2006年のエッセイ

 この年のエッセイは、2023年12月に、わたしの日記などを元に記述したものです。
内容は、できるだけその当時の記録を忠実にトレースするようにしてあります。

エクセルで会計 2006年 3月19日
諏訪湖 2006年 3月25日
お伊勢参り 2006年11月11日
クリスマスイブイブ 2006年12月23日


エクセルで会計 2006年 3月19日

 1998年からの視障協支部の会計を今年度いっぱいで終えます。MS-DOSでやっていた会計簿をエクセルでやるようになって5年。最初はただの表。それが今は関数を用いて金額を入力すれば、自動的に計算する、ちょっと汎用性のあるものになってきましたが、これも今年で終わります。

 始めてエクセルを使ったのは1999年4月でした。このころは、とにかく興味本位。これを使って表計算をしよう!といった強い気持ちはありませんでした。
2000年6月にエクセル2000にアップグレードしたときは、とにかくこれで会計をやろう!と意気込みだけはありました。でも、そもそも見えてなんぼの“表”にかなりてこずった思い出があります。そのことは、2002年のエッセイに書いてあるので、興味のある方はそちらをどうぞ 笑。
そして、2004年5月に自宅のパソコンにエクセル2003を入れました。このことが呼び水になったのか?それともただの偶然だったのか?翌6月、職場での主となる記録をエクセルでやることになり、7月初日に向けて業務管理ソフトをエクセルで作ることになりました。できあがってみると関数入れまくり、その他エクセル固有の様々な機能を盛り込んでの“表”ができ、それ以後、何度もバージョンアップを繰り返して、今に至っています。

 これで、視障協の会計のお仕事は終わりますが、どうもエクセルとの縁は切れそうもない……、というか、この先もっと使うことになっていくのかも…… 笑。


諏訪湖 2006年 3月25日

 長男は、18才になるのを待ってすぐ、自動車学校に入校。わたしと妻は、ネットでお手頃の中古車を探して、見つかるとすぐ、そのディーラーに息子たちを連れて実物チェック。息子は、気に入ったということで、その場で契約。一週間後にそれは来ました。
息子はまだ、免許ないので、妻が代わりに運転。ちょっとドライブにでます。いい感じです。ただ、ふとタイヤを見ると、ディーラーに展示してあったときのとは違うことに気がつきました。そこそこ新しいタイヤを履いていたはずです。ところが、これは、磨り減りきった古タイヤ。これはいけません。

 クルマは、人間が日常使う道具の中で最も危険なものの一つ。タイヤ次第で防げる交通事故も防げないとしたら、起きたとしても、軽く済ませられるものも、大きな事故になってしまうとしたら、それを無視できるほど、わたしはノー天気ではありません。すぐに、近くのオートバックスに行って、新しいブリジストンのタイヤに交換してもらいました。選んだタイヤは、やはり、性能の高い方です。

 クルマが一台増えまして、とりあえずの野ざらし駐車。やはり建てるか、カーポート。
ネットで調べますと、案外近くにカーポート専門の業者があることが分かり、妻と子供たちとで行ってみました。
実際に建っている見本を見て回り、耐雪性能の高いアルミ製カーポートに決めて、幅、奥行き、高さをチェック。庭の一部、予定地の実測値に、ピタリ合いました。その場で契約。後は、建築予定日までに、庭の整地です。立木や置き石などをかたづけるのが、思っていた以上にたいへん 笑。

 次男が卒業。次の学校に進学が決まり、長男も免許取得。旅に行こう!
諏訪湖に決まり、ネットで宿も取りました。妻が運転するつもりでしたが、長男が自分のクルマを運転したいと言うので、運転席に長男、助手席に妻、後部座席に、わたしと次男で出発。
途中、安曇野ワイナリーに立ち寄り、次に霧ヶ峰高原へと移動しました。時間はお昼。雪はまったくありません。駐車場にはクルマが数台程度。雪がないので、スキー、スノボに来ているわけではないでしょう。
クルマを降りたわたしたち、とりあえず食堂に入って、お昼にしました。

そこから、車山四人乗りリフトがあるというので、乗り場に歩いてみます。乗車場にほとんど人はいません。待ち時間なし。すぐに乗ることができました。お天気上々、見晴らしはとてもよかったようです。
ところが、そこはやっぱり山の天気。みるみるうちに下からガスが迫ってきています。雨具を持ってきていないので、すぐに降りの乗り場へ向かいます。さいわい、下りも待ち時間なし、すぐに乗ることができました。リフトは下に向かっていて、ガスは上に向かってもくもくもくもく。あっというまに白い雲の中に突っ込んでしまいます。
これが霧ヶ峰の霧なのかと思いながら、どんどん下に向かって降りていきます。そのうち、顔が濡れていることに気がつきます。妻も子供たちも、頭といわず、身体といわず、前半分、風を受けている側が濡れてきていると言います。そして、降車場に到着したときには、髪の毛からポタポタ滴が落ちるほどになっていました。
駐車場に戻ってみれば、そこも霧の中。それでも100メートル以上視界がきくので、運転に支障なし。そこを離れることにしました。山道を右へ左へとカーブを切りながら、降りていけば、あれほどあったガスはなくなってしまい、来たときと同じような風景に戻っています。もしかして?と、視界がきくところで頂上付近を見てもらえば、そのあたりは、すっぽり白い雲の中。影も形も見えないとのことです。やっぱり降りてきて良かったのだと思った瞬間でした。
さあ、次の行き先は、諏訪湖です。

