この年のエッセイは、2023年12月に、わたしの日記などを元に記述したものです。
内容は、できるだけその当時の記録を忠実にトレースするようにしてあります。
アパート探し 2008年 1月26日
引っ越し 2008年 3月22日
事前調査 2008年 5月 5日
新しいスキャナ 2008年 7月27日
篤姫だから? 2008年 9月28日
オプショナルツアー 2008年10月19日
エクセルで集計 2008年12月24日
長男の大学進学が決まり、「早々に住むところを決めた方がいい。4月に近づくほどに、よいアパート物件が見つかりにくくなるだろう」、という、わたしの意見で、家族で現地に行くことにしました。それに街をできるだけ見ておきたいので、一泊するために、ホテルも予約しました。
まずは、入学する学校。そこから生活拠点となりそうな辺りをクルマでまわってみます。なんとなく分かったあたりで、この辺りがよさそうと思う不動産屋に入ります。とにかく、現地のことがいちばん分かっているでしょう…、という見込みで入口を入ってみます。
受付カウンターで説明しますと、すぐ人当たりの良さそうな男性にテーブル席に案内されました。そこで、条件……、主に予算ですが……、学校からの距離とか、周辺地域の雰囲気、住宅街なのか、飲食街なのか、田園地帯なのか……ですね……、の希望と物件とのマッチングです。しばらくすると、A、B、Cの三つの候補を持ってきた担当者が、それぞれの説明を始めます。家族で聞いて、写真も見せてもらいました。
「それじゃあ、それぞれの現地に行きましょう」と言う、担当者の一声で、順番にクルマで送ってもらいます。一カ所ずつ、部屋のドアを開けてもらい中に入らせてもらい、隅から隅まで見て、それから周辺も少し歩いてみます。質問には、適切に答えてくれましたから、そのあたりは大丈夫な気がしました。
物件A、B、Cそれぞれに長所と短所があって、そして面白いことに、どれも長所短所が異なるのです。たとえばA、B、Cの順番で町中から郊外になるとかですね。ですから、どれを採用するか?だけだと思うのです。それらを考えた上で、わたし個人的には…と、思いました。しかし、選ぶのは息子ですから、余計なことは言わずに見守っていました。妻も同じようです。
不動産屋の店舗に戻り、テーブルについたところで、息子はCを選びました。わたしも妻も彼の選択を尊重して、その場で契約し、3月末に入居ということにしたのでした。
思っていたより事がすんなりと進みました。予定は一泊二日です。その日の夜は、食事をしながら、次にいつ来るか?何を持ってくるのか?現地で何を買うのか?そのような具体的な話をしながらとなり、もうすっかりそういう気分です 笑。
翌日は、ホテルをチェックアウトし、町中をドライブして見て回った後、ちょっと足を伸ばしてから帰途に就いたのでした。
長男の新しい生活が始まるということで、家族4人で彼のアパートにきました。自宅から持って行く物は少なく、ほとんどの家財道具を現地調達することにしたので、まずは大型家電ショップ。
入ってみると、あるんですね、新生活コーナー。その一角でほとんど丸ごと準備できてしまうのですね。しかも、まとめて10万、20万、30万みたいに価格別なっていて、いくつかのメーカー組み合わせもあれば、同じメーカーで統一パックも。もちろん、好みを組み合わせてもいいらしい。とにかく、選ぶのは子供。こちらはお金は出すが口は出さないを終始決めていればいいだけ。
さて、ここにきて、問題が一つ浮上。前のエッセイで書いたように、住むところを早く決めていたことは、良かった。でも、生活スタートが、遅かった。部屋に配達してもらう最短の月日が、半月後なのだとか……。それだと、もう学校が始まっている。このことは家具でも同じでした。とりあえず、在庫がある物で、自分で持ち帰るならオーケーと言うので、本人は、入学少し前に来て、そのままアパート生活を始めながら、少しずつ運ぶということになりました。それで、最低限の生活は始められるから……。
もともと、小さい頃から、アウトドア生活を教えてきたし、小学校に上がる前から、かんたん料理もできるように……、NHKの料理番組 『ひとりでできるもん!』を見て、妻と一緒にやっていたから、そのあたりは心配ないとは思います。わたしも、18で東京で一人暮らしを経験しているので、時代が地ダウとはいえ、というか、あの頃は、親に何か連絡を取ろうと思ったら、ポケットに十円玉か、百円玉じゃらじゃら入れて、公衆電話で電話掛けるしかなかった。今では、ケータイでいつでも連絡できるし、写真だって送れる。交通手段も夜行列車だったのが、クルマでささっと行くことができるし、電車だって格段に速い。全然近いのです。だから逆の意味で時代が違うのです。
