越後湯沢 2004年 1月10日
飯能、河口湖、山中湖 2004年 5月 1日
読みたかった本 2004年10月17日
神戸 2004年11月27日
オートクチュール宝飾サロン J.C.バール 2004年12月29日
ゴーという風を切る音が耳の中に広がりはじめる。
そして、風の音の向こうに前を行く大谷コーチの滑走音がある。
『スピードはどれくらいになったのだろうか?』
そのとき、コーチの滑る音が右に流れていく。
『右へターンだ!…』
重心を動かそうとあわてて力を入れてしまう。
『左足に力が入りすぎている。また悪い癖が出てしまった』
スキーが回りすぎたことにあたふたしながら、『コーチは?音は
?どこだ?…左だ!よし今度こそ!』
足をそろえて、滑るに任せる。うまくいった。ゴーという風を切る音の中に前を行く大谷コーチが滑っている。
『右へ動いた!』
そのまま右…。『よし、今度はうまくいった』
『左に流れていく…… ついて行っている。そして右へ……、うまいぞ!左だ、右…、左…、右、えっ?もっと右だ!うまいぞ、そのままそのまま…、しまった、また悪い癖が出ている。よけいなことを考えている時ではない』
新潟県湯沢町 中里スキー場。
10日は、朝から夕方近くまで、ずっとここにいたのです。
昨年3月。妻が湯沢に障害者スキーのインストラクターチームがいるらしいとわたしに教えてくれました。それを聞いて、お願いしたいと思ってしまったのです。しかし、1月に2回、膝程度の積雪があってから、2月3月とまともな積雪がないままだったため、気持ちはとうに冬ではなくなってしまい、3月も中旬、これから雪が、積雪があるだろうか?…と思ったのを最後に、すっかり忘れていったのでした。
実際、昨年3月は上旬に2回、ちらほらの降雪があってから、まったく雪が降りませんでした。(湯沢はどうかは分からないけれども……)
そして半年がすぎ、秋も深まってきて、家族でスキーの話題も出るようになり、もちろん、わたしも湯沢のことを思い出すこととなるのですが、なんとなく程度で、さっぱりエンジンがかかりませんでした。気がかりなことが他にありすぎて、それどころではなかったのです。
ファクトリースマイルスポーツカレッジ
先月、ファクスマをyahooの検索で見つけてお気に入りに登録しようとして、お気に入りのスポーツフォルダを開いてみると、ありました。とっくに入れていたのです。視覚障害者のスキーを見てくれる人や団体はいないだろうかと、それらしきHPを検索でピックアップしては、せっせとお気に入りに入れていたことを、すっかり忘れていたのでした 笑。
とりあえず、スキーに向けての筋トレもなにもできていないけど、まずはメールを出してみようと……、そしてあっというまに、日程が決まり、列車のチケットを取り、宿を決め、スキーブーツを新調し、年が改まり10日を迎えることになったのです。
わたしの最大のボケは、そうしてスキーに行くことが決まったにもかかわらず、体作りを何もしなかったことにあります。そして、出かけるという前日に、熱を出して寝込んでしまいました。年末年始に夜更かしを繰り返していたこともあるでしょう。職場では、風邪をひいた患者さんに接していたこともあると思います。しかし、いつものことながら、病院という職場は、室温の管理がゆきとどいていて、快適(?)なのです。動くと暑くさえあり、汗ばむことも珍しくないのです。つまり、汗の始末が悪かったのかもしれないと、適当な理由をこしらえて……
食事をゆっくりと、よく噛んでから飲み込む。その日だけまじめに、思いっきりなんとかじゃないけど、体にいい食べ方を心がけます (笑)。そしてややぬるめの風呂にゆっくりと入って、風邪薬を飲んで、暖かくして深呼吸をしながら、さっさと寝ます。夜中には、汗で汚れた衣類を着替えてまた寝ます。
その甲斐あって?朝、体温計は… よかった解熱していました!このまま今日と明日、もってくれよと思いながら仕事に出かけます。
今回のスキー旅行は2泊3日としました。2泊といっても、1泊目は、その日仕事をしてからの泊まりに行くだけ。湯沢に着いたのは夜の9時でした。
駅の東口を出てみると、お願いしてあった丸喜屋(まるきや)旅館の送迎バスが、待っていてくれました。道中、宿のご主人さんなのかな?雪のことなど親切に教えてくれて、雰囲気はアットホームそのものです。まもなく宿に着いて風呂に入り、その日さっさと寝たのでした。
10日の朝。おいしいご飯をいただいて部屋で予定の9時までをのんびりと…、と、その時、朝日が射し込んできます。
「今日はいい天気だ。」
きっといいスキー日よりになる。予報では午後から曇り、そして雨になっていたが、わたしは晴れ男。きっと降られることはあるまいと変なところに自信があったりします 笑。
予定の時間。階下に降りてみると、ファクトリースマイルの大谷コーチがもういらっしゃっています。
「お願いします。」
こうして今日が始まったのです。
中里スキー場。気温はマイナス。こんないい雪は久しぶりです。前日、60センチの新雪の降り積もった後と聞いて、『やったあ』と思います。
目の不自由なわたしを音と声で導いてほしい。スキーをさせて欲しい。
それはもちろんのニーズ。しかし、それよりももっとお願いしたいことがあったのです。それは、わたしのスキーそのもの。
ずっと我流で滑ってきたために、知らずに身に付いてしまった悪い癖だらけに違いないのです。それを見つけて直したかったのです。
「スキーブーツを履いてまっすぐ立って」
自分がまっすぐだと思うように立ちます。すると、
「そのまま足踏みをして」
軽く歩くように、その場足踏みをします。すると、すぐに、わたしの右足が左足に対して、正しい位置になく、きちんと接地をしていないことを見抜かれました。
「これを矯正しなければ…」 と、魔法がかけられます。
『なるほど、こうするのか。これはわたしの仕事にも役に立つこと間違いなしだな』 と、納得したのです。
そしてゲレンデへ…
準備体操があって、スキーを履いてすぐ、「リフト大丈夫でしょう」と、試し滑りをいたしました。
コーチはわたしの滑りの癖、問題点がとっくに分かっておられて、滑りを繰り返す中で、どこがどう悪いのかと、どうしたらいいのかをきちんと教えてくださるのですが、とうのわたしは、それをなかなかクリアできません。
お昼は、わたしの希望で、ラーメンにしていただきました。おいしかったなぁ。それにしてもこんなに動いて腹ぺこって、最近ないよなぁとか思いながら、あっという間にたいらげてしまいます 笑。
そしてまた、午後からスキー、滑って滑って滑りまくり。ただし、きちんとしたレッスンを受けての滑りです。午前はそれほどでもなかったのに、午後は、午前よりずっと疲れているのに、逆にずっと上手なんです。
『力みのない滑りになってきているを実感できるようになった』
『こんなにスキーを楽しんだのはもしかして初めてではないのか!』と、思いました。
この間、妻と子供たちはめいめいにスキーを楽しんでいます。
わたしが、家族の誰からも離れて、でも同じゲレンデでそれぞれのスキーがエンジョイできたという初めての体験でした。
今まで、わたしを見る。すなわち介助するということのために、家族の誰かが、特に妻が介助者を演じなければなりませんでした。
介助を受ける者が、いろいろなサービスを利用すれば、家族の誰もが独立した時間を持ち、楽しむことができるのです。
わたしは、また湯沢に行きたい!
