春の京都 2003年 4月13日
大阪 2003年5月2日
横浜 2003年7月20日
Yahoo!の路線で列車を調べてみます……。
「朝07:28にたてば、10:10に京都着かぁ。
京都を17:08にたてば、19:50に戻ってこれるのだな。
7時間京都にいられるってことだな」
洗いざらしのブルージーンズに、ライトイエローのザックリとしたトレーナー。それにベージュのジャンバーを着て、ポケットに財布と障害者手帳と、デジカメ。手には白杖を持つだけです。
ありがたいことに妻と、下の子が一緒に行ってくれることになって、うれしさ百倍です。
京都に着いてまず向かった歯、東の方。
清水坂(きよみずざか)は、11時少し前。たくさんの観光客が登っていきます。みんな清水寺を目指しているのでしょう。そんな雑踏の中、妻がしっかりとわたしをガイドヘルプしてくれます。
今年4月で、出会って丸20年。ずっと一緒に歩いてくれてます。
始めの頃は、それほどガイドヘルプをしてもらわなくても、どうにかなっていました。そのうち、眼疾が進行して、白い杖をついて歩かなければならなくなりました。同じ眼疾の知り合いの中には、「大丈夫」と意地を張って、障害を認めたくなくてでしょう、杖をつかずに歩いて、人や物にぶつかったり、溝や川に落ちてけがをすたりもありました。それを見て、悩んだ時期もありましたね。だけれども、わたしはそういう目には遭いたくない。だから、わたしは杖を使いますし、妻に頼っているし、これからも頼り続けます。
わたしと妻が歩いていくのを見て、「こんなに速いガイドヘルプを見たことがない」と、言ってくれた人がいました。と、それくらい息のあった関係みたいです。わたしと妻は。
わたしと出会って、『変わった』と、妻は言います。わたしも変わったと思います。でもそれ以上に妻は変わったと言います。わたしは、そんなに影響してしまったのかな 笑。
清水坂を登りきる少し前に、ふと見つけたソフトクリーム屋さん。わたしと妻の『食べたい』の気持ちが、ピタリと足を止めてしまいました 笑。
朝、家を出た時は、しっかり寒かった。京都駅に降り立った時も、少し肌寒さがありました。でも、清水の坂を登りくるうちに、ジワーッと…。わたしは抹茶ソフト、妻は桜ソフト。子供はコーラ。一気に登ってきたことで身体が少し熱い。それを冷たいソフトがスーッと沈めてくれました。
清水の舞台からの景色は、暑いとさえ感じられる日射しと軽くて気持ちのいい風、すっかりほころび始めた新緑と、満開の桜、ちょっと散り始めでした。これだけでも、なんだかすんごく得したって、気がしますね。
子供は、ソーダ味のコンペイ糖があるって聞いていて、それを探したいと、おみやげ屋さんを次から次へと巡っていきます。
わたしと妻も、「ここかな」、それとも「こちらかな」と、坂道の途中途中で、立ち寄ってみては、探してみますが、見つかりません。
リンゴ味とか、ラムネ味とか、いちごやメロンは、ありまして、結局、それらを少しずつ買ってきちゃったんだけど、(笑)、当のソーダ味は見つかりませんでした。
コンペイ糖って、子供の頃に食べた、甘いだけの砂糖菓子かと思っていました。今は、いろいろな味のバラエティがあるんだね。
「食べてみる?」と、子供が言うから、「じゃあ一つ」と、もらって食べてみます。
いろいろと食べてみて、ほんと、なるほど〜と感心しちゃいました。
清水坂から、高台寺に向かう細い道に踏み込みました。すると、それまでの清水寺周辺の圧倒的なにぎやかさとはうって変わって、歩く人もまばらな、安らぎの小路となりました。
「みんなこっちに行くみたいよ」
「ふうん、でもこっちにしようよ」
すると、ますます人がいなくなります。
「ねえ、これ」
通り過ぎかかって、はたと足を止めます。
「あんみつ…」
「入ってみよう」なんかいい雰囲気。
「桜あんみつってあるわよ」
「へぇ、季節やなぁ。うん、それがええわ、それにしよ」
日だまりの中、ちょっとした和風な空間に木のベンチ。時折柔らかな風が吹いてきて、カラァン コロォンと、竹でできたのれんのような飾りが、気持ちのいい音色を奏でています。なんともいい感じです。
丸山公園。そして八坂神社。
忘れもしない、わたしと妻の思い出の場所。20年経った今。またこうして歩けるなんて…。(しみじみ妻に感謝)
めやみ地蔵をご存知でしょうか。
八坂神社から、四条通りの南側を西に向かって、数百メートルくらいかな、四条大橋から150メートルほど手前の所に、ひっそりとした空間がポッカリと口を開けています。そこに入ってみると、めやみ地蔵尊がまつられています。いわれについては、京都観光HPを参考にされたし。
今では、眼病に霊験あらたかということで、目の病に悩んでいる人、苦しんでいる人たちがお参りにくるようになっています。わたしも30円奉納して、ろうそくを立て、線香をお供えしてきました。
たった7時間ほどだったけど、ゆっくりと、たっぷりと京都を味わえたかな。こういうお気楽な旅をまたしたいな。
大阪環状線外回り、ちょっと思い出の桜ノ宮。いったい何が思い出なんでしょうね 笑。
そして大阪城公園を過ぎて森ノ宮。ここを降りてみるのは、たぶん初めてかな。丁度お昼だし、何か食べようかって、駅前交差点を渡った所にある、創作料理のお店に入ってみます。創作料理ってぐらいだから、大阪独特の味付けで、大阪ならではのレシピでいただけるんじゃないだろうかの期待と怖い物見たさで入ってみます。
「こちらにどうぞ」と、案内されたのは、いかにも"食堂"といったふうの木のテーブルと椅子。椅子を引くと、カラカラって、昔なつかしい音がするじゃないですか。
「ランチ二つ」
出てきたのは、ご飯とみそ汁。肉と野菜の炒め物と、里芋の煮付け。それにほうれん草の白合えと、漬け物の小皿。
創作料理というより、いつものご飯という雰囲気かな。味付けはやはり、大阪風でしょうね。丁度お昼ということもあって、店内はあっというまにお客でいっぱい。ほとんどが、ビジネスマンとか、OLとか…かな。
5月2日。連休谷間の平日なんだよね。今日は。