「大丈夫だよ」と、わたしは妻に言って、お金は出すが口は出さないを最後まで通したのでした。
空は晴れて気持ちがいい。きょうはいい日だ。
妻から、次男が、近々学校の修学旅行で東京に行くのだと聞きました。そういえば、わたしも中学の修学旅行は東京でした。ふと、あの頃は……と、思いをはせていると、妻が、「それで、班別行動するのよ」と、言いました。あまりちゃんと聞いていなかったので、「えっ?何?」と、うっかり聞き返してしまいました。
話は、全員が同じ行動をするのではなく、現地で、7、8人のグループに別れて、別々の行動するのだとか。しかも、事前にテーマを決めて、そのテーマに合った訪問場所を決められた時間内で訪れ、調べてくるということだそうです。
わたしの頃は、全員まとめて、ただ連れられてました。バスで順番に回って、皇居から、国会議事堂、東京タワー、新宿高層ビル街……。生徒の希望など、どこにも反映されることなく、気がついたら、宿で下ろされてました 笑。
今では、生徒が、コース決めるのですね。いい時代になったものです。
それで、聞けば、工場地帯探訪、政治行政探訪、公共交通機関調査、商業中心、マスコミ中心などある中、彼のグループは、神社仏閣調査になったというのです。東京には、有名なお寺もあるし、神社だってありますから、いいと思うよと言いました。
行き先は決めたの?と、聞くと、鎌倉から浅草までとのこと。思わず「まじか?」と、言ってしまいました。エリア広すぎない?彼もそう思ったらしいのです。でも、多数決でそうなったというのです。
しかも息子は、班長だって言います。
ネットで路線を調べることはできるし、地図もワンクリックで表示されます。旅行記もいろいろ調べることができます。ですから、それを組み合わせると、簡単に旅行プランを作ることができます。でも、旅行って、あるのよ、ハプニングとか、ハプニングとか、ハプニングとかが。わたしも妻も息子も、そのあたり割と経験しているので、あまり時間のタイトなプラン、作らないというか、どちらかというと、ゆるプラン派です。そういうことが、彼の意見はどうやら多数決で否定されたらしいのですね。
「よし、分かった。そのプラン、実行してみようじゃない。実地調査やっちゃおうよ」
羽田空港で東京入りしたわたしたち三人。まずは、プラン最初の訪問地、鎌倉、長谷寺に向かうことにしました。5月4日、連休のど真ん中の日曜日。天気は晴れ。今回も雨の心配ゼロです。
午前10時、江ノ電、長谷駅を下りれば、もうかなりの人でにぎわっています。わたしたちもその流れに乗って、歩いて行きます。徒歩5分とありますが、もう少しかかりました。そしてお寺の山門です。さて、ここで何を調べるのか?広さもあるし、一列に並んであるくしかできなさそうな狭い道、アップダウンつきです。先を行く人を無遠慮に追い越すのもいかがか……です。
10時半、鎌倉の眺望を写真に収めて、何かを調べているという時間の代わりに、茶室でいっぱいいただきます。そして、次の目的地鎌倉大仏に向かったのでした。
長谷寺前に歩いてきたわたしたち、時間の関係から、移動手段をタクシーとするために、タクシー待ちをしますが、同じ事を考えている人たちが、ならんでいます。けっきょく、クルマでの移動時間は5分となっていますが、鎌倉大仏の高徳院に着いたのは、正午少し前。記念の写真を11時58分に撮影し、しばらく散策。そしてタクシー待ちの列につきます。
三番目の目的地は、鶴岡八幡宮。そこに着いたとき、時間は午後1時を過ぎていました。ここはけっこう広く、当てずっぽうに歩き出せば、いつまでも……。とりあえず証拠の写真を1時19分に撮ります。そして、遅いお昼をとったわたしたち、JR鎌倉駅から、東京都内へと大移動を開始します。
都営地下鉄 大江戸線門前仲町駅から地上に出たわたしたちは、深川不動尊へと向かいます。正式には、成田山 東京別院 深川不動堂ですね。
ここにお参りし、4時25分、記念の写真を撮影します。そこから、横滑りするように、富岡八幡宮に参拝し、都営大江戸線に戻ります。
都営浅草線 浅草駅から地上に出てきたわたしたち、雷門から肺って、浅草寺を目指します。しかあし!大混雑。そりゃそうです。とりあえず浅草雷門の写真5時22分を撮影して、仲見世に突入!