今度は独りででも行くかもしれない。
5月1日 午前11時 西武池袋線飯能駅下車。この日、昨年7月にお見舞いした方のお墓参りのために状況。
西武池袋線は、かつて通学に利用していた電車ですが、ここまで乗ってきたことは未だかつて一度もありませんでした。駅前に出てみると、ちょっと暑いかなと感じるような陽気です。でも、周りをうかがい知るゆとり、まったくなし。すぐにタクシーに乗り、目的地をドライバーに告げてしまえば、後ろに遠ざかるのみの場所となってしまいます。
ことの始まりは3月。一本の電話でした。
予想はしていたというものの、しばらく何の音沙汰もなかったので、日常に紛れてうっかりしていました。しかし、来るべき日は、やはり来たのです。
羽田空港に降り立ったわたしと妻と、二人の子供たち。流れるように到着ゲートを出て、京浜急行に向かいます。昨年7月には、この京急で横浜を越えて西へ、三浦半島まで行ったのです。話しを聞く、ただそれだけのために行ったのでした。それしかなかったから…。
今回は、同じホームに、でも向かうは品川。そこから山手線外回りで池袋、そして西武池袋線で飯能。そして大多磨霊園。
タクシーを降りて、斜面の階段を登ります。そして、墓前に花を手向けて、手を合わせ、祈ります。いいお天気でした。そこは見晴らしよく、良い場所です。
タクシーに再び乗り込んだわたしたちは、今度は青梅駅に向かってもらいます。目的地は山梨県の富士五湖だからです。
朝、家を出てから6時間以上経っています。それまであまりおしゃべりもなく、ずっと押し黙り気味だったかもしれません。とにかく、短い時間ではありましたが、目的は果たせました。墓前で祈ることができました。少し気持ちは楽になったようです。
JR大月駅で富士急の富士山特急に乗り換えます。ちょっと周りのことが気になるゆとりが出てきたかな。ざわつく車内に、そっとアナウンスが流れていることに気がつきます。よく聞くと声は女性のようです。
鉄道というと、〈男の職場〉というのは、もはや昔の異物的偏見なのでしょうか? こうして車内に女性スタッフがいることで、男女雇用機会均等法がだんだん浸透してきている証拠と見るべきなのかもしれません。それとも、車掌を女性にすることで、客受けをねらった、企業戦略のひとつなのでしょうか。
これはあくまでもわたしの至極個人的見解ですが、この声は好感が持てます。『この声はいい!』 ふとそう思って、ちょっとドキドキしてしまうのはどうしてでしょうね (笑)。
河口湖駅前、午後2時半、晴れ。暑くもなく、寒くもなく、ちょうどよく気持ちいい感じです。妻と子供たち、あると思われる方向に目をこらして見ますが、どうやら富士山はお出ましでないようです。
10数年前、真夏に一度、富士山の麓に来たことがありました。その時は、こちら側とは反対側、富士山の南側。新幹線の駅からアプローチしました。その時は、朝から夕方近くまでいましたが、とうとう富士山は拝めませんでした。お天気はもちろん晴れていたのです…。
今回は富士山を間近に見ることでいえば、リターンマッチといえそうです。果たしてかなうのでしょうか……。
まずは宿にチェックインして、「それ!」と向かうは、富士急ハイランド。子供のいる一家が富士急ハイランドに向かえば、ジェットコースターと誰もが思うでしょう。
しかし、うちは違う。あまり…、いえ、まったくといっていいほど、その手の乗り物に興味がないのです。その手の乗り物に限らない、その手の場所にさしたる魅力を感じないのです。だから、そもそも旅程に富士急ハイランドは、入っていませんでした……、もし、どこかに余裕ができて、偶然の接点があれば「立ち寄ってみようか…」ぐらいだったのですね。
この日、空港からの電車の乗り継ぎ、実にうまくいきました。本当に、どこにもよどみなく、スーッと流れるようにまるで導かれてきたかのようにいったのです。もちろん、事前に路線経路探索は充分に行ってきました。とはいえ、どこでどうなるかわからないのが“旅”でしょう。路線探索は、想定外のことには無力なのですから。そういうことで、5月の連休の土曜日に、3時前に宿に入ることができたことに、感謝の気持ちを持たずにはいられなかったのです。
観覧車で景色を堪能したわたしたち、次に足こぎ式ボートで汗をかいて、少し歩き回って、結局、富士急ハイランドを出てきてしまいました (笑)。その帰り道、夕暮れの歩道。ほんの少しだけ富士山が姿を現したのです。かろうじて見えるだけの富士山、デジカメの液晶ファインダには、何も写っていません。それでもシャッターを切ってみます。後で撮った写真を見てもらうと、時間17:59の写真2枚。富士山が写っていたのです。
5月2日、朝。宿をチェックアウトしてまずは河口湖駅。とりあえずコインロッカーを探さなくては……。今日一日を身軽にすごしたい。大型連休は、二日目?それとも一日目?人によっては、29日からの四日目?かな。わたしの場合、昨日の5月1日は休みではなかったので、今年度初めての休暇をいただきました。とにかく細かいことは横に置いておくとして、今日は日曜日。文句なしのお休みです。しかも晴れて気持ちがいい。
そういえば、5月の連休のことを“ゴールデヌィーク”、略して“GW”とも言います。今回、わたしはそちらの用語は使っていません。NHKと同じ“大型連休”と書いています。NHKとは、特に関係ありません。単にこちらの方が4文字と、短く済むので……、というだけです 笑。
先日、映画 名探偵コナンを見に行ってきました。コナンは毎年、そういうことではゴールデンウイーク;GW映画として封切られていますね。今年のも、なかなかおもしろかったですよ。ねたばれとなるようなことは書けないので、あれですけど、内容はジャンボジェットに関するスリルとサスペンスとしていいのかな。昨年、新潮社から出た文庫本にブラックアウト ジョン・J・ナンス著 上下巻2冊があります。映画を見てて、ストーリー展開のいたるところで、この本で読んだ場面に、どことなく重なるような気がするような、しないような…… 笑。
さて、余談はさておき、話しを河口湖に戻しましょう。
連休の河口湖となると、大きな人手になることは間違いないでしょう。河口湖といえば、富士山の麓の観光地の一つ。バス釣りのメッカらしいし、富士山を間近で人目見ようということもあるでしょう。富士急ハイランドもあるわけだし…。そういう所を大きな荷物をしょって、視覚障害者のわたしとガイドヘルプの妻とが並んで歩くというのは、やはり避けたい。きっと疲れるに違いありません。そこで、コインロッカーに荷物を預けておけばと思ったわけです。
午前の最初は、かちかち山ロープウェイ。
かちかち山といえば、昔話でおなじみのうさぎとたぬきのストーリー。昔昔、あるところにうさぎとたぬきがいましたとさ…の、物語はこれ以上書きません。その物語の“あるところ”が、ここらしいのです。あの話は、富士山の麓は、河口湖での出来事だったのですね (ふむふむ)。
チケットを買って、乗ってみれば、うさぎの車両でした。そして降りてくるときはたぬきの車両でした。偶然とはいえ、両方に乗れたことはラッキーです。それにしても場所が場所だけにロープウェイの車両にここまでこだわるところがいいですね (笑)。
車両のどこがうさぎとたぬきだったのでしょう? あれそうだね。どこだろう…。そういう車両だって聞いただけで、どこがどんなふうにうさぎとたぬきなのかは分かりませんでした。乗った感じはただのロープウェイの車両です。中にうさぎやたぬきが遊んでいたわけじゃないしね (笑)。写真も撮らなかったし…。とにかく、乗車時間は数分かな(?) 降りてみれば、展望台への階段。さっそくそちらに向かって歩いてみます。
展望台から河口湖を撮影。そのとき、妻が河口湖の輪郭を手でなぞってくれたのですけど、それをどうやって言葉にしようか、さっぱり分からずにいます 笑。とにかく山と谷が入り組んだ、デコボコの輪郭なのです。周囲20kmもあるらしい。デジカメのファインダーにはその河口湖の全景が収まっていないと思います。…撮影の時にそう言っていたと思うから…。こういうときにはパノラマ撮りのできるカメラが必要かなと思ったものです。
この日、午前、周囲の山々はガスっています。空は晴れているのに、富士山はまったく見えないのです。
展望台からさらに林に向かって遊歩道があり、表示は二つ。一つは、15分の頂上コース。かたや90分の山林コースだったと思います。どちらに向かったかは、わざわざ書かなくても…… 笑。
しばらく上がったところで、ちょっとした見晴らしの高台といった場所です。そこで記念撮影をしている小グループがいます。ここはなかなかの景色なのかもしれません。
そこからさらに登ることしばらく。ここが“頂上”という表示と、“神社”の表示。たしかに賽銭箱と小さな社(やしろ)があります。本当に小さな小さなお社(やしろ)です。わたしたちは賽銭箱に小銭を入れ、パンパンと柏手を二つ。お参りをいたしました。
ここが頂上というからには、そこそこそれなりの見晴らし、眺望を期待していたのです。が、周囲は、すっかり樹木。どちらかと言うと、森の中のぽっかり開いた空間。森林開拓地みたいな空き地でした。そういうことで、またさっきの見晴台の所に戻ることにしたのです。
見晴らしの小広場には、登ってきたときに、こちらが登り口と教えてくれた親切なおじさんが、やさしい雰囲気で出迎えてくれます。人当たりのよさそうなおじさんは、「上はどうでした?」と尋ねましたので、こうだったと返事をして、ついでにこんな風景でしたよと、さっき頂上で撮影した画像をデジカメのファインダーに出して見せます。旅のさきざきで、ふとしたことから、出会いがあり、話しがはずむことがあります。これもまた旅の楽しみの一つでしょう。
「ここから富士山がこんなふうに見えるのですと見晴らしのわけを教えてくれます。なるほど、そうだったのですね。おじさんはここで、富士山がお出ましになるのをずっと待っていたのです。そして、おじさんは一人ではなく、奥様と一緒に、三脚にカメラを乗せて、ずっとベストショットを待っているのです。
「すいませんけど、記念撮影をお願いできませんか?」とデジカメを手渡します。
「ここを押すだけですから…」と、いうことで、わたしたち一家そろっての今回、最初で最後の記念撮影となりました。さすが、富士山を待ちこがれてカメラを構えて待っているだけのことはあります。わたしたちの並ぶ位置、カメラを構えるポイント、背景とのバランス、どれをとっても、これはいいと妻が絶賛するワンショットができていたのですから。
河口湖の湖上遊覧船に乗りたいは、妻のたっての希望。ロープウェイを降りてきたわたしたちは、そのまま歩いて湖畔に向かいます。距離にして200メートルもあったかなかったか…。11時出航のチケットを買って、列に並べば、すぐ乗船へと動き出します。
遊覧船の名前は「アンソレイユ」だったと思います。ほとんどの人たちは、乗船したデッキから、二階のデッキへ、もしくは船室へと移動したようですが、わたしたち家族は、船尾デッキへと移動しました。
船尾デッキから湖面を見下ろせば、波もほとんどなく静香にたたずんでいるという感じです。そのうち、カモがプカプカ浮かびながら泳ぐというのか、漂うというべきか、船尾付近の湖面に現れてきました。……と、思うまもなくエンジン音が大きくなり、観覧線が動き出します。しかも湖面のカモに向かって逆推進です。
これは危ないカモかも!?