お腹もふくれたし、予定の時間までまだ少しあります。
「大阪城公園を歩いてみたい」と、妻の希望。
目的地へさっさと移動してしまいたい気もしないではないけど、やっぱここはサービスしとかなね。少しはよゆうを見せとかないかんでしょ。
「それじゃあ」と、交差点を渡って、公園内に入ってみます。と、すぐ。
「あっ大阪城が見える!」
カメラを構えてみます。最大ズーム……でも、それでも被写体は小さい。とりあえず数枚シャッターを切ってみます。しかし、後で見てみて、ボツ写真!でした 苦笑。
この日の大阪、いったい何度あったのだろう? 歩き始めてすぐ、汗がにじんできました。大阪城には、以前にも来たことがあります。あの時も5月の連休ではなかったか? もしかして15年ほど前だったか?あるいはもっと前のことだったか? しかもあの日も晴れて暑い日だったことを思い出します。
わたしの旅行には、なぜか、雨があまりありません。いつも晴れてるか、降って手もやんでしまうことが多い。いわゆる晴れ男なのだとわたしは思っています。それとも妻が晴れ女なのだろうか。とりあえず晴れ夫婦としておきましょう。
『今日の思い出も晴れの1ページとなりそうだな』
そんなことを思いながら公園内を妻と一緒に歩いていきます。
噴水を通り過ぎ、木立の小道をしばらく、お堀の横を歩いて、階段を登って、少し。見えました。大阪城です。デジカメを構えてみます。今度は大丈夫です。ちょっとのズームで、きれいに入ります。なかなかいい写真が取れました。
時間も1時を回ったことだし、そろそろ戻りましょうかと、今来た道を逆戻り、地下鉄森ノ宮駅から、大阪市営中央線・生駒行で荒本へと……。
大阪府立中央図書館・対面朗読質で、点図ディスプレイを体験させてもらう。これが、この日最大の目的。このことのために、わざわざ職場に休暇届けを出して、はるばるとやってきたのです。
『どんなんだろう。もしかして、かなり使える物かもしれない。いやいや、あまり期待しないほうがいいかもしれない。……』
気持ちは大阪城をとっくに離れてしまっています。
『早く行って使ってみたい。たった2時間ほどしか使える時間がない。もし、予定外のことが起きたらどうしよう。そのためにも、……』
1時40分。待ちに待った府立中央図書館に到着。
本日のメインイベント。点図ディスプレイ体験。
地下鉄中央線荒本駅から出てみると、騒音の嵐。
ドンドン!ガンガン!ガタガタ!バリバリ!ビリビリ!ドドドンズシーン!ドドドドガーン!ドドドバシーン!ドドドド……
妻に聞いてみると、ビル工事らしいとのこと。わたしは、この騒音の中、一人だったら無事に目的地に着けるだろうか?自分の突く白杖の音さえまともに聞こえないような状態です。せっかくの音響信号機の音も騒音に打ち消され、それが鳴っていることさえ分かりません。近づいてくるクルマさえ分からないかもしれない。駅を出て図書館までの500メートルぐらいの間が、延々とこんな調子です。騒音がどれほど危険なものか。これを感じることは、一般の人にはない感覚でしょうね。
大阪府立中央図書館 対面朗読質。入ってすぐ、杉田正幸さんが、出迎えてくださいました。視覚障害者関連のHPのリンク集に、必ずといっていいほど見かける、知る人ぞ知る杉田正幸さん。初めてお会いしました。ソフトな声質。優しい口調。いい雰囲気の方ですよ。
さて、…
点図ディスプレイは、およそ想像シていたようなディスプレイ面の大きさでした。
『なるほど、ここを触れば、図形を触知できるのだな』と、さっそく説明を待たずに手を指を動かしてみます。
横が20センチ、縦が15センチほどのディスプレイ面は、充分な面積と感じました。ところがです、それほどの面積にも関わらず、ピンの数が横64ピン、縦が48ピンだったのです。
『なんと少ない!』
一瞬、そう思ってしまいました。でも、よくよく考えてみれば、これでも総ピン数は3,000本を越えています。技術的に考えてみてください。3,000本のピンの出入りをリアルタイムで操作するなんて、ものすごくすごいことです。
わたしは、いったいどんなディスプレイを期待していたのだろう。640×480?30万本?バカな! 期待しすぎて、現実が見えなくなっていたことに気がつきました。
『ったくしっかりしろよ。わたしらしくもない…』
昔々のPC-8001の疑似グラフィックで、160×100ドット。FM-7で、320×200ドット。そんな粗っぽい画像でさえ、まったく描画しきれない。それでも、技術的には、とてもすごいことをしています。
『うっかりしてた!』
およそ2時間の触知体験。まず、ポケットから3.5インチフロッピーディスクを取り出し、それをスロットに入れます。そして、次々と入れてある画像を画面に呼び出しました。ファイルは、写真や、イラスト、地図画像です。
写真は、人物を写したものです。ディスプレイを触ってみましたが、背景と人物の区別がほとんどつきませんでした。
イラストは、線の部分がポップアップしているので、線だと分かるのですが、○や▲などの単純図形なら、触知可能です。しかし、風景のような複雑なものになると、お手上げでした。
そして地図。これがいちばんの目的。私の住む地元の地図です。知っている道が出ているはずなのですが、指をディスプレイに当ててみてすぐ、さっぱり読めないことに気がつきました。
手応えは、敗北!でも、とても勉強になりました。粗い解像度の画面で、ずっと詳細な解像度の画像を見ることは不可能なのです。テレビで、誰かにインタビューしているとき、顔を隠すためにモザイクをかけて誰でアルカ判別できなくする加工がありますよね。あのような感じと思っていただければいいかと思います。
点図ディスプレイ、事の次第がよぉく分かりました。いつか、もっとお手頃なお値段になって、単純図形を見るというニーズがあるとしたら、購入を考えてみましょう。
OCRだって、たった10年ほどで、200分の位置以下のお値段になったじゃないですか。点図ディスプレイだって……。
この、世界に5台しかない点図ディスプレイは、いくらだってか?
