調べることもできたでしょう。それが、妻の実家や、出先ではどうにもなりません。また、仮にインターネットで調べることができたとしても手に負えないことがたくさんあったのです。それは、“義母さんの住む地域ならではの慣習”です。
妻の父は、すっかり元気がなくなり、全てを妻とわたしに任せて自室に閉じこもりがちになっています。親戚や近所の人たちもたくさん駆けつけてきてくれています。とにかく、そういった方々の力を借りて、二人で乗り切ろうと、……。それだけを決めて……。あっという間の35日でした。

 義母は、50代で難病にかかり、20年近くを不自由な身体で過ごすことになりました。移動の手段も2000年からは、車椅子です。なので、車椅子が楽々に乗るタイプのクルマに買い換えました。妻の実家に行っては、義母を乗せて、買い物に行ったり、ご飯を食べに行くこともして、たまぁには温泉宿にも行きました。こういうとき、やはり大きめのクルマは良かったですね。
が、もうそういうニーズがなくなりましたので、燃費もあまり良くないし、ずっと小さな車体のハイブリッドタイプのクルマにしたのです。今回、それに乗って、ちょっと遠出。疲れた身も心もリフレッシュしたい。そういう意味では傷心旅行ってことになりますね。

「どこに行こう?」
「秋の行楽シーズンもそろそろ終わるよね」
「紅葉は、人を呼ぶわね」
「この際だから、紅葉が終わっちゃった所ってどう?」
「えっ!?」
「長野県乗鞍高原はどうかな。紅葉終わってるから、観光のピークも過ぎてると思うし……」
そうして、あっさりと決まったのでした。

『やはり交換しなくてはならないな』
そう思うのだけれども、今、痛みを抱えているこの肩と腰にあまり無理はかけたくありません。ではどうするか?やはり頼もう。そう決めて、クルマにスタッドレスタイヤを積んで、ディーラーに持ち込んだのでした。

 新しいクルマを運転するのは妻です。わたしは、助手席。プレゼントというには、あまりにもささやかかもしれないけど、彼女が大好きな福山雅治さんのCD。それも94年にリリースされたアルバム ON AND ON。これをBGMにしてのドライブとしたのでした。

 山間の延々と続くなだらかな登りは、総じてリッター22キロ前後。まずは上場の出だしでしょう。さすが、ハイブリッドって、こんなに燃費がいいんだと思いました。
いよいよ道は、左右に大きくなったり小さくなったりを繰り返す曲がりくねる上り坂になりました。妻なら、5、60キロをキープしてすいすい走り抜けることのできるどうということのない道です。そこを通りぬけると、今回の最大の登坂コースがやってきます。急な上り坂が延々と10キロも続きます。最大斜度は12%にもなるという峠に向けての上り坂。
「強いぞ、こりゃいける!」

 時間は、午後4時を過ぎています。回りが急に暗くなってきました。一年でいちばん日の入りが早い時期です。もうまもなく日没でしょう。そして標高もこの辺りは海抜千メートルぐらいです。とうとう来ました。さっき降り出した雨が、雪に変わりました。

 ガストホフ千石。
今回お願いした宿です。

 クルマを駐車場にとめ、降り出した雪の中、妻と小走りに入口へと向かいます。
きょうはゆっくりしよう。そう決めてチェックイン。部屋に入ったのでした。