当のカモは、近寄ってくる遊覧船などに興味はなさそうです。船もそのとき、逆推進で適度に桟橋から離れるやいなや、やおら推進方向を前方に切り替え湖の沖に向かって動き始めたのです。
遊覧船の速度はまもなく快いほどになり、船尾デッキにいるわたしが、船の残した波の軌跡を見るように立てば、背中に船の速度思い伺わせる風が吹き付けてきます。遊覧船の中程からは、湖上観光のアナウンスが聞こえてきます。ただ、何を言っているのか、ほとんど聞き取れません。船尾デッキでは、吹き付けてくる風や湖面を切り裂く波の音に、それよりもさらに大きなゴーというエンジンの轟音が加わっているのです。何を言っているのか?を考えるより、風が気持ちいいというのも正しいのだし、家族が景色を楽しんでいるのだから、それでいいでしょう。『これだけの轟音の中、よほどスピーカーの間近にまで行かなければアナウンスは聞こえまい』との判断により、風の臨場感、湖面を切り裂く波の音を楽しむことに結局決めたのでした。
30分の湖上クルージング。水の上の楽しい時間を過ごしたわたしたち、船から下りて、「そろそろお昼にしよう。」と、なんとなく湖畔道路を歩いてみます。そのように歩いて行くうちに、「ここがいいんじゃない」と、お店に入ります。
そこは、みやげもののお店。中に入ってみると、一画に天然石のコーナーもありました。いろいろある中には、水晶も。『果たしてどこ産なのか?』とふと思いましたが、『出所がどこだからでどうというものでもないでしょ』と、さらりと流して……。
「黄鉄鉱があるよ」の声。
黄鉄鉱は、黄金色にきらきらと輝くきれいな石で、硫化鉄です。それに出会えたらと、密かに思っていたので、今回、出会えたことはとてもうれしいできごとでした。買い求めた一個は、350円です 笑。
そのお店の二階が食堂で、ほうとうをいただきました。ものはうどんか? 平たく打ったあたりきしめんにも似たような食間と思えますが、どうなんでしょうね。
お昼をおいしくいただいたわたしたち、さあてどこに行こうかと、バス停に行ってみます。そもそもこのあたり、どこも渋滞していますから、バス停の時刻表が当てになりません。ちょっと歩いてみようと湖畔の道路をとぼとぼ…。実にいい天気です。
妻がふっと振り返る。すると、そこには青空にくっきり富士山が!!
「カメラカメラ!」と、わたしも妻も子供もそれぞれにカメラを構えて、パチリパチリ。
「さっき、まったく陰も形もなかったのにね」
実に不思議な瞬間でした。と、思うまもなく、雲がかかり、すっかり姿が隠れてしまい、二度と現れることはありませんでした。
この一枚は、記念に残る一枚です。
いしころ館。
上の子がインターネットで検索して、「行ってみたい」と行っていたところです。さっそく入ってみました。
妻が真っ先にわたしの手を引いて、緑色のきれいな石があると、誘導してくれたのがアベンチュリン。わたしは最初、せいぜい指先ほどの小さな石を想像していたのです。しかし、手を伸ばして触れてみたものはもっと大きなものでした。
大きさを表現するのに、コンビニの三角おにぎりを前から三角形が見えるように縦に立てて置いて、前半分と後ろ半分になるように包丁を入れた半分が、何個か置いてあると書いて、その大きさの程度が分かるでしょうか。
おにぎりの表面、つまり海苔を巻いてある面。そこがそのまま岩石の表面そのままで、包丁を入れた面が、きれいに研磨してあります。そんな大きなアベンチュリンをこれまで見たことがありませんでした。
アベンチュリン。またの名をインド翡翠。セキエイにクロム雲母が混ざって、落ち着いた緑色です。心を落ち着かせるとともに、想像力と知性を高めるパワーがあると信じる人は信じています。疲れ目にも効果があるという話もあります。
何個か置いてある1コを手にとって、これがいいと決めます。お値段は記憶にないのですが、1000〜2000円の間ではなかったかな……。
次に、妻にムーンストーンを探してもらいます。
乳白色のきれいな石。「ここにあるよ」と連れていってもらったところには、カレー皿ほどの浅い入れ物に、人差し指の先端程の小石がゴロゴロと入れてあります。ちなみに、ムーンストーンといっても月の石ではありません (笑)。
ところで、ムーンストーンは、予知能力を高めるとありますが、本当かな? 実は、わたしは予知能力者になろうと思っている…、というのは、真っ赤な嘘です (爆)。
さて、お値段は、500円ぐらいだったかな? あまりよく覚えていません。妻や子供たちもそれぞれにお気に入りのきれいな石を手にして、合わせてレジしましたから。
いしころ館には2階がありましたので、さっそく上がってみます。そこはなんと、オリジナルのアクセサリー、たとえばネックレス、ブレスレットなどを次作できるという、うれしいサービスを提供しています。わたしたちも、家族それぞれに、お好みの石のビーズ玉を集めて、世界にたった一つ、自分だけのオリジナルのアクセサリー作りに時間を使うことにしたのです。
わたしは、形ということでは、星形、まがたま型、丸い玉型などの中から、丸い玉ばかりを集めました。石の種類としては、直径1センチほどの透明水晶が1コ。それにトルコ石を2コ。これは8ミリ玉ほどかな。そして5ミリ玉ほどの紫水晶を4コに、ムーンストーンを6コとしました。携帯ストラップのワイヤーセットで合わせて、1500円ぐらいになったのかなと思いますが、家族みんなのと合わせてレジしましたので…… 笑。
作業テーブルに着いてみますと、キーボードを一回り小さくしたほどの木の板が置いてあります。触ってみると、横に細い溝が二筋切手あって、キーボードでいうと、左右のシフトキーを繋ぐところと、エスケープキーとバックスペースキーを繋ぐ数字のキーの位置といった位置関係でしょうか。そして、その溝に選んできた石を並べて置いて、ワイヤーや紐を通せばいいというわけです。
わたしは、ムーンストーン3コ○○○、紫水晶2コ○○、トルコ石1コ○、水晶1コ○、そして、トルコ石1コ○、紫水晶2コ○○、ムーンストーン3コ○○○としました。この後、細いワイヤーを端の石から順番に真ん中に開いている小さな坑に通す作業です。これが糸だと糸通しは困難だろうと思いますが、金属ワイヤーだと、石を回しながらつっついていれば、いつかすっと抜ける感じが分かるはずです。案の定、この作業は楽でした。
ワイヤーの端と端を持ち、ぎゅっとループ状にしますと、親指が丁度通るほどの小さな小さな指輪(?)ができあがります。次に、余ったワイヤーを切り落として、携帯ストラップのひもパーツと繋ぐ作業は、考えるまでもなく、さらりとお店のインストラクタのお姉さんに「作って」と、かわいく(?)と頼んでしまいました (笑)。
あっというまの2時間。きれいな石を鑑賞して、オリジナルのアクセサリーを作ってのうれしい昼下がりに、わたしたちは、隣接するハーブ館に足を運んでおいしいハーブティーをいただいて、この日の他の「あそこに行きたい、ここに行きたい」は、全部またの機会にすることにしたのでした。
富士急・河口湖駅より富士急バスに乗って次のポイントに向かう時間になりましたので、バス停前の列について待ってみますが、定時を過ぎてもバスは影も形もありません。やはり、連休渋滞なんですね。何もしないでただ待つうちに、肌寒さを感じるようになってきます。時計は午後4時をすぎています。
待つこと30分。待望のバスです。聞いたところでは、乗ろうとしているバスではなく、もっと前に行っていたはずのバスだそうですが、行き先が一緒ならなんのこだわりもなし。待っていた全員が乗ります。もちろん、空いている座席はありません。そして河口湖駅前を出たバスは、渋滞の列に飲み込まれます。
路線バスですから、途中のバス停でお客の乗り降りがあります。 運がいいことに、わたしたち家族の前の座席がすぐに空きましたので、座ることができました。富士急ハイランド前。降りる人もあれば乗る人もあり。そこで乗ってきたのは、男の子と女の子がそれぞれ4人ずつ。が、じきにこのお客がとんでもない乗客であることが判るのにたいした時間はかかりませんでした。まず、もう一人来るからといって、いきなりバスの発車を何分か遅らせてしまったのです……。
ようやく発車したバス。道路も渋滞、車内も大混雑。そんな中……。
それにしても、こいつらには、公共の乗り物の中にいるという意識はないのでしょうか。
突然、お菓子を食べ出します。食べるだけではなく、味がどうだこうだと大きな声で、ブーたれる。しかも大声で。持ち込んだ飲み物を飲み出す者もいる。またバカ声でしゃべる。
混み合ったバス。始発からでさえ、座れなかったお客がいます。当然、途中から乗った子供たちも座れません。そんな車内に食べ物、飲み物のにおいが充満します。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、我が物顔でおしゃべりが延々と続きます。
始め小学生かと思いました。が、話の内容から、中学生と判りました。しかし、話の中身が実に幼い。話し方にいたっては、テレビのお笑い芸人まんまのしゃべり方をやっています。民放テレビというのは、今の言葉の乱れをもろにリードしている、しようとしていると思えます。ったく困ったものです。
ここまで書くと、乗ってきた中学生全部がそうだったかのように思われてしまいますから、一応、断っておきますが、女の子4人はすぐ公共の場であることに気がついたのか、それともどなかたが中尉されたのか、まもなくおとなしくなりました。問題はクソガキども4人。おっと、書き方がちょっと乱暴かな…、いや、そんなことは絶対にありません。やつらは、紛れもなくクソガキどもだ!!