う〜む、1/500なら、考えるかもしれないね。(うんうん)
杉田さんに、とても有意義だったことに感謝して、大阪府立中央図書館を離れたのが、まだ昼の暑さの残る4時半頃。来た道を戻って、大阪市営中央線の荒本駅。電車を待つことしばらく……。
「点図ディスプレイって、そもそもはNASAとかいって宇宙関係らしいんだけど、人工衛星の動きを監視する全盲の研究員のために開発された物らしいよ。」
「フーン……。」
とか言っているうちに電車が入線してきました。
乗り込んでみると、案外お客がいない。椅子に腰掛けるやいなや、列車は加速を始め、あっというまに地下トンネルに吸い込まれていきました。
「この電車、コスモスクエア行きだって。」
「フーーン……。」
さっき乗った森ノ宮駅を過ぎて、どれくらい駅を行っただろう。地下鉄が、突如地上に出ました。車内アナウンスが、「次は大阪港」と、告げます。
「ここだね、降りよう。」
大阪には、何度か来ているわたし。でも、ここは初めて。どこに向かえばいいのか、さっぱりわかりません。駅構内の地図を見て、妻にガイドしてもらう以外、どうにもなりません。
とにかく、こっちだろうの当たりをつけて、ホテル目指して、ひたすら海の方に向かって。テクテクテクテク…。
「あっあったわ。」
1Fを入ってみると、2Fへのエスカレータ。そこを上ってみると、ホテルのカウンターがありましたよ。
「予約してました……です。」
「はい、インターネットでご予約の……様ですね。」
「プリントアウトしたものを持って来ましたが…。」
「はい、よろしければいただけますか。」
「ええ、どうぞ。」
ここは、妻が見つけてくれた、ホテルシーガル。いわゆるリゾートホテルでしょう。決して安くないホテルだと思うんだけど、たまたま、5月の連休に合わせて、格安プランが設定されていたんですよね。見つけてすぐ、「ここにしよう」即断でした。
全室オーシャンビューのホテルシーガル。909号室は、ツインのリラックス空間でした。
入ってすぐ、靴を脱ぎ捨て「ワーイ!」と、ベッドに飛び込んだのは誰?
「気持ちよかぁ」と、言って、ベッドの上をゴロゴロしたのも誰?
(笑い)
「6時前だね。食事までまだ1時間以上あるし、ちょっと外、歩いてみようか。」
ホテルを出て、まずは、すぐ横の海遊館(かいゆうかん)の前を通り過ぎ、天保山ハーバービレッジのもう一つの目玉、大観覧車へと向かいます。
「ねぇ、一周 どれくらい?」と、わたし。
「15分よ」と、妻。
少しずつ上がっていくゴンドラから、周りを見てはしゃいでる妻。
「そうか、ということは、角速度が、24度毎分ってことで、…」と、ぶつくさ言ってるわたし。
「ねぇ、あの大きな橋は何かしら。」
「…えっ!あっ!さて?何でしょう… そうだ写真 とろう。」
ゴンドラの中をあっちに行ったり、こっちに行ったり、右見てぱしゃ、下向いてパシャ、パシャパシャ…。
「そろそろ頂上よ。すごぉい〜、ねぇあれ、ユニバーサルスタジオよね。」
『由美ばあさんスカシッペ』などと、思っても、口には出さず、「フーン」と、一人にやけてる。(笑)
観覧車横の天保山マーケットプレースに入ってみて、ブティックを見て回ってみます。途中で、たこ焼き屋を見つけて、さっそく買い求めて食べながら、くつろいでるわたし。
「夕焼けよ、きれいねぇ。」
『夕焼けよりたこ焼けがうまい』などと、黙ってにやついてるわたし。
「タコ食べるか?」
「うん、じゃあ一つ。」
そうそう、コンピュータ手相占いがあったんです。
さっそくスキャナに言われるままに、妻は右手、わたしは左手を乗せちゃったんですよ。
1枚300円と引き替えにもらったプリントアウトは、「当たってる、どうかな、いいんじゃない」と、夕食の話題のおかずになったことは言うまでもないことです。
大阪市港区 天保山ハーバービレッジのマーケットプレースを出たときには、あたりはもうすっかり夕暮れ。この日、27日からの大型連休とはいえ、2日は、平日気分です。午後7時、海遊館前の遊歩道にももう人の姿もまばらです。
「さあ、食事に行こうか。」
歩いていく遊歩道には、一般に言う“街灯”がありません。その代わりに、“脚光”が足元を照らしているようです。これも、エクステリアデザインというやつでしょうか。きっと、幻想的な雰囲気に照らし出されているのかもしれないですね。
大阪府泉佐野市のホテルシーガル2Fのレストラン 「ガビアーノ」。
「予約の……ですが。」
「はい、2名様ですね、こちらへどうぞ。」と、海の一望できる席へと案内されます。
メニューを見て、あれこれ迷うのも楽しみの一つです。
「ねぇ、ファミリーセットってあるわ。イタリア料理のコースみたいよ。」
「それがいいね。それにしよう。」
手渡されたメニューの中から、妻はロゼワインを、わたしは赤ワインをオーダーします。なんとかって銘柄…、忘れちゃったな〜。
「かぁん・ぱい!」
カチーン!