もうこの時点で、夕方。こんな時間です。お腹ペコペコ。ここで晩ご飯にするっきゃないでしょ 笑。
所要時間 ?時間。どこをスタートにするか?ですが、午前9時が適当でしょということで、終点浅草で午後6時。ここから、宿泊地のホテルに戻ると、プラス30ぐらいはあるということです。中学生の修学旅行のグループ別行動 プランとして、実効性ありやなしや?
Canon imageFORMULA DR-2510Cを買い求めました。これまでのスキャナとはコンセプトが異なっていまして、“卓上型シートスルースキャナー”というものです。
これまでわたしが使ってきたスキャナは、“フラットベッドスキャナー”と言われるものです。見た目はコピー機のような外観です。というのは、コピー機から印刷メカを外すとスキャナーになるのですから、そうなんです。
では、シートスルースキャナーは?といえば、2001年のエッセイ 新しい読書に書きましたように、フラッドベッドスキャナーにADFを乗せたものから、フラッドベッド部分を取り外したものと考えていただければいいかなぁです。つまりADFだけのスキャナーです。ですから、単票用紙しか扱えません。そういう意味では、OCR専用スキャナーです。
そして、これまでのフラットベッドスキャナ+ADFでは、紙の片面しかスキャンできませんから、表面をスキャンした後、裏面をスキャンするという二度手間が必要でした。今回のスキャナーは、紙の裏と表を同時にスキャンできるのです。これまで一冊2時間かかっていたスキャン作業が、単純に1時間に時短できるということです。しかも、一度に扱える紙の枚数もこれまでのほぼ倍ですし、更にうれしいことは、紙送り速度のスピードアップです。ほんと効率良くなりました。こんなうれしいスキャナー手に入れない選択しはないと思いませんか?
そういうことで、これまでのフラットベッドスキャナーを机から下ろして、これに取り替えました。
今使っているOCRソフトは、e.Typist v.12.0だけです。読取物語EX v4は、2001年以後、アップグレードがありません。e.Typistは、一回の読取枚数が500枚が上限なので、これについて上限を撤廃してほしいとメーカーには要望していたんですけど、どうやらそうするつもりはなさそうです。それに対して読取物語は枚数制限がないのですね。これまで一冊の本が500ページを越えた経験は、たぶん10冊を越えていないと思うので、それほど不都合ではないのですけどねぇ。
テレビはほとんど見ません。なのに、今年は珍しく大河ドラマを見ています。なぜでしょう?じぶんでもよく分かりません。分からないのですが、とにかく毎週日曜夜8時になると、テレビの前に行っています。
時代背景は、幕末から明治までを扱っています。その頃に生きた人たちのドラマです。今から、たかだか150年ほど前のことですね。とっても昔なのかもしれませんし、ほんのちょっと前のようにも感じます。でも、その頃にわたしはいませんから、分かるはずがありません。ちょっと前に感じるというのは、きっとドラマで見たせいでしょう。
幕末頃の日本のことをもう少し知りたくて、今年こういう本を買いました。
書籍名 | 著者名 |
---|---|
最後の将軍徳川慶喜とその時代がわかる本 | 永岡慶之助 |
徳川慶喜 | 三好徹 |
大政奉還 | 童門冬二 |
巨眼の男西郷隆盛 上 | 津本陽 |
巨眼の男西郷隆盛 中 | 津本陽 |
巨眼の男西郷隆盛 下 | 津本陽 |
勝海舟 | 船戸安之 |
西郷隆盛 | 池波正太郎 |
徳川慶喜 | 加野厚志 |
池田屋の血闘 | 加野厚志 |
それにしても、大河ドラマを見ているのに、篤姫の伝記ものを読んでいません。これはどうしたことか?なんか、西郷隆盛にえらく肩入れしているような……、(反省しまぁす)