つり革にぶら下がって、ちょっと揺れたといって、わざとぶつかってるクソガキ。
ぶつかられて「痛い!」と大声をあげて騒ぐクソガキ。
疲れたといって、床に座る、寝ころぶクソガキ。
そのクソガキに馬乗りになって、踏みつけるクソガキ。
他のお客全員が迷惑この上なしを実感していたことは間違いありません。大声を出すごとに、不快そうに咳払いをしているお客。床をいらいらして踏みならすお客。ため息をつくお客。ドライバーもそのうち、馬鹿騒ぎに、注意を喚起する意味で軽い急ブレーキと急発進をかけますが、まったくまるっきり効果がありません。
本来20分ほどで到着するはずの「ゴルフ場入り口」のバス停。のろのろ運転のバスは一時間半ほどかけて到着します。その間、あのクソガキどもはずっとクソガキのままでした。きっとわたしたちが降りた後も…… ためいき〜。
山中湖の夜は、ずっと寒い。バス停を降りて、ホテルまでの道の途中。吐く息が白いと妻が言います。もしかして、そのとき、気温は、出発時より10度以上下がっていたのかもしれません。
ホテルにチェックインしたとき、もう外はすっかり暮れて、“夜”になったところでした。宿泊プランは素泊まり、つまり夕食は“自由”にしようと決めていました。
5月の連休、河口湖での行動の予定はおおよそ立てていましたが、初めて来て、ハプニングなしで事が進むとも思えません。実際これほどの渋滞にはまるとは思ってもいませんでした。そういえば、かつて、夕食をたのんでいたホテルに、夜の11時、ようやくチェックインできたなんて思い出もあったりします。そのときも原因は大型連休の交通渋滞でした。そういうことで、この手のパターンありありだと思いましたので、夕食は頼まないほうがベターかもしれないと思ったわけです。
午後7時、ホテル内のレストランは、完全予約制のため、聞いてみたけどだめです。そこで、手近の…と道路まで出てみますが、右を見ても左を見ても、それらしきものは見あたりません。悩んでいても始まらないからわたしは左へ行こうと提案しましたが子供たちは乗ってきません。
そこで一度ホテルに戻って、フロントに尋ねてみると、手近では右にファミレスがあるといいます。左はちょっと遠いとも…。そういえば、左は、バスで通って来た道、そしてバス停から歩いてきた道です。あれば、家族の誰かが見ていたでしょう 笑。
右に向かって歩いて7〜8分。待ちに待ったファミレスです。中は、外と違って暖かく、賑わっていました。テーブルについて、何を食べよう〜。
ちょっと一杯やりたくなったわたしと妻は、とりあえずグラスワインで、子供たちはドリンクバーで好きな飲み物を。「乾杯!」で、楽しい食事とおしゃべりが始まります。ほんと、楽しいひとときでした。
今回の旅行。お墓参りが第一。それはかないました。その後、家族と河口湖で楽しもう!は、バスでの移動を除けば、とても満足のいくものでした。そして山中湖。これは私の希望だったのです。
翌朝、外からなんとも「いい」と言うしかない、いかにも高原の朝を思わせる野鳥のさえずりが聞こえてきます。しばらくの間、起きているような寝ているような、とろとろとした時間を楽しみます。とても贅沢な時間です。
朝7時を過ぎて、ゆっくり起き出します。それにつられて妻も子供たちも…。窓のそばにいたわたしは、そっと窓を開いてみます。
「ありゃ、雨だ。」
旅先であまり雨に降られたことのないわたしたちが傘を用意して着ているだろうか。荷物をできるだけ軽くするために着る物だって、必要最小限にしたくらいです 笑。
バイキング形式の朝食をゆっくり時間をかけて食べます。わたしたちの旅スタイルは、基本、急がないのです。そして午前も10時が近づいてきて、いよいよチェックアウト。外はまだ雨が降っています。ただ、振り方がずっと優しくなって、小雨から、ほとんど霧雨、傘がなくても大丈夫のようです。わたしたちは、ホテルを後にしました。
ホテルへのアプローチから、幹線道路。そこを左に曲がります。ところが、そこそこ歩いてきたはずですが、目的のお店が分かりません。おかしいな…。ちらりちらりと降り続く霧雨が不安な気持ちに追い打ちをかけます。とうとう我慢も限界かなと、通りかかったみやげもののお店に入って聞いてみます。
「…はあるでしょうか?」
「ありますよ。ほんの少し先です。」
なぁんだ、そうだったのか。それまでのブルーな気分がさらりと、何事もなかったように、きれいさっぱり晴れてしまいました。
「あったあった、ありました。ここだったんだ!」
そこに着いてみると、お店には、まだシャッターが降りています。時計を見れば午前10時になろうというところ。開店時間まで待つことにします。
それにしても、シャッター越しとはいえ、ショーウィンドーの中に展示してあるそれは、「うわぁ…」と感嘆の声を思わず漏らしてしまいます。そんな一品ばかりなのです。妻も子供たちも、思わず息をのむふうが手にとるように分かります。と、その時、女性店員さんが一人、手に鍵を持って小走りに…。
開いた店内に今や遅しと足を踏み入れます。
わたしはここに来たかった。そしてここで、実際に見て、お気に入りの一つを見つけて買い求めたかったのです。
棚の上には、ところ狭しと、ずらりと並ぶは、石 石 石。透明な石もあれば、紫のもあり、ピンクのもあれば、虹色に輝く石もあります。
ここは、「富士山麓山中湖畔の天然水晶専門店・水晶の館、クリスタルパレス」。
つまり水晶の専門店なのです。
クリスタルパレスを初めて知ったのは、今年の2月。yahooで検索していて、ふとしたことで見つけたのです。そして、そのホームページで、電子カタログを見て、いつか行ってみたい。実際に手に取って、そのなにかを感じてみたい。そおう思っていたのです。
あなたは水晶パワーをどう思いますか?
石に神秘な力が、人を癒やす力があるとお考えでしょうか。
妻にお店の中程、紫水晶が並べてある棚の前に連れて行ってもらいます。そして飾られている水晶たちと向かい合います。気持ちを楽にして、ゆっくりと息を吐き、ゆったりとした呼吸になったところで、順番に石たちを見ていきます。手前に並ぶ石たちにはあまり……。もう少し奥のほう……。すっと右手が伸びて、ふわりと落ち着いた所。
「これ、この石だ!」と、持ち上げてみます。「この石を買うよ。」と、妻に見せます。
妻は、『やっぱりね』と見ていたようです。
一口に水晶といってもいろいろあります。無色透明な石もあれば、色のついた石もあり、色も紫、ピンク、茶色、黄色など。
無色透明な水晶を白水晶といいます。その透明感もさることながら、天然だからこそ含まれる、微量な含有物が、様々な風景をその石の中にみせてくれるのです。また、光を当てると虹が見えるものもあるのです。
色のついた水晶の代表、人それぞれご意見もありましょう。紫からまずあげてみましょう。他にピンク色のローズクォーツ。黄色いシトリン、茶水晶に、煙水晶などいろいろとあります。
わたしはそれら水晶の中でも、なぜか紫色の水晶に魅了されます。今は、魅かれているのですね。
紫水晶にもいろいろあって、色の濃淡と、透明度の強弱。それが一様なのか、グラデーションなのかも加わって、様々なんですね。わたしは、どうやら比較的色の濃い、しかも透明感のある石を選んでしまうようです。一応お断りしておきますが、前もって、言葉による説明はありません。妻はよく分かったもので、いつも黙って傍観を決め込んでいます。
それが、なぜか同じ感じの石になります。ただの偶然ですか…、そうかもしれません。石のパワーを感じるか? については、どうなんでしょう。よく分かりません。わたしは決して感受性は良い方ではないと思っています。
そういうことからすると、わたしの勤務先の同僚のH君はすごいですね。
いつか、小さめの水晶を見せたところ、「うわぁすごい!涼しくてさわやかな風が吹いてくるようだ。」と言ったものです。残念ながら、わたしにはそこまでの感受性は持ち合わせていません。
ちなみに、それは紫水晶と一緒に求めた、ルチルクォーツでした。ルチルというのは、細かな針の結晶の入った石で、数十個置いてあった中から、「これ」と選んだものです。
さて、早々と一品を決めてしまいましたので、あとは、白杖を使いながらゆっくりと店内を歩きます。妻も子供たちもそれぞれに石を見て回っているようです。わたしは、たまたま手にした指先ほどのルチルクォーツ(針入り水晶)も買い求めることにいたしました。職場にそっと飾っておこうかなと……。
水晶の館のホームページによると、常時数千個の水晶を置いているそうです。すごい数だと思います。しばらくすると、妻はローズクォーツに、上の子は白水晶に、下の子は煙水晶にお気に入りを見つけたようです。そしてそれぞれにお気に入りの一品が決まって、レジへと集まりました。
レジのお姉さんは、「まあ、みんな個性的ね」と、にこやかに応対してくれます。
実際そうなのです。わたしは紫水晶。妻はローズクォーツ、上の子は白水晶、下の子は煙水晶といいたいところだが、とてもおいそれとは買い求めることのできない大物を選んだため、考え直してもらい、ぐっと小降りのレモン水晶で、手を打ってもらいました。
にしても何かの縁があって、手にした水晶。いい石になってほしいなと思います。
これはお店を出た後、そういえばと感じたことなのですが、お店の中にいたときと外とでは、全然空気が違う…、空間が違うとしたほうがいいのかな…、なんとも不思議なとしか言い様がないのですが、こんな感覚、今でも忘れられません。
さて、わたしが、15000円を越える一番高い買い物をしてしまいました (苦笑い)。
これは趣味か? それとも道楽なのか!