「ワインを傾けながら、二人でイタリアンディナーなんてな。」
「子供が大きくなってくれたからね。」
「ふんふん」
料理はどれもおいしかった。そして最後に出てきたデザートが、おいしかったんだな、これが。
ものは、ちょっと固目のオレンジムース。
「おいしい。」
「うん、おいしいね。ねえ、たまにあるこの粒々は何だろう。 …… あっ!わかった、これって粗挽きコショウだよ。」
「……」
そうなんです。オレンジムースに粗挽きコショウの粒が、ちょこっと振りかけてあって、これがいいんだな。絶妙の隠し味ってこれのことだね。
「ご注文は……」
午後9時を回って、ホテル最上階のバーは、静かなジャズと、やわらかな光線にライティングされた、落ち着きのスペースです。窓からは、港と海が一望でき、その向こうにライトアップされたUSJも見えています。バーで一杯やりながら、静かに語らいのひとときを過ごす。少しは板についてきたかな。(笑)
「ご注文はいかがですか。」
「ああ、ありがとう。 ごちそうさま。」
大阪の夜は更けていくのでした。
カーテンごしに今朝は晴れているだろうことがわかります。
「おはよう」と、声をかけると「おはよう」と、ねむそうな声が返ってきます。
「今何時だろう? 時計は… 7時を回ったところか。」
よく眠れた。ベッドの寝心地もよかった。ベッドに横になって、おそらく数秒で眠りに就いたのだろう。
昨夜は、強いお酒を飲んだんだった。家に帰る必要がないというのはそれなりの飲み方もできていいのだ。そういえばドライマティーニは飲まなかった…。もう一杯飲んでみてもよかったかな…、などと考えながら、ぼんやりとした頭をはっきりさせようと、洗面台の前に立って水道の蛇口をひねってみます。
シャーッという水の音。そして手を突っ込んでみると、冷たさが気持ちいい。だんだん目が覚めてくる、そんな感じでした。
朝食はバイキング。パンと目玉焼きと、サラダとコーヒーを妻に持ってきてもらいます。特に代わり映えのしないいつものメニューでわたしは全然OKなのです。あえて言うなら、コーヒーはブラック。ノンシュガー、ノンミルク。これをできたら2杯飲みたい。これでスタートの気分になるから単純なものです。
ホテルをチェックアウトして、大阪市営中央線で阿波座駅。そこから大阪市営千日前線に乗り換えてなんば駅。到着したのは9時を少し過ぎた時間でした。
「わかる?」と、聞いてみる。
「うん、たぶんわかると思う。」と、妻。
難波あたりは、中学高校と、親やおばさんに連れられてよく来た思い出があります。高島屋、日本橋、道頓堀、グリコの広告のランナーや、動くカニとか、何かわからないけど、ポイントごとの風景やざわざわした音や厚さや人混みの記憶の断片がたくさんあって、それらが繋がりもなく、まったく雑然として頭の中に"ある"のです。思い出が断片となっているのは、自分できたんじゃなく、いつも連れられてきていたからなんだろうね。大人になってまた来た。けど、こうして目が悪くなって、また連れられてきてしまうことになってしまった。わたしは、この場所を整然とした地理感覚を持って理解できるようになることがあるのだろうか?地理感覚、地図の理解、今どこにいるのか、どこに向かっているのか、どのくらい移動したのか、自分の手の届く範囲をはるかに超えた広がりを理解するための視力がないというのは、本当に情報の障害だなと思う。やはり、点図ディスプレイは、もっと手の届くテクノロジーになってくれないといけないな。そう思いながら、妻と歩いていたのでした。
「あったわ。難波グランド花月。どこから入るのかしら…。」と、歩いてすぐ……
「あの、インターネットで予約した者ですが。」
「はい、こちらへどうぞ。」と、予約チケット販売のコーナーに案内されました。
今回のミニ旅行のもう一つの目的。それがここ、吉本興業のお笑いを楽しませてくれる難波グランド花月です。いっぱいわらかせてやぁ、楽しませてな、そう思って吉本のホームページで、予約を取ってまで来たんです。
指定席に座るやいなや、「たこ焼きとお茶とビールはいかがですか。」と、売り子さんが通りかかります。
「たこ焼きひとつください。」
開演までのひととき、よっしゃ食べ足る。そ思うて声をかけてしまいました。(笑)
「うん、これなかなかいけまっせ。うまいがな、どや、たこ食べるか?」
「ええ、もらおうかな。」
「どや、おいしいやろ。」
「うん、タマゴ風味でおいしいね。」
(笑)
9時45分、海原やすよともこから始まって、次から次へと笑いのスターたちが登場してはワッハッハ、アッハッハの連続です。
オール阪神巨人はさすがやぁ。おかしくておかしくて、もう腹かかえっぱなしです。笑うって、ほんまええことや。なんか体中がほぐれてしまったような感じになってしまいました。
出し物のトリは吉本新喜劇です。
今回は、テレビどりということで、「カメラの前に立たんといてやぁ」とか、「マイクに触ったらあきまへんで」とかの注意が、出演の若手からあって、ついでに拍手の練習まであったんです。これはこれで、いい体験でしたね。
それにしても、おもしろかった〜。あっというまの2時間半。たっぷり笑わせてもらいました。
大阪に来て二日目、天気はしっかり晴れ。
難波グランド花月を出て、まぶしい日射しの中、朝よりずっと人通りの増えた中を高島屋に向かって歩き始めます。わたしを誘導しながら歩かなくてはならない妻にとって、この混雑はたいへんです。でも、もっと混み合って人があふれかえってる難波を知ってるわたしにとっては、「このくらいはまだ序の口」なんて気休めにもならない言葉をかけたりしてみます。しかし、人混みの中を歩くとは連れる方も連れられる方も互いに疲れることにちがいはありません。
連れられるわたしにとっては、白い杖の無力化を思い知らされます。一歩先を知らせてくれることもできないし、視覚障害者であるとメッセージする役目も果たせず、ただ手の中にあって、なんの頼りにもならない棒になってしまいます。
人をかき分けかきわけ、高島屋前に着いたわたしたちを待っていたのは、さらなる大混雑でした。街を歩く人たち、路上の売り子さんたち、どこを見ても約束の待ち合わせ場所の彼女が見つかりません。