長男から、演奏会あるから、聞きに来てとメールが来たのは、一ヶ月ほど前。大学に入ってすぐ、吹奏楽部に入ったのだとか。
それを受け手、じゃあ行こう!と、妻と次男を誘って、向かったのは広島。
「なあ、ただ息子の大学に行って、演奏を聴いてくるだけって、あれだよ。この際だからオプショナルツアーはどう?」
「えっ?」
「前泊しようってこと。可能性の話、お昼に大学に着けばいいのだから、その日の朝、東は仙台から新幹線で間に合うし、西は博多からでも間に合うんだよ。つまりだ、前日、仙台で青葉城を見てていいし、博多でラーメン食べててもいい。わかるかい?」
「うん」
「それでだ……、仙台と博多の間のどこで前泊しよう?そういう話なんだな」
新幹線のぞみ7号博多行きを広島駅で降りてみれば、ホームに黒山の人だかり。これは一体どうしたことか?改札口に向かうための階段にさえ行けそうもありません。しかたないので、ここで今降りた新幹線を撮っておこうとデジカメを向けます。時間は午前11時ぴったり。西に向かって発車するのぞみを動画でカメラに収めます。
「ねえ、みんなあれを撮っているよ」と、息子。ホームの反対側に停車中の新幹線を指し示します。
「?」
「0系を撮ってるんだ。もうすぐラストラン……」
「ああ、そういうこと。てっちゃんたちってことか」
すぐにカメラをかまえて、0系を静止画撮影し、11時3分、こだま639号博多行き発車の瞬間を動画で納めました。発車のベルが鳴り、それが終わると、警笛、そしてブザー。そこからがアナウンスの連続、不明瞭な音で……から離れて、はっきりとした声で、写真関係のみなさま、ただいま発車いたします。大変危険です。柵から離れて、足下の黄色い線の内側までおさがりください」
わたしたちは、のぞみを降りたところからほとんど動いていないので、0系撮っているんだよな。でも、これって、きっと駅員に注意受けているてっちゃん撮っていることになるよなぁとか思いながらカメラを回していたのでした。
0系が走り去り、いくらか動き出したてっちゃんたち。わたしたちも改札口に向かって歩き出したのでした。
駅から出たわたしたち、手頃なところでお昼を食べて、そして予約していたホテルに寄って、荷物を預けてから、原爆ドームに向かうことにしました。
12時14分、原爆ドームを写真撮影し、息子はどう思っているのかな?と思いながらその辺りを散策しました。あまり余計なことは言わないことにしようと思っているので、終始黙り気味で歩きました。わたしや妻もいろいろと感じることがありまして、特にわたしなどは、特に人の人生の最期に関わる仕事をしていますから、おそらく普通の人とは、感じ方にいくらか違いがあるのかもしれません。そういうことについては、またの機会にすることとしましょう。道路に戻ったわたしたちは、電車に乗り、きょうの目的地、宮島へと向かったのでした。
フェリーは、 1時40分。この時間にしては乗客多いと思います。そして着岸。わたしたちも人の列について降りていきます。
宮島といえば、やはり大鳥居でしょう。潮が引いているときだけ、歩いて渡ることができる海中の鳥居です。わたしたちが島に上陸したときは、もちろん大鳥居は海の中。歩いて行くことはできません。でも、待てば干潮になるのです。
この日、広島の日没は、17時32分。月齢は、18.8。つまり満月の三日後。広島での月の出は、19時55分。これだけ分かれば、午後5時あたりで目に見えて潮が引くと予測がつきます。
すぐにホテルに帰る手もありましたが、他に何の予定もありません。妻も息子も待つと言うので、それまでの間、島内散策で3時間を過ごすこと全然やぶさかではありません。もちろん、神社でのお参りは最優先。ここに来て、参拝なしなんてありえませんからね 笑。
「世良公則コンサートがあるわ」と、妻。
「へえ、そうなの」
息子は、きょとん。
なんか懐かしいですね。思わず「あんたに!あげえぇええぇた」と、歌いたくなります。