来てみたかった山中湖。来てみたかった水晶の館。見てみたかった水晶。そしてわたしとリンクしたアメシスト(紫水晶)はレジのお姉さんにやさしく梱包されて、わたしの手元に…。
お昼も近くなり、お店を出てみると雨はすっかりあがって、春の日差しがさんさんと降り注いできています。やっぱり傘はいらなかった 笑。
「ちょっと遠いけど、行こうよ。カレーハウスへ。」と、歩き出します。途中、おみやげ店に立ち寄って、富士山の麓ならではのおみやげを探します。お店の一角にワインの試飲コーナーがあるというので、そちらに……。
最初、男性店員さんの勧めてくれた一杯。ちょっと香りを… クンクン。
うん、なかなかフルーティーな香りがする。じゃあ、ちょっと味わってみるかなと口に含んでみます。…こくのある甘口の一杯だねこれ。
「もう少しさっぱりとした辛口のはあります?」
と、手渡してもらった一杯。香りはいい。味わいは…、…うん、これはいい。わたし好みにピッタリです。
「じゃ、これ、いただけますか」
ということで、また地元ワインのありそうなってことで、ここでもワインを求めてしまいました (笑)。
だって、甲州は日本でも有数のワイン醸造地じゃないですか。求めないわけにはいかないっしょ。…と、また勝手な理屈をこじつける (爆)。
「ここはワカサギがおいしいとこなんだね…。」と、お店の中を行ったり来たり。そうこうするうちにおみやげが決まってきます。時間もたつし、お腹もへってきました。あまり荷物にならない程度におみやげを買い求めたわたしたち。改めてカレーハウスに向かって歩きだします。
そもそも子供たちにインターネットで旅程を組み立てておくようにと言ってありました。ということで、お昼を食べようと向かったカレーハウス JIB は子供のリクエストだったのです。そしてガイドマップを確かめながらようやくたどり着いた頃には、すっかり腹ぺこになっていて、『待ちに待ったよ、こだわりのカレー屋さん』って気分しっかりになっていたのです。
わたしがオーダーしたのはビーフカレーの辛口。いやぁ、おいしかった。辛いんだけど、上品な味わいっていうのかな。食べてよかったって思いましたよ。
さて、河口湖湖畔のバス停に着いたのは、お昼は12時45分頃。来るはずのバスの時刻ぎりぎりのはずだと思うが……。ほんの一時間ほど前まではそうでもなかったのに、今や湖畔の道路、国道138号線は、河口湖方面に向かって大渋滞となっていました。
山中湖から北へ、富士吉田、そこから富士急で大月、そこからJRで新宿に向かうか。それとも、南向きにバスに乗って、御殿場に、そこからJRを乗り継いで横浜に向かうか。富士吉田方面はまったくの大渋滞状態。となると反対方面の御殿場にと決めて湖畔のバス停で待つこととします。がしかし、バスは来ません。既に渋滞に巻き込まれている富士吉田に向かうバスは目の前のバス停にきます。あれに乗ってものろのろ運転。あれから約30分ほどたったというのにさっき通過していったバスが、まだ見えるというのだから、その渋滞ぶりは想像がつくでしょう。
かたや御殿場方面は、まったく渋滞していません。ですが、バスは来ません。そして待つこと50分。ようやく御殿場方面です。これは本来、いったい何時に来るはずのバスだったのだろう?
山中湖には、昨夜到着し、ファミレスで夕食を摂って、ホテルに戻って眠りについただけ。きょうはチェックアウトして、水晶を見て…ということで、山中湖の山中湖らしさっていうのかな、いわゆる観光ということについては、まったくしていないといっていいのかもしれません。でも、バスを待つ間、わたしと長男を除いては、湖畔に降りていって…、しっかりと山中湖を楽しんでいました。たかだか数メートルほど降りたところが湖畔だったから、「バスが来た」と言えば間に合う距離だからね、大丈夫ってことだね。わたしは、湖畔のバス停にいて、風と湖の波の音、一緒にバスを待つ子供連れの家族の声、行き交うクルマの流れを楽しむことにしました。
“マンウオッチング”
この言葉を知ったのはいつのことだったろうか?わたしの場合は、マンリスニングとなるのでしょうが、音から分かるいろいろに思いをはせるというのは、これはこれ、案外おもしろいのですよ……。そうしていると、そのうち、妻と子供が湖畔にごろごろ転がっている石を「はい」と持ってきてくれました。それを受け取って、「あれ?」とわたし。大きさの割に全然軽いのです。どれもこれもそう、まったく軽い。つまり軽石。ここは富士山の噴火のなごり、軽石ばっかりの所だったのです。
これは実にいい観光をしたとわたしは思いました。いかにも富士山の麓の地を見てきました。そんな気がしたものです。
バスは山中湖を離れ、どんどん南へ、いずれ下り道は、ほとんど平坦な地へと変わります。そしてまたしても渋滞。予定していた電車の時刻は、次々と過去のものとなっていきます。多少なりともあせります。ようやく御殿場駅に着いた頃には、残る選択肢は、『これとこれか…』となってしまっていたのですから。
そこからJRと京急を乗り継いで羽田空港に入った時には、既に搭乗手続きをすぐ!という時刻になっています。
いい旅でした。
1992年2月だったかなぁ?全国をカバーする大手パソコン通信ネットのニフティサーブに入会しました。フォーラムでの会員間のやりとりも楽しかったのですが、本の紹介を読むのも楽しかったですね。読んで興味がわいた本は、ここ数年は、黒ねこヤマトのブックサービスで注文しています。注文は、仕事から帰ってきての夜を専らとしていますから、翌日には、もう発送しましたのメールが届くこと多かったと思います。ですから、お届けも早いのでして、気持ちの“旬”が冷めないうちに、OCRをして、読むことができたわけです。
それを2001年9月までは、フラットベッドタイプのスキャナーの原稿台にページを開いて乗せては、スキャンするという手間を掛けて読み取っていました。
が、それ以後、スキャナーに自動紙送り機(Auto Document Feeder:ADF)をセットすることで、スキャンの形が変わりました。これまでの手作業のスキャンを全部自動でやってくれるようになったのですから。ただし、そのためには、本を紙の束にしておかなければなりません。その手続きは、2001年9月のエッセイ、新しい読書にあります。
いつごろだったか、紙の束になった本を机から落としてしまったことがありました。そのとき、かなり広範囲に散らかってしまったことで、ページの順番が分からなくなったことはもちろんですが、上下左右、それに表裏も分からなくなったのです。正直参りました。しかたないので、一枚ずつ縦長に持って、右の辺と左の辺を指で触ります。裁断機で裁断した辺は、ざらつきがあるので、それで、裁断した側……綴じ込み側は判断がつくのですが、表裏は分かりませんし、ページも分かりません。ですので、その後は、一枚ずつADFを通しては、OCRしてページ番号を探して、並べ直すという手間暇作業をやりました。それ以来、置き場所には、とても気を遣うようになりましたね。もう、あんな目には遭いたくないので…… 苦笑い。
それから、本を裁断するとき、例えば、文庫本なら、幅10.5cmなので、10.0cmのところで裁断するのです。これぐらいで、うまくいくのですが、ときどき、背表紙との接着剤、これは紙同士の接着もしているのですが、むらがありまして、大きく綴じ込み部分から誌面に向かってはみ出した接着剤によって、綴じ込みが外れていないことがあります。それを一枚ずつ調べて、接着外しをやるのですね。これを手抜きしますとこうなります。
20枚ぐらいずつADFの原稿台に乗せて、スキャンを始めます。用紙は、上から一枚ずつローラーで引っ張られていきます。このとき、綴じ込みの接着剤が残っていると、上の紙がローラーで引かれていくとき、したの紙が裏返りながらローラーに巻き込まれていって、グシャグシャグシャと音を立てながら紙詰まりを起こします。ADFは自動的にとまり、パソコンにはエラー表示が出ます。ADFのカバーを開き、ローラーを露わにしますと、そこには、くしゃくしゃに折りたたまれて、“塊”になった紙が引っかかっています。それを少しずつ、ローラーを逆回転させながら引き抜きます。これを丁寧にやらないと、その操作で破れることがありますし、実際既に破れていることもあるので、被害を広げないためにも慎重な仕事をしなければなりません。そうして巻き込まれた紙をはずすと、つぎに、くしゃくしゃになった”細井塊”を拡げる作業です。これを丹念にやって、どうにか“シート”に戻します。見た目には元のサイズに戻っていても、凸凹は残っています。また、破れた部分には、透明のセロテープを貼って、補修をします。その後、しばらくプレスして、できるだけ平坦にしてから、それをADFの原稿台に乗せて、スキャンを再開します。このとき、心臓の鼓動はどきどきです。なぜなら、一度紙詰まりを起こしてくしゃくしゃになった紙は、かなりの確率で、また、紙詰まりを起こして、更にくしゃくしゃになってしまうからです。そういうことで、二度詰まった紙は、もうADFをあきらめて、スキャナの原稿台で、通常スキャンとなります。
それから、目で読む読む方にとって、本の紙質を気にする人はあまりいないのかもしれません。でも、今のわたしはとてもきになるのです。
まず、紙の厚さです。これが薄ければ薄いほど、ADFで紙詰まりを起こす確率があがります。そして薄い紙であるがために、紙詰まりで破れやすくもあります。