そもそも、どこがその待ち合わせ場所なのか?ピンポイントで合っているのかさえ分からないのです。田舎から出てきたわたしたちにとって、見渡す限りの人の群れというのは、それだけでも充分な迫力を持って、圧倒してくれます。
探そうという気力をさっさと放り出してしまったわたしは、ケータイを取り出してピポパポ。そして妻へと手渡します…。
「もしもしRチャン? 今どこ? うん…、そう…、わかった。あっ来てくれる。」
大阪を離れるまでの数時間をどうしようかと迷ったわたし。難波あたりを散策するというのもいいかも?それとも、もっと遠くへという案もあったのです。でも、相当の人出が予想されるなって思ったわたしは、難波にとどまるも、どこかに足を延ばすも、きっとたいした収穫もないだろうことを、疲れるだけになってしまうかもしれないことを予感して、ここは、妻の高校からの親友で、大阪に嫁いでなかなか会うことのなくなったRちゃんとの旧交を温めることにしたら?との時間の使い道を提案してあったのでした。
まもなく現れたRちゃん、妻とさっそく歓談が始まります。
とりあえず地下街へ移動して、三人でお昼、それから喫茶店へと場所を変えてアイスコーヒーを飲みながらのおしゃべりに花が咲きます。
アイスコーヒー。大阪あたりでは「レイコ」と言います。「冷たいコーヒー」を縮めて「冷コ」なのでしょうね。
ストローを口に運びながら、目下の話題は、お互いの仕事のこと、そして子供のこと。ほとんど同じ時期に相次いで結婚を迎えたRちゃんと妻。妊娠出産も同じで、生まれたのが男の子というのも同じ。二人目も男の子というのも同じ。目指した仕事は違ったけれども、仕事を続けて専業主婦を選ばなかったことも同じ。まったく仲のおよろしいこと、この上なしです (ニコニコ)。
ただ二人を大きく分けたのは、恋愛期間を経て、田舎に留まり続けているわたしの妻と、彼女の夫の地元である大都会、大阪に嫁いだRちゃん。…ということかな。
話題はつきません。主婦として、妻として、母親として、仕事を続けることなどなどが楽しく語られています。わたしはというと、それを聞きながら、たまに合いの手を入れるぐらいが当座の仕事… みたいなものかな (笑)。
結婚して、“彼女”が、“妻”になって、嫁いで“しゅうと”がいて、子供ができて“母”になっても、仕事を続ける“女性”をやり続けること、“職場”の“人間関係”のことなどの心の本音?を聞くのも、また楽しいひとときです。
それでも否応なしに時間は来ます。
Rちゃんと妻は、「また」の約束をして、それぞれの現実“家庭”へと分かれていきます。
列車に乗り込んだわたしと妻。どっかりと腰を下ろして、楽しくてとても有意義だった大阪ミニ旅行をかみしめながら、
「楽しかったね。」
「うん、楽しかった。」
都会の喧噪から静かな車内。ふと気がつくと、車窓は、……。
「ねえ、カメラ出して」と、妻。
「えっ!あっそう」と、わたし。
二人とも大阪を出て、まもなく眠ってしまったらしい。ワゴン車が来たら、コーヒーをとどちらからともなく、そう言って決めていたのに、時計を見ると、90分ほどの時間が流れてしまっているのです。
外は夕暮れ。大地の黒、太陽のオレンジ、地平線から空に向かって青から黒へのグラデーションがきれいです。 車窓からは、今落ちようとする瞬間の夕日が見えているとのこと。所々で建物などに視界をさえぎられる中でようやくシャッターを切ったのでした。
ちょうどワゴン車が通りかかってくれました。
「コーヒーを二つ。」
20日の朝 7時38分。ジェット機の扉が閉められ、まもなくほぼ満席となったBoeing767-300が滑走路に向かって動き始めました。わたしと妻は、1-CとD、つまり一番前の左右を通路に挟まれた、3席のうちの2席に座ることとなりました。座席はいつも一番前か、その次になることがほとんどです。これは、身障手帳で割引をお願いしたからなのでしょうと思います。
いつのことだったか、手帳を使わずに搭乗したら、白杖をついて乗ってきたわたしに、搭乗手続きの時に、目が不自由だと言ってくださいとおこられちゃいました。おこられたというのは言葉のあやで、そういう客だってことなら、それなりに搭乗から降りるまでをサービスしたいからってことなんでしょう。それからは、一応、そういう者ですと、告げておくことにしています。
滑走路のスタート位置あたりに来て、機の方向がゆっくりと回り始めたところあたりから、そろそろかなと、期待に胸が高鳴るのです。
ジェットエンジンのうなりがグーンとなり、ダッシュさながらに急発進!
滑走路の終わりめがけてぐんぐん加速していきます。座席の背もたれに押しつけられていた頭と体を起こしてみるが、ふっと気を抜くと、あっというまに背もたれに引き戻されてしまいます。わたしは、この加速度感が好き。
そして滑走路の終端近く、離陸の瞬間。Boeing767-300。288人ものお客を乗せて、最大131トンの重さが、空に向かって一直線に突きささっていくんです。すごいパワーですよね。いつも、すごいと感心しているんです。見えればきっと、真後ろに飛び去っていく窓の外の風景が、グイッと30度ほど傾いたかと思うまもなく、どんどん下へと吸い込まれていって、すべての見える物という物が小さく小さく、どんどん小さくなっていく。そんなふうなのでしょう。
空へと飛び上がった機は、高度を上げている間も767の巡航速度である時速880kmを目指して、ぐんぐん速度を上げていっているはずです。重力加速度プラス、機の加速度で、シートの後ろ側に体がめり込むような感触。この加速度が「か・い・か・ん」なんですよねぇ。
そのようなこのようなを味わっているうちに、機は予定の高度に到達します。23,000フィートと言っていたでしょうか。メートル法では7,000メートルぐらいでしょう。水平飛行になって、ベルトサインが消えました。
「お飲み物はいかがですか?」と、スッチーさんがワゴンを押して通路に出てきます。今は、スチュワーデスと言わずに、キャビンアテンダントというようですね。
機内アナウンスで、東京は曇りと知らせてくれます。まだ梅雨明けのない東京地方は、出発の日の朝の予報でしっかり「雨」となっていました。わたしも妻も傘は持っていません。 だって晴れ男と晴れ女だもんね。晴れ夫婦だものさ!