 予約の宿にチェックインして、子供たちは、さっそくお風呂に行きました。夕食までに少し時間がありますから、わたしと妻もそれぞれに時間を過ごすことにしました。

 翌朝9時半過ぎにチェックアウト。諏訪湖の湖畔を散策しようと、家族四人で湖畔を歩いていると、突然、轟音!
いったい何が起きたのか?
が、まもなく分かりました。間欠泉だそうです。時間は午前10時。温泉が地下から噴出したのです。

 その日、もうしばらくそのあたりを散策し、そして、息子の運転するクルマで帰途についたのでした。


お伊勢参り 2006年11月11日

 ことの始まりは、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士でない、病院でリハビリテーションを行っている者、例えば、あんまマッサージ指圧師や、看護師などは、定められた研修を受けて、試験をパスしなければならないという旨の情報にありました。それを確かめてみれば、概ねその通りということで、わたしは7月から半年に及ぶ指定講習を受けることにしたのです。このあたりの詳細はそちらの専門hpにあるので、ここではアバウトといたします。
受講会場は、愛知、岐阜、三重の3県にまたがって設定されていました。中出も愛知開催は、全日程の7割以上、つまり半年間のほとんどを愛知県に行くことになります。
この講習に、わたしと同じように病院に勤めているH君、盲学校の同級生も一緒に通うことになっていまして、それぞれの妻が、同校介助してくれることになりました。
講習の開始は午前9時半。この時間までに入室、受付、着座しなければなりませんので、始発の長距離電車で行く以外、選択肢はありません。そこで、受講の日は、朝4時起き、4時40分には駅に着いていることになったわけです。

 初回、四人が予定の時刻に駅に集まります。わたしの妻は、外せない仕事があるため、わたしを送ってから帰りました。改札口からは三人です。連日の雨は降っていません。外はすっかり明るくなっています。この日が、どうなるのか?……、そして目的の駅に着きました。初めての場所ですが、介助をしてくれるH君の奥さんが下調べしてくれていたおかげで、予定時間前に着くことができました。
午前9時過ぎ。会場に着いてみれば、もうすでに多くの人が集まっています。わたしとH君は、受付を済ませて、空いている席に座って、時間を待ちます。その間も次々と受講者が来ているようです。そして講習全般の説明があり、しょっぱじめの講習 リハビリ概論 が時間通りに始まりました。ICレコーダーの録音ボタンを押して、ひたすら講師先生の話に集中します。

 それにしても、毎度のことですが、ただただ聞いているだけの6時間というのは、意識を覚醒レベルに保ち続けるって、きつい。まずあくびが出始め、それをかみ殺していると、そのうち聞いている声が、意味ある言葉から、意味のない音に変質し、その音もだんだん聞こえなくなり、まぶたが降りていることさえ気がつかなくなり、頭が垂れ下がり、……。ときどき何かの刺激でふと意識が戻っても、またすぐに意識が混濁してきて、長い無意味な時間が流れていくだけの状態に入ってしまいます。しょっぱじめからこうなのですから、先が思いやられます 笑。

 最初の講習が終わり、まもなくH君の奥さんと研修室の外で落ち合い、そのまま駅へと歩きます。外は真夏の暑さです。聞くと昼頃はもっと暑かったそうです。
駅に着いたわたしたちは、電車を待つ間、駅構内の食堂で、軽く食事をすることにしました。

 時間を三ヶ月先送りしまして、時は、10月29日。
始発電車で来ることに変わりはありませんし、講習を最後までまじめに聞いていることも変わりはありません。ただ、講習を受けている間の妻たちの過ごし方が変わりましたし、講習を終えて帰りの電車に乗るまでの時間の使い方も変わりました。
この日の講習、講師先生の都合により、少し早めに終わりました。そして妻たちが来ました。四人で、会場を出てくるとき、日没までまだ1時間以上あるようだし、晴れているし、近くに熱田神宮があるということで、ちょっと行ってみないか?となったのでした。なお、熱田神宮には、三種の神器の一つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)があるとされています。このことについては、専門のhpなどにお任せしたいと思います。