次に、紙の表面処理です。これが滑らかであればあるほど、ADFで“紙離れ”が悪くなるのです。つまり、ローラーが一番上の一枚を引くとき、したの紙が上の紙にくっついて行ってしまう確率が上がるのです。ひどいときは、原稿台に置いてある20枚の紙がまるごとローラーにひかれて紙詰まりを起こしてしまったことがありました。そういうときの紙は、まるで写真プリントのような光沢紙です。この手の本の場合、ADFをあきらめるか、ADF原稿台に一枚置いては、スキャンをするというやり方にします。ただ、光沢紙は薄いこともあるので、一枚紙送りとしているのに、ローラーで紙詰まりを起こしてくしゃくしゃになることもあるので、要注意です。
本をネットで買うとき、紙の厚さも表面光沢も分かりません。届いてみて、「これはぁ〜」と、がっかりすること、意外にあるんですよね。ということは、「やった!」と、見事にOCR向け本に喜ぶこともあるんですけど 笑。
これまで、本のお取り寄せは、黒ねこヤマトのブックサービスでした。今年取り寄せた本は、これです。
書名 | 価格 |
---|---|
仮想空間計画 | 920 |
未来からのホットライン | 550 |
医療事故を未然に防ごう | 2000 |
新しいリハビリテーション | 700 |
合計 | 4170 |
取り寄せても、紙の束にしてしまうことに、やっぱり少なからず罪悪感を持ってしまいます。情報を得たいのであって、本を得たいのではないと、自分自身に言聞かせても、4170円分が紙の束となった後、いつか燃えるゴミとしてしまうのですから、やっぱりねぇ……。
そこで、それを少しでも和らげたくて、本を新品ではなく、古本で買うことにしたのです。ネットで探すと古本の販売サイトはいくつもあることがわかりまして、夏から、そちらで買うことにしたのです。調べてみると、本にもよりますが、半額近いお値段で買うことができます。今回、買い求めてみたものがこれです。
書名 | 価格 | 古本価格 | 差額 |
---|---|---|---|
メトセラへの鎮魂歌 | 612 | 333 | -279 |
ヴァルカンの悪霊 | 612 | 333 | -279 |
宇宙大作戦 小惑星回避作戦 | 612 | 333 | -279 |
造物主(ライフメーカー)の掟 | 840 | 429 | -411 |
造物主(ライフメーカー)の選択 | 840 | 429 | -411 |
合計 | 3516 | 1857 | -1659 |
計算してみますと、定価の53%です。ほぼ半額です。送料も無料ラインを越えたので、その分を加算する必要なしです。
ただ、いくつか問題ありです。その一つは、今回購入したうち2冊が、OCRしてみて認識率がいまいちなのです。おそらく経年変化による誌面の変色が著しいのではないか?ということです。変色が著しいと、読取は、白地に黒文字ではなく、黒地に黒文字部分が混在してくるからです。
そして、もう一つ。読みたかった本のいくつかが、古本サイトにありませんでした。こればっかりは、しかたがありません。でもののタイミング待ちです。ただ、この逆も起きたのです。それは、今回購入した本の2冊は、もう新品で出てこない本だったのです。なんか得したなぁって気分です。
11月27日、妻と神戸に行きました。
列車を乗り継ぎ、新神戸駅に降り立ったのはちょうどお昼。予定してあるのは、泊まるホテルと帰りの列車だけ。そう、あとは行ってから考えよう!のお気楽旅行なのです。
改札口を出て、人の流れに乗って、歩いていくうちに、雰囲気がちがってきました。どうやら駅併設のホテル、新神戸オリエンタルホテルに入ってしまったみたいです。
「どこでお昼にしようかしら…。この際だから、ホテル最上階のレストランなんてどうかしら?」と、妻からアプローチもかかってきましたし、いいかななんて気にもなりました。田舎者には場違いのトンチンカンになるかもしれないとは思いましたが、行かずに後悔するくらいなら、行って後悔したほうがましでしょうと、開き直ります。
最上階でエレベータを降ります。でも、なんかへんです。人気(ひとけ)がありません。それもそのはず、少し歩いてみて、お休みしていると分かりました。
「せっかく来たのにね」
「ねえ、1階下は中華レストランじゃなかったっけ?そこはどう…」
なんとなく、夜は中華街でって思っていたから、昼夜続けて中華料理ってのは、どうかなという気もしましたけど、展望フロアでの魅力も捨てがたい。けっきょく、そこに行ってみることにしました。
エレベータから降りたフロアは最上階マイナス2の34F。中国レストラン・桂林です。(レストラン名は、帰ってきた後、インターネットで調べました)案内されたテーブルは、壁際の一画で、窓から離れてとても外を展望できた場所ではなく、ちょっと残念。それにしても料理は、おいしかった。わたしは、ドリンクに迷わず紹興酒(しょうこうしゅ)を頼み、グラスにつがれたお酒を一口。
「うまい!こんなうまい紹興酒を飲んだことがない」 などと書くとさぞかし飲みつけているのではと思われてしまうな。笑い。
わたしは、かつて紹興酒は数えるほどしか飲んだことがありません。だから、比較対照できる味わいはきわめて貧弱だから…、とは思う。それにしても、なんともまろやかな、そして上品なこくというのかな。まじ、感動してしまいました。後で分かったことですが、紹興酒には、5年、10年、15年と、時を重ねたいわるゆ古酒があって、あれは、どうやら、その部類の一品だったようなのです。メニューには、〈瓶出し(かめだし)〉だったか、〈瓶貯蔵(かめちょぞう)〉とかと、書いてあったらしいのです。
おいしいお昼をいただいたわたしと妻、異人館をとりあえず目指して、道をとぼとぼ…。さて、どのくらい歩いたというほど歩いたわけではありませんが、登り坂にさしかかってまもなく……
「ねえ、ラピスってあるけど、もしかしてあのラピスかしら。」と、妻。
「そうかもしれない。入ってみようよ。」と、わたし。
そこは、間違いなくラピスラズリのお店でした。
ラピスラズリ。一時期ブームだったらしい。わたしにとっては、12月の誕生石として覚えがあります。12月の誕生石といえば、トルコ石が有名かもしれないけど、最近では、ラピスラズリも12月の誕生石になっていますね。その理由は分かりませんが、何か理由があってのことでしょう。
その道の書には、平和のバイブレーションを放ち、瞑想石に用いると良いとあります。また、目の病気にいいともありますが、ホント!?宝石言葉は、“永遠の誓い”、好きな人にもらうとうれしかったりして。笑。色は、群青色。鉱物学的には、方解石と、輝石と、黄鉄鉱の混ざり合いの石。コバルトブルーの深みのある美しさと、きらきらする表面の輝きは不思議な魅力だともあります。
ブロアは、六畳間ほどぐらいだったかな?そのフロア一面に、ところ狭しとラピスラズリがずらりと並んでいます。大豆ほどの小さな石もあれば、両手で持つほどの大きな原石もありました。卵型の石もあれば、円盤状のものも……。
「ペンダント・トップはあるかな」と、わたし。
女性店員さんが、「こちらに」とショーウィンドーに出してくれて、わたしは一つずつ、手に取っては、感触を確かめてみます。
わたしの石の選択はもちろん目ではありません。直感だけです。手にした石の中から、“これ”と決めます。文字で書くことのできる具体的な感覚ではないから始末が悪いが、しかたがありません 苦笑。
それは、直径2cmほどの丸玉で、ひもがついて首飾り式になっています。なんとなく陽気な雰囲気の石だと思いました。
石を手渡すとき、わたしの手のひらに触った店員の女性は、「なんて熱い手」と、ビックリしていましたが、手を熱くしたのはわたしの意志ではなく、勝手に熱くなったのです。はたしてラピスのパワーに囲まれたことによるものだったのでしょうか。
「原産国はどこですか?」と、わたし。
「アフガニスタンです。このお店のオーナーはアフガン人で、…」と女性店員。今、仕入れに行っていると言っていたかな。ということは、アフガニスタンに行っているということかな。それはともあれ、妻もお気に入りのを見つけたようだし、子供たちにもと思って、携帯ストラップと、卵型のデスクストーンも一緒に買い求めてしまいました 笑。
登り坂をまたとぼとぼ。イタリアンの異人館だという建物に入ってみました。
親切なガイドのおじさんが、各部屋を案内してくれて、家具・調度品の言葉による説明もさることながら、彫刻の数々に手を導いて触らせてくれるのです。もちろん、こちらも触り方には細心の注意をはらいます。そうやって、ぐるりと2階フロアから、地階フロアまで、行き届いた案内があり、満足の時間がありました。
「うれしいサービスだよなあ」と、カフェテラスで、コーヒーとミートパイをいただきながら、午後のひとときを楽しみます。
ほんま、うまいコーヒーだった。だいたい中華料理をたらふく食べた後に、「週末だけのお勧めですから」と言われて、果たしてミートパイが入るだろうかと思っていましたが、なんともいえない美味な香りと味わいに、あっさりと入ってしまいました 笑。
話は前後します。10月に職場の旅行で有馬温泉に泊まり、神戸に立ち寄ってきました。しかし、ツアーですから、バスで運ばれ、場所から場所、時間から時間を駆け抜けたのです。そういう旅もよろしいのですがねぇ。
神戸といえば、今や震災と、復興が、代名詞かもしれません。わたしにとっての神戸は、西宮のばあちゃんのところに行ったときに、ちょいと足を伸ばすところでした。それも20年ぐらい前までのことでしたかねぇ。震災後は、なんと'99年の5月に1回きりだったりしたわけで、もう一度じっくりとというのがわたしの願いになっていました。
妻にとっては、ウォーターフロント・シティーに、あこがれがあり、いつかゆっくり訪れてみたいところということで、結婚記念日旅行にとなったわけです。
異人館めぐりは、わたしにとって、予想外の展開になってしまいました。というのは、なんと、左足に痛みと、軽い痙攣が……、えっ!足がつったってか!