だから「傘」はいらないとしてしまうノーテンキさは、どうしたものだろうか。(笑)
水平飛行でいられたのも、わずかに20分。熱いコーヒーを飲み終わる頃には降下が初まり、そのうちガタガタと揺れたりもあったけど、おおむね快適な空の旅は、定刻通り、羽田空港に着陸したのでした。
停止場所は、ビッグバード23番って言ってたかな。扉が開けられ、一番に飛び出したわたしたちは連絡通路を通って、向かうは一路、京浜急行です。
今回の旅のそもそものわけは、お見舞いなのです。
その方を見舞うために、はるばると飛んできたのです。
そして京急に乗って、ゴーウェスト。横浜を越え、横須賀も越え、三浦半島の突端近くまで、その方を訪ねて行こうというのが、この旅の本来の目的なのです。
「がんとは何であるか?」
『腫瘍』とは『本来、自分の体内に存在する細胞が、自律的に無目的にかつ過剰に増殖する状態』をいっています。腫瘍は、一般的に良性腫瘍と悪性腫瘍に分けられています。良性腫瘍が、その個体の生命を奪うことがほとんどないのに対して、悪性腫瘍は、放置しておけば、その個体の命を奪います。がんは、悪性腫瘍に分類されています。
では、なぜがんが発生するのか? 正常な細胞が、なぜ人の命を奪い取る細胞に変わってしまうのか?
それは…… 、をこれ以上書いていくつもりはないので悪しからずでお願いしますね。
「いつから? 何か症状のようなものがあったんですか?」
去年の暮れぐらいから咳が出て、風邪かなって思って風邪薬を飲んだりしてたんだけど、1ヶ月たっても治まらないし、喉のあたりもヘンだなってことで、咽喉科を受診してね、ファイバースコープまで入れて見てもらったんだけど、何もなくってさ。ただ痰がちょっと多いねで、はいおしまいになっちゃってさ。」
「痰は取られたんですか?」
「いや。それで一ヶ月ほどして、全然良くなるどころか、どんどん症状が強くなってくるしさ、胸のあたりが何かヘンでさ、また病院にかかってみたら、内科だろうってことで、レントゲンやCT撮ったりしてみても、何もないから気のせいでしょうで片づけられちゃってさ。そうかなって納得したというか、させられちゃったというかな。」
「そうですか……」
「夜が寝られなくなっちゃってさ。呼吸が苦しくなって、こりゃやっぱだめだよってことで、もう一度受診してみたんだけどさ。じゃ今度は呼吸器科でしょってことで、そちらへ回されて、ファイバースコープって、肺にも入るんだね。でさぁ、右だよとか、下だよ下、あっ違うよもっと上だよとかって言ってるんだよ。聞こえるんだよ。そしたらさぁ、あっこれだよ、がんだよ。こりゃだめだよ、穴あいちゃってるよ。だめだねなんて言ってやがってさ、…」
「肺気腫ですね。」
「あっそうそう。それだよ。」
「左の肺ですか?」
「右。右の肺の入り口すぐらしいよ。そこにこれぐらいのができちゃってさ、で穴まであいちゃってさ、呼吸が苦しくなるわけだよ。起きてるとそれほどでもないけどさ、寝ると苦しくってさぁ…」
「今は…」
「もう塞がってるらしいよ。」
じゃあ良かったですね。それにしても何ヶ月も診断がつかなかったってことですね。」
「そうだよ。4ヶ月もかかっちゃってさ。…」
…と、話はまだまだ続くのですが、大きな病院で診てもらっても、運が悪いというか、患者が呼吸器系の症状を訴えているというのに、なんで初めから痰を取って顕微鏡で見なかったのさって思うわけで、もしかして細胞診一発で、一気に確定診断へ持ち込むことだってできたじゃないのかななんて、病院の末席で働く一人としましては、人のことを言えた義理じゃないって、多少なりとも背筋の引き締まる思いで聞いてきたのでした。
とにかく、後は最善の結果となりますようにと祈るのみです。幸いなるは、もうレントゲンでは何も写らないようになっているとのことでしたので、このまま消えてしまってほしいと願うばかりです。
京急を降りる前までのそこは、雨だったそうで、わたしたちが着いた時には、明るい曇りかなぐらいでした。
がんを抱えたその方の胸のうちのいろいろを聞く。ただそれだけがわたしたちにできること。
聞いてあげるじゃない。ただ聞く。それしかできなかった…。
予定よりずっと長く話し込んでしまったわたしたち。4時間ほどもいてしまったのでした。久里浜からJRに乗って、妻と来てよかったね。きっと胸のうちのいくらかでも楽になったんじゃないのかなと、話をしながら時間を過ごしました。
「また来たいね。」
「そうだね。」
と、電車は鎌倉へと進んでいくのでした。
鎌倉。わたしにとってここは2度目。ええっと…、23年ぶりかな、たぶん。
あの時は、どこをどう歩いたんだろう。ありゃ全然思い出せない。所々の断片的記憶ってやつが写真の一こま一こまみたいにあるだけで、それが繋がらないんだな〜。鎌倉駅は覚えてる。それにずいぶんと歩いた覚えがあるな。大仏は覚えてるし、江ノ電も乗った。そして江ノ島を見た。でも……。
妻の希望は鶴岡八幡宮と大仏。それに江ノ電と江ノ島。
鶴岡八幡宮は、JR鎌倉から、そう遠くありません。歩いても充分行ける距離だし、いろいろなショッピングも楽しめるらしいとはいっても、時間にゆとりがありません。バスに駆け込み、170円の区間をショートカットとすることにしました(笑)。
着いてみると本宮はうるし塗り替え工事中で、残念でした。
そこで、若宮でパンパンと病気平癒の祈願をしまして、そのあたりの池を散策してみることにしました。
池には一面蓮が生い茂っていて、蓮の花も咲いていました。鶴岡八幡宮は、この池が見所で、源平池というらしいですね。それにしても蓮の花って時期があるのかな。それとも昼下がりには閉じてしまうのかな。咲いてはいたけど、満開じゃなかったんです。開き欠け?それとも閉じかけ?