 割と時間できたので、ちょっとお参りしてみようと、行ってみれば、桁違いに広い境内にびっくり。こんなに大きな神社があるんだ!それに初詣でもないのに、参拝客が次から次へと入ってきます。
鳥居をくぐって、次々と行く人の流れもあるのですが、それほど急いでいませんので、参道の所々で歩みをとめては、西に傾いた木漏れ日とか、樹木の間からそよぐ風を感じたり、大きな木にカメラを向けて撮影したりします。写真のタイムスタンプは、16:19、16:20、そして16:33となっています。拝殿までの途中で2枚、帰りに1枚ですね。

 その日の帰り道、次の講習が三重県であることから、四日市での前泊についてH君夫妻と相談し、行きは、それぞれ自由。ホテルは2室。帰りは一緒にと決めたのでした。

 11月11日、わたしと妻は、前泊予定の四日市に行く前に、伊勢神宮に行くことにしました。前回熱田神宮にお参りしたので、というだけの単純な発想です 笑。
その単純ついでに、お伊勢参りと言えば、それ相応に時間をかけて順番にお参りをする“順路”があるのですね。日々の仕事に時間を取られてといいわけしまして、そのことも知らずに五十鈴川駅に着いたのが午後3時過ぎ。とりあえずバスに乗って、お伊勢参りイコール内宮に向かえばいいのだと内宮前で下車したのが、午後4時過ぎ。
降りた人たちは、脇目も振らずに橋を渡って行きます。わたしと妻は、橋の上から川を眺めたり、参道の途中で大きな木を眺めたり、ときには写真を撮ったりして、ゆっくりと進んでいます。それにしても着かないなぁと思いながら歩いているうちに、どうやら着いたようです。階段を上がったところに参拝している人がいます。わたしたちも段を上がって、お決まりの参り方でお参りします。
そこから、さっきの人が行った方に向かってわたしたちも歩いていきます。周りは暗くなってきています。荒祭宮(あらまつりのみや)です。次に、風日祈宮(かざひのみのみや)とお参りします。
そのとき妻が、「ここ5時までとあるわ」と言います。時間を確かめてみれば、4時47分。「まじか!出口分かる?」と、妻に聞けば、「こっち出口だって」と、歩き出します。
参道にはもう誰もいないし、つるべ落としさながら、いきなり暗くなるし、なんだか道は左右の樹木に押されるように狭くなるし、ぱたぱたと急ぎ足で歩きながら、だからといって中に閉じ込められることもなかろうと思いながらも……、パッと道が開けて、気がつけば外です。
「セーフ!間に合った」

 後から調べてみれば、内宮って、いつも人がいっぱいだそうです。まじか?ほとんど誰もいなかった……。
それから、その時期、三重県の日没は4時50分ぐらいだそうです。だから一気に暗くなったってわけか……。

 とにかく、そこからおかげ横丁という所で、ちょっと遅めのおやつを楽しんで、その日宿泊のホテルのある四日市へと向かったのでした。


クリスマスイブイブ 2006年12月23日

 12月23日午前4時40分。駅に到着。いつもなら、雪を心配している時期ですが、今年は、さいわいにここまで雪なしの暖冬。18日に初雪が記録上あったらしいのですが……。この際です、このまま講習会が終わる3月まで雪なしであってくれたらいいなとか思いながら、H君夫妻と名古屋に向かいます。

 会場に入ったわたしとH君、妻たちを送り出します。講習が終わるまでの間、彼女たちには、自由になってもらうのです。
わたしの妻は、結婚して以来、子供たちとわたしのために自分の時間を使ってきています。今回の講習会は、朝9時にわたしを会場に連れてくれば、迎えの4時半まで、完全に彼女の自由になると言いました。たしかにその通りです。初めの頃は、離れても、そこそこ会場近くにいたようですが、すぐにそれが必要ないことに気がついて、いろいろと観光やショッピング巡りを計画するようになりました。
この日は、奈良県まで足を伸ばすというので、いってらっしゃいと会場から送り出します。先月は京都まで行ったのですから、どうということはありません。楽しんでくれれば、こちらもわざわざ来たかいがあるってものです 笑。

 この日、講師先生の都合で少し早めに終わりました。H君の奥さんは、それほど遠くに行っていなかったようで、いつも通りに来ました。わたしはここで待つと妻に言ってあるので、彼らには先に行ってもらうことにしました。もちろんわたしも妻もケータイを持っています。が、そんなつまらないことで電話を掛けるような野暮なまねはしたくないし、時間の使い方など有り余るほどあります。
先日、地元のオカリナ倶楽部にわたしの勤務先に来ていただきまして、クリスマス・オカリナ演奏会を催しました。そのとき、最後の曲が始まるところで、わたしがフルートを持ってオカリナ合奏に飛び入り参加。オカリナとフルートの合奏曲で終わるというふうにしたのです。でも、それはすべて打ち合わせ済みの演出だったのですね。そんなことを思い出しながら、イメージの中でフルートを吹いたり、次はどんなイベントを企画するか?みたいなことを空想しているところに妻が来ました。
「奈良はどうだった?」
「良かったわ」
「それは良かった」
「でもね、あまり時間なくて……」