昨年の夏、腰椎椎間板ヘルニアに見舞われて、しばらく寝込んだという経験をしてしまいました。その後、どうにか回復していたのです。でも、秋になってから、左足に痛みと痺れ感が出ていたのです。運動不足が原因でしょう。本来なら、腰痛体操で筋力アップをやっておかなくてはならなかったのに、書類整備に手を抜けなくて、ついつい、いいかげんになっていましたぁぁと、いいわけばかり 笑。
結局、異人館めぐりはそこそこにしてタクシーを拾って、一路、ホテルへとなってしまいました。
ホテルにチェックインして、部屋に入るやいなや、ベッドに倒れ込むようにして、…。
ふと気がついて、時計を見てみれば、時間は、6時をとうに過ぎて……。2時間近くも寝ていたことに気がついて、愕然!です。
9月に握力の低下に驚き、『体、弱っているよ!』を痛感したはずだったのに、トレーニングは長続きせず、どころか、ますます日常に流されてしまっていました。そのせいで、せっかくの記念の旅行の日にこんなことになってしまうなんて。目が覚めたときのみじめさったら、なかったですよ 苦笑い。
妻に申し訳ない気持ちで、そっと声をかけてみます。
妻の返事は快かった。
ホテルを出て、三宮の駅前に向けて歩いてみることにしました。
「ねえ、スパニッシュ料理のお店があるけどどうかしら。」
「スパニッシュといえば、リゾットとか、パエリアってことだな。いいね、入ってみようよ。」
わたしの思わぬ沈没により、中華街での夕食は、見事にボツとなってしまい、どうしようかなだったのです。でも、案外、出会いってのはあるもので、初めてのスペイン料理は、おいしくも楽しいひとときとなりました。
テーブルには、オイルランプの灯火があるだけ。小粋な音楽と、キッチンから漂ってくるおいしそうな料理の香り。ワインを酌み交わしながら、妻と交わす言葉の行ったり来たり。料理もおいしかった。また行きたいね。TAPAS。
神戸駅前から海に向かって歩き出したのは、翌朝10時をすぎてから。いつものんびり。これがスタイルなんです。
昨日も晴れ。きょうも快晴。あまり冬っぽくないスタイルにしてたわたしと妻にとっては、願ったりかなったりの暖かさでした。ウォーターフロントを楽しみたい。できたら、ハーバークルージングにというのが二人のたっての希望でしたから、とってもいい日よりに恵まれました。
明石海峡まで足を延ばしてくれる船は、時間がうまく合わず、今回はボツ。そこで、船上軽食つきの湾内クルージングにしました。「晴れてるんだし、デッキに出よう!」でデッキに出て、一番前の座席につきました。
「波、静かだね。」
「うん。」
「こんなに静かだと、海の上にいるのかどうか分からないよね。どうせだったら、こおぉんなに波があって、ゆらんゆらん揺れたらいいのにね。」
「……」
そして岸壁から離れる船。
速度が増してきます。正面から吹き付けてくる風が、だんだんに強くなってきました。はっきり言って、「寒い!」
上着の前を閉じ合わせて、一応の防寒を図ってみます。そして、とうとう港から出たらしい。波が変わった。船が揺れる。風の吹きつけが、さっきとはけたが違う。デッキにいた人たちが、一斉に階かへ降りていきました。風の当たらない船室にいたほうがなんぼもましなことは、よく分かっています。でも、それじゃつまらないじゃないかと、意地を張ってみます。ついでに、妻にビールを持ってきてもらって……。
「つめたあぁ! さむうぅ!」
もう一口ゴクゴク…。「さむうぅ! つめたあぁ!」
ゴクゴクゴクゴク…「のんだあぁ〜 つめたあぁ〜 さむうぅ!」
「はい、たこ焼きよ。」
「ありがと。あつうぅ! あったかあぁ〜」
45分のベイクルージングは、とうとう風当たりのいい、ついでに、ときおり風に混じっての水しぶきつきで、デッキで過ごしてしまいました 笑。
船を下りてみると時間はちょうどお昼。中華街まで歩くことにして、周りの風景のこととか、いろいろを妻と話しをしながら、歩きます。なんともいい時間だと思う。
話した内容にたいしたものはありません。この場所で、この天気で、こうして二人でいられることがうれしいのです。
中華街に入ってみて、思ってもいなかった活気に驚きました。幅せいぜい4〜5メートルほどの狭い道路の両側にお店が建ち並び、ほとんどのお店からは、露店・出店が出ていたり、呼び込みが出ていたりで、その活気たるや、「こりゃ生きてる街だよ」を実感せざるをえないって雰囲気でした。時間がちょうどお昼ってこともあったからなおさらでしょうし、行き来する人も多かった。出店には、ずらりと列がついているお店ばかりです。
初めての二人にとって、目的のお店はありません。下調べもまったくしてきてないのだから、とりあえず、「ちょこっと歩いてみよう」と、人をかきわけ、呼び込みを右に左に聞きながら歩を進めていきます。どのくらい歩いただろう。わずかに100メートルほどかな。
横浜の中華街と同じ中華街といっても、雰囲気が全然違うってことに気がつきました。まず、通りは狭くて、まるっきり歩行者天国状態。クルマは入れっこありません。横浜では、通りはもっと広く車道がちゃんとあり、人は両側の歩道を歩くようになっていました。
通りには、出店がいっぱい出ていて、呼び込みも盛んで、だから立ち食いが当たり前。横浜では、出店のスペースがないから、呼び込みはいないか、いてもおとなしい。基本的にお店に入って、腰を落ち着けて食べます。
…と、こんなものかな…。
「ふかひれのラーメンだって。食べたいな。」
「そうね。」
一杯300円を払って、そのあたりで立ち食い。つるつるもぐもぐ。ゴックン。「あぁうまかった〜」
そんなこんなで、立ち寄っては、モグモグ、ゴクゴク、モグモグ… 笑。
「酒屋さんがあるわよ。」
「入ってみようか。」
並んでいるのは紹興酒。どれがうまいのかな。昨日、ホテルの最上階マイナス2Fで飲んだ、あのお酒はあるのかな。そう思って、お店のご主人に聞いてみました。
初めてだったらと、勧めてくれたボトルは、さらりと飲める味わいのらしかったが、わたしの場合、初めてでも、そこそこコクがあっても全然オーケーなので、そのあたりを言って、ちょいと味わいものを一本買い求めてみました。家に持ち帰ってみて、さっそく口を開けて、グラスに注いで、そっと香りをかいでみて、一口含んでみました。うん、そうだね、まあまあうまいとは思いました。んでも、あのホテルの一品には、遠く及ばないな〜五年古酒ぐらいでは、ああいう味わいにはならないんだなと、分かったのでした。
おいしい中華街でたらふく食べた、わたしと妻は、ふらりと元町通りに入ってみました。こんなお店があると説明してくれる妻の声を聞きながら、人の波に逆らわないようにと、とぼとぼ…。ふっと、妻の声のトーンが上がりました。
「水晶があるわ。ルチルみたいね。」
「ふぅん。」
「どうぞ、中に入って見てください。」と店員さんの促す声。
「では、入ってみようか。」と、わたし。躊躇する妻に、「見るだけ」と、プッシュプッシュ!