源平池。一面、蓮に覆われた池の景観も立派だし、花も見事だそうですね。
妻に、池ぎりぎりのところまで連れて行ってもらい、大きな蓮の葉を触ってきました。一枚の葉の直径にして30センチほどもあったかな。すごいすごい。
バスでとんぼ返りして、JR鎌倉駅。そこから、江ノ電鎌倉は連絡通路一本で、電車を待つことしばし。
この日、このホーム、あっちを見てもこっちを見てもアベックばかりだったそうな。
電車を待つわたしたちのすぐ左にいたのが、これまたアベック。しかも、人目もはばからず、彼女になにやら…。
「あれ、ここ蚊に刺されてるよ。ここ ここ、」
「うん。」
「ここ ここ。ねぇ、ここにバツじるしつけとこうよ。こんなふうにさ。ここにもつけとこうよ。」と、しばらくひそひそというか、いちゃいちゃというかがあって…。
「ねぇ、さっきから触ってばかりじゃない。やん。」
「えぇ、そうかい?どこをだい?」
ってな具合で、電車が入ってくるまでずっと、こんな調子。年の頃なら、彼は25歳、にしてはちょいとお軽い感じだけどね。で、彼女のほうは、そうだね22、3歳ってとこか…。
ヒューマン・ウォッチング、ヒューマン・リスニングはおもしろいね。
さて、江ノ電は3駅ほどだったか、長谷は、鎌倉大仏もよりの駅。
「あっ覚えてる。覚えてるよ、この駅。」と、思わず口にしてしまったわたし。そう、23年前のあの時もこんな様子でした。電車を降りると、進行方向にホームの先が階段になっていて、そこを降りると、右に踏切があって、渡った先に改札口がある。そうだよ、ということは、この先は歩きにくい細い歩道しかない道ばかりのはず……。
やっぱりそうでした。わたしと妻が歩くと、どうしても横に並んでしまう。それだけでも細くて歩きにくい歩道だというのに、向かう人と、帰ってくる人とが、その狭い歩道にごったがえしているのです。だからなかなか前に進みません。
わたしは向かってくる人をよけられない。どんどんぶつかってくる。白い杖なんて役に立たない。ちょっと前にのばすと、前の人の足を突いてしまう。向かってくる人の足を引っかけてしまう。杖を蹴られる、ぶつかる、文句を言われる。つらい。
ようやくの思いで大仏にとうちゃぁく。今、来た道をまた戻るかと思うと、それだけで気がめいってしまうが、考えないことにしよう。そう決めて、大仏の周りをぐるり。そして、祈りのお参り。
大仏のような大きなものを手で触ってたしかめるわけにはいきません。
このくらいだよと、妻に手を持ってもらい、高さとかを指し示してもらいます。
昔の人は、よくこんなでかいものを作ったものだと、ひとしきり感心してきたのでした。
今回の旅は、かなり急企画で実現としました。
7月6日に情報が入ってきて、行ける日は?で、暦をチェックしてみます。すると、20日を外すと、後は、来月の24日ぐらいしかピックアップできません。それを外すと、10月までわからないとなってしまいました。
こりゃ、行くっきゃないなってなことで、およその旅程を決めて、妻にはホテルチェックと、予約フォームで予約押さえに、ついでに飛行機の往復も予約フォームで取ってもらい、わたしは、羽田空港からの交通手段をYahoo!の「路線」で、チェックして、移動の段取りを決めていきます。
旅のまるっきりをインターネットだけでするようになって、どれくらいかな〜。ここ2年は、まったくそんなふうになってしまっているかもです。便利になったものだと思います。でも、相変わらず音声ブラウザでは、手も足も出ないHPも増える一方だし、専用のツールをダウンロードしてセットアップしないとならないとしているHPも多くあって、そんなん入れても大丈夫かいな?みたいに怪しんでしまって、二の足を踏んでしまうこともよくあります……。とかなんとか言いながらも、ずいぶんと便利させてもらっていることは間違いなしですね (笑)。
鎌倉の大仏様からどう離れるか?旅程はすっかり遅れてしまっています。それでも……。
「行こうよ。江ノ電で江ノ島、湘南を通って藤沢に出て横浜に行こうよ。遠回りになるけどさ。いいじゃない。」
「じゃあ、切符買ってくるね。」
藤沢行きの電車は満員でした。途中、席がひとつ空いたので、妻に座ってもらいました。デジカメを手渡して、江ノ島が見えたところでシャッターを切ってもらうために。そして、江ノ島の二つ手前ぐらいのちょっと視界が開けたところでシャッターチャンスしてもらいました。
江ノ電。路面電車になった所もありましたし、車窓から手を伸ばせば、もしかして手が届くのではないかと思うくらい近い距離で、線路沿線に建物が建っていたりもしました。そんな風景の中をガタゴトガタゴト…。
江ノ電といえば、江ノ島・湘南をイメージします。江ノ島・湘南というと、サーファ・よっと・ナンパ・暴走族あたりがイメージされて、およそ今、乗ってるこの電車、しかも快速とはお世辞にも言えないこの電車とイメージがどうにも重ならなくて、おかしかったですね。
つり革につかまってガタゴトガタゴト。江ノ島〜湘南公園は通過といたしました。乗り降りもあまりなかったようです。
江ノ電藤沢駅で下車し、JR藤沢駅はどこ?と、妻に探してもらうけど、駅を出るあたりで、行き先矢印案内があったぐらいで、さっぱり見あたらないようです。
もし、あったとしても、もっと見やすくしてもらわないと、初めて来た者は迷うんじゃないかなと思うほど、連絡は遠かった。この遠かったは、巻き尺で測った距離をいっていない。「もしかして、ほんとにこちらでいいのかな」と不安に思う心の距離をもって、遠かったとしたのです。だって完全に駅舎から出てしまわないとJRの駅舎に着けないんだから、しかも目の前じゃないのだし。
JR東海道本線 藤沢駅から横浜。
電車は満員。横浜に向かうほど、乗客は増えてきます。時間はもう5時。果たして中華街にたどり着けるのだろうか?