ジュエリーショップなんて、ダイヤとルビーと、エメラルドにサファイヤ、それにパールに金銀プラチナと相場が決まっています。それがリングになっていたり、ピアスになっていたり、ネックレスになっていたりのバラエティ内で、デザインと石の大きさ、つまりお値段でランク付け。この店も大差ないだろうと…。ということは、パッと見て、お値段の高さにため息をついて、はいさいならとなるのが関の山です。
入っていくうちに、妻の様子が違うことに気がつきます。いつものリアクションじゃない。明らかにショーケースの中に目を奪われています。
そのわけはすぐに分かりました。石のバラエティが全然ふつうじゃないのです。どこにでもあるようなお店では、決してお目にかかれないような、様々な石、珍しい色、きれいで貴重な色、インクルージョンのすばらしい石が、当たり前といったふうに置いてあるのです。
お店の主人らしき人が言うには、神戸には、石が集積する歴史があるのだとか。そして、ここから全国にいくことが伝統的になっているのだそうです。そんなふうに言われて、なるほど納得してしまったのだけれども、たしかに、石の品揃えの多さには、驚かされました。
その中に、なんともきれいで、魅かれる石は、確かにありました。しかし、だからといって、庶民的なお値段かといえば、我が家の経済力では、遙か遠くにかすんで見えざりけりってことに変わりはなかったというわけです 笑。
元町通りを歩いていくうちに、ふっと雰囲気が変わっていくことに気づきます。
おもしろいもので、同じ通りであっても、なにか充実感に満たされた場所もあれば、なんとも空虚な感じを受けるエリアもあります。それはどこからくるのでしょう。流行っているなってお店もあれば、いまいちどころか、いまに、いまさんってお店もあります。同じ商いをやっていても行列ができるお店もあれば、閑古鳥が鳴いているお店もあります。この違いはなんなんだろうって思うことがあります。
ここって、かつていろんなお店が開かれるけど、なぜかいつのまにかすたれて、そのうちなくなっちゃうよなってところもあります。ここ10年だけでも、ラーメン屋だったこともあれば、飲み屋になったこともあるし、スポーツ用品店だったこともあったし、寿司やになったこともありました。なぜか、いつもなんとも気の抜けたふうに感じていて、だからお客に満たされているってことがなぜかない、そういう場所が。
同じように、お店がくるくる変わっていても、ここに入ったお店は、必ず繁盛して、別のところに大きなお店を持って、そちらに引っ越していくって不思議な貸しやも、わたしの近くにはあったりします。
不思議なものだなぁ〜と思いながら、通りを歩いて、いつか通りを抜けて、神戸駅前近くにまで来ました。
電車が動き出しました。神戸の街が、どんどん遠ざかっていきます。車内には、関西弁のしゃべりがあちこちから聞こえます。ここは確かに関西なのだ。昨日の昼に始まって、今日の昼下がりに終わった神戸の旅。ほんま ええ旅やった。
今年度、半日休みが数回……、5月1日の土曜に河口湖、山中湖への家族旅行のために、そして子供の学校に、参観日に、ぐらいだったので、年末に……、ということで、午後からお休みをいただきました。
妻に迎えに来てもらい、職場近くのお店で一緒に遅いお昼を食べて、それからクルマに乗りました。空は今にも降り出してきそうな様子です。気温は5度を越えているようですから、降ってくるとしたら、雨。それとも雪に変わるのか?ここ数日、気温の低い日が続いていましたから、降れば決まって雪でした。
時間はまだ2時をすぎたところ。せっかくの休み、きょうはゆっくりすごしたいと思っているだけで、他に何も予定がありません。エンジンをかけたももの、左へ行けば自宅方向になるだけです。このまま帰るのも、ちょっと……、なので、右へハンドルをきってもらいました。
ちょっとドライブのつもりで走る道路は、水曜、平日の午後にしては、行き交うクルマが多いのかもしれません。もしかして、もう年の暮れ?年末年始休暇に入っている時期だからでしょうか?
「ねえ、ジュエリーショップが…」
「えっ、どこ?」
「そこ。前からあると思ってたんだけど…」
「へぇ、そうだったの。じゃ、入ってみようか」
「でも、…」
「入って見るだけ。行ってみようよ」
入り口へのアプローチを一段二段と上がって、ドアの取ってを持つが開きません。どうやら鍵が掛かっているようです。呼び鈴を押してみると、中から鍵を開ける音がして、ドアが開きます。
愛想のよい、やさしい女性の声に促されて、一歩入ってみました。ドアは閉じられ、そして鍵をかける音がします。『えっ!』と思いますが、なるほど。セキュリティーのためと気がつきます。そして、言われるままにブーツを脱いで、スリッパに履き替えます。妻と並んで入ってみれば、……
「どのようなものをお探しでしょうか?」と、やさしい男性の声。
「えぇ、まぁ…… 赤い石を……」
「それでしたらルビーはいかがでしょう…」
「いえ、レッドベリルはあるかと……」
「残念ながら今は…」
「あのぉ、ガーネットはどうでしょう。」
レッドベリル。それは、11月に神戸で知った石。レッドエメラルドとか、ビクスバイトの別名もある赤い石。ネットショップで探してみれば、たしかに見つかりました。お値段云十万円。
しかし、画像は当てにできないと思っています。こういうものは、やっぱりなまで見て、感じなきゃ。 …と、さも分かったようなことを書いていますが、ホントのところは、ただのサラリーマンが、喫茶店でコーヒーを注文するような、お手軽プライスから、遙かにかけ離れた値がついているものですから、すっかり腰が引けてしまって……。
ジュエリーショップといえば、ショーウィンドーに、リングや、ピアス、それにネックレスやペンダントに、きれいな石がついて、“アクセサリー”になった数々があって、それを見て、ときどき試着させてもらって、鏡に映して見ると、「お似合いです」、「でもぉ」と、お値段と懐具合とがせめぎ合うところ。
ところが、このお店では、テーブルに並べられているのは、リングでもなければ、ペンダントでもありません。プラスチックの小箱があるだけ。手に取ってみれば、5cm四方、厚さにして2cmほどの小箱というには、あまりにも小さな箱が、目の前にずらり。
一つ開けてもらうと、そこには、ほんとにきれいにカットされた、人差し指の爪ほどの、きれいなきれいなクリスタルのチップがドンと存在感を持ってありました。
もう一つ開けてもらうと、それよりさらにさらに小さな、赤い石。それは鮮やかに光り輝くガーネット。
他には、透明な石、青くて紫の石、緑に光る石、エトセトラ…。きれいな石を出してもらっては、「これは……です。どこの鉱山で……、その中でも特別に透明度の高い……」と、微に入り細に入り説明してくださいます。確かにきれいな鉱物が好きで、むかぁし学校の図書室で鉱物図鑑を開いては見ていたはずですが、知識にあるのは、石英、水晶、チャート、そして砂岩、泥岩、礫岩、石灰岩、花崗岩に……。後は誕生石のいくつかぐらい。宝石貴石図鑑も見たはずだけれども、記憶の遙か彼方……、そういう名前の石、あったような…… 笑。
お店を出てみると外は雨が降っていました。クルマに乗っても、興奮冷めやらず。まっすぐ帰るのもどうか、ということで、もう少し妻にはドライブにつきあってもらうことにしました。
しばらくすると、妻が虹が出ていると言います。ケータイを取り出して、窓越しに、パッと差し込んだ日差しで東の空にかかった虹をパチリ。クルマを止めるスペースを見つけようと探しているうちに、虹は、あっというまに薄れていました。
それにしても、虹とはラッキーな予兆!
この日、ほんとに思い出深い一日だったのです。
年が改まって、 1月。
マイジュエリを作ろうよ。マイギフトしようよ。世界に一つだけの、自分のためだけのオリジナルを作ってみようよ。そう思って、また行ってみました。
あの日見た、『わたしを買って!』と、訴えかけてきたと妻は言う、あの赤いガーネットは、そのお店でじっと、妻を待っていてくれました。そして、その石をメインとした、オリジナルのペンダント作りが始まったのです。
どんなイメージにするのか?を提案し、それを基にデザイナーが原案をデッサンします。
風景をモチーフにするのか?お花をイメージするのか?空を飛ぶ鳥、野を渡る風、川のせせらぎなのか?幾何学図形からヒントを得るのか?夫婦で作るなら、二人の繋がりをデザインに込めるのか?などなど。
石はメインストーンの他、どの石をいくつ、どんな風にあしらうのか?例えばメレダイヤだけにするのか?引き立て役のセカンドストーンは配置するのか?第三の石の存在も考えるのか?
そして貴金属の素材は、ゴールドなのか、シルバー、それともプラチナでいくのか?またテクスチャー(表面加工)は、するのか、しないのか?
同じデザインを使っても、これらの組み合わせで、無限大のバリエーションが可能となります。
初めてのジュエリーデザイン。妻は、それほど具体的なビジョンを持っていませんでした。それでも、担当してくださった方の雰囲気なのでしょうか、だんだん見えてきているようです、希望するアクセサリーの全体像が、妻の中に。彼女は、“音楽”から手がかりを得たようです。
数週間後、デザイン画ができあがりましたの連絡を受けて、わくわくしながらお店へ。案内されたテーブルについて待つことしばし。
わたしたちの前に、あのときの男性が座り、「これです」と、三枚のデザイン画を提示されました。
一枚ずつ、デザイナーさんが描いた、妻の構想を具体化した図画が提示され、デザイナーさんが、妻のアイディアを具体的な“形”にしたプロセスも説明してくださいます。
一枚一枚、じっくり見て、聴いて、そして、ぴんとくる“これ”が見つかったようです。
デザイン画は実寸大。妻が選んだ一枚に、慎重に、ピタリと、そこに来るはずの石が乗せられていきます。一つ、また一つ、そして全ての石が配置され、より具体的な質感がそこに現れたところで、再び見ます。緊張の一瞬です。
「やっぱりこれでお願い」と、正式にオーダーが決まりました。
それから待つことおよそ一ヶ月。できましたの連絡がきました。
そこには、ゴールドの台に赤と緑の石にメレダイヤをあしらったすてきなジェムのアンサンブル。世界にたったひとつのアクセサリー。
妻は、ここぞというときに、ガーネットのそれを身につけて出かけていっています。