横浜駅を目前にして、社内アナウンスに耳をそばだてる。石川町ゆきのJR京浜東北・根岸線への連絡ホームを聞き逃すまいとのことです。
この時、気づいていなかった。JR東海道本線、横浜までの途中駅、大船でJR京浜東北・根岸線に乗り換えれば、石川町駅に着けることを…。
横浜駅。下りる乗客の列に続いて、電車を降り、ホームを歩いて、階段を下りていきます。
予想していたとはいえ、混雑の中、ホームを移動するのは、なかなか骨でした。そして、3、4番ホームへの階段を前にして、流れは止まりました。
わたしたちの前にいる集団は、浴衣のお嬢さんたち。この人たちの目的地も同じか?いや、この人たちだけじゃない。この駅にいるほとんどの人たちの目的地は同じなのだ。きっと。
ようやくの思いで、ホームに出るが、電車が来てもほとんど乗れない様子。人の列はほとんど動きませんでした。
「なぁ、このまま行っても、行けないことはないかもしれない。でも、行った先がどんなものか、想像がつくだろう。」
「うん。」
「仮に中華街に足を踏み入れられるかもしれない。でも、お店を選ぶことはかなうだろうか?だいたいそのお店に入れるだろうか?……やめよう。」
「えっ?……」
「戻るんだ。ここを出て、ホテルにチェックインしよう。」
わたしの判断が果たして正しかったのか?それはわかりません。中華街で夕食をと思っていた妻の気持ちを実現しなかったことには、…違いないのだから…。
JR横浜線への移動もままなりません。
「出よう。」そう言って、改札口に向かいます。
妻は渋々、わたしに従っていたと思います。
そうして改札口を出るが、市営地下鉄への連絡がわからない。地下鉄での移動は予定にいれていなかったのだから、まったく調べてきていない。記憶のどこかに案外遠くて、わかりにくいということだけしかないのです。
ガイドヘルプをする妻が、地下鉄への入り口を見つけられないことで、あせり始めていることがわかって、やはり、わたしの判断の甘さで苦労をかけていると思えて、ちょっとつらくて、わざと平然を装います。
歩き回ること、およそ20分。ようやく地下への入り口を見つけてくれて、ほっとします。
しかし、この連絡、わかっていても、大混雑の中10分ぐらいの距離があります。
まいった、まいった…です。
地下鉄で5駅。距離にして10kmは移動したのだろうか。新横浜に出て、新横浜プリンスホテルを見つけるのに、それほどでもありませんでした。ホテルに入って、さっそくチェックインです。
「インターネットで予約の…です。」
「…様ですね。」
カード式のルームキーをもらって、案内のボーイクンについていきます。
部屋は28Fのツインで、南向き。「今夜の花火大会が一望できます。」とのことで、「それはよかった。」と、バッグを放り出して、ベッドにくつろぎます。
「食事に行こう。中華レストランがあるかもよ。」
「そうね、そうしましょう。地下1階にあるわね。広東料理よ。」
「そりゃ願ってもない。」
旅行8日前。横浜にホテルは数え切れないほどあるだろうに、インターネットでチェックする妻が、全然空いてない、なぜだろうと怪訝な様子でたずねてきます。
「連休だから?...夏休みのとっかかりだから?...それだけ?...東京ならまだ予約が取れるところいっぱいあるのに、なんで横浜はだめなんだろう」
知らなかった。
この日、横浜が開港記念日でお祭りで、花火大会があるなんて。予想だにしていなかったのでした。
それがわかったのは、それから数日後。たまたま某HPの掲示板で、たまたま横浜に行くというYさんの書き込みがあったから、なのでして、それを見なかったら、果たしてどうなっていたことやら…(苦笑い)。
ホテルをチェックしていた妻が、偶然、空室が6室あるという新横浜プリンスホテルを見つけて、「すぐおさえて」としてよかったのです。予約完了後、予約フォームをもう一度見てみたら、空室ゼロになっていたのですから…。
腹ぺこ夫婦は、地階へ向かって、すたこらさっさ。
テーブルに案内されて、メニューを見て、あれこれ、これどれ、やっぱこれ、でもこれも…。腹ぺこ二人の一番楽しい時間かも? (笑)。
おいしいコースメニューと、リキュールベースの甘いお酒にボー状態。満腹、満腹。
「さあ、そろそろ花火も始まっていることだし、部屋へ戻ろうか。ラストのいくらかぐらいは見られそうだよ。」
「今 何時?」
「8時過ぎかな。」
昨夜は、窓越しに、10kmほど向こうで繰り広げられている打ち上げ花火のショーを妻は見て楽しんでいました。それから、このビルの最上階 42Fのバーでいっぱいやって、そしてほろ酔い気分で部屋に戻って寝たのでした。
さっとシャワーを浴びて、洗面台に置いてある安全カミソリでヒゲを剃って、さっぱりしたところで着替えます。
そして朝食を2Fのレストランでゆっくりと済まして、10時、チェックアウト。
秋葉原の電気街。今朝の小雨もちょうどあがったようだし、お店回りでもしてみるかなと、妻ととぼとぼ。
目的はただの散歩。
一応、OCRソフトとか、midiシンセとかもあったけど、妻にこんな所があるんだって見せたかったってとこかな。
一通り何でも置いてる大手電機屋は、それほど目新しくもないわけで、それよりは、それしか置いてない、もろ、超マニアックにやっているお店ってのがおもしろいわけで、ラジオ会館あたりはそういうお店が入っていたりして、「ヘェ〜」ものなんですよね。
たとえば電線だけのお店とか、マイクとミキサーだけのお店とか、スピーカーだけのお店もあったし、アニメキャラのお店もあって、いかにもオタクを満喫できていいなって思うのはわたしぐらいでしょうか (笑)。
妻あたりは、ちょっと警戒っぽくなってしまうお店もあって、ちょいと刺激が強すぎたかな (笑)。
ちょうどお昼ごろの浅草仲店通りは、なかなかの人出です。浅草寺までの道すがら、妻は革の鞄のお店があったら入りたいと言います。わたしに異論があるはずもなく、雰囲気を楽しみながらとぼとぼ。
浅草寺で写真を撮ったし、おいしいうどんも食べたし、なによりも気に入りの鞄が安く手に入ったし、まずまずの気分で後は、空港に向かうだけとなりました。
地下鉄の入り口まで100メートル。
突然の雨。それまでの穏やかな天気がまるで嘘だったかのような雨。地下鉄への階段に駆け込んだ時には、もう突き刺さるような雨。
「ちょっとぬれちゃった。」
「朝からずっと雨の予報の割にはよくもったものさ。」
「うん。」
「さあ、帰ろう。」
都営浅草線。
ちょうどタイミングよく、羽田空港に直乗り入れの電車が入ってきました。