嘘です。わたしの声は向いていません。キーも違います 笑。
そうして午後5時近くに海辺に行ってみると、たしかにさっきより、明らかに水位が下がっています。海中から現れたばかりと思われる岩場が海面の上に出てきています。もうまもなくです。
とりあえず、一度土産物店が並ぶ通りに戻り、見て回ってから、もう一度行ってみます。すると、
「ああ、もう降りている人たちがいる」と、息子。
「もう鳥居に行ける?」
「まだ。でも、近くまで行っている人がいる」と、息子。
「どうする?降りてみるの?」と、妻。
「よし、行こう」
時刻は午後5時24分。とうとう鳥居まで行くことができました。何人も海底に降りてきて、歩いています。わたしたちも鳥居の下まできて、沈みゆく夕日を西に見ながら写真を撮ったり、どんどん遠ざかる波を見たりして楽しみました。
そして31分、日没の瞬間を撮影し、37分、太陽が沈んだ後の、夕日のグラデーション。トワイライトトーンを撮影し、島に戻りました。この後の楽しみは、カキご飯です。
翌朝、7時に起きて、出発の準備を始めます。8時20分までにはホームに出ていなければなりません。身支度を調えたわたしたち三人、荷物を持って、チェックアウト。駅へと急ぎます。朝からやっているお店で、コーヒーとトーストを食べ、妻が手渡してくれた切符をそれぞれ持って、改札口へと歩きます。
のぞみは定時運行しているようです。さあ行こう!
新幹線を降りたわたしたち、お昼までまだ1時間近くあります。あまり速く行っても時間をもてあまします。しばらく駅あたりでお昼を食べたりして過ごすことにしました。
そうして時間待ちした、わたしたち三人、演奏会が行われるホールに着いてみると、もう既に待ち遠しい人たちでいっぱいになっています。手頃なところで座席に着いて開演を待つこととしました。
中学三年生になった次男は、元気に二年と四ヶ月間、吹奏楽部でチューバの技を磨き、夏のコンクールに吹奏楽部としてチャレンジ。
わたし個人的には、中学も高校もブラスバンドといえば、男女半々。必ずしもとは思いますが、男子の金管楽器、女子の木管楽器、必ずしもではないですよ。でも、そういうのを聴いてきましたから、そういうもんかなぁと、先入観だと言われれば返す言葉はありませんが……。
それが最近では、ほとんど8、9割が女子です。次男の中学でもそうでしたから、なんとなく力強さに欠ける気がしてしまうんですよ。それでも、まだ他の中学から見ると、まだ男子力あるかなぁと思いました。力強さと繊細さのバランス取れていたし、けっこういけると思っていたんですよね。身びいきだと言われれば、これまた返す言葉ゼロなんですけど…… 笑。
けっきょく審査の結果、金賞を取ったのは、全員女子の吹奏楽部でした。確かに聴いていて、繊細さはありました。でも、吹奏楽やってて、こんな弱い響いてこない音でいいの?だったんですよね。最近はそういうトレンドなんでしょうか……。
話を戻しまして、長男の所属する吹奏楽部は、男女比が、6対4か、もしかしたら……。自分的には、良いと思いました。年齢も半分か、それ以上が成人しています。技術的にもわたしは満足しました。妻も次男も高評価を感想していました。
一人暮らしをして半年。長男は元気にやっているようなので、ほんとうに良かった。
新幹線汚液で、夕食で食べようと、三人それぞれお弁当を買って、車中の人となったのでした。
8月のことでした。職場で話し合いをしていて、さくっというとこんな話なんですけど、いろいろと上がってくる報告書。それをそのままにしていても“傾向”が見えてこないので、種類別に集計して、分かりやすくしたらいいんじゃない!そうしたらきっと……という話があったのです。
ということで、エクセルで記録表を作り、その記録を集計する集計表も作ってみたのです。そうしましたら、いい感じだったのです。
それが4月から11月まで蓄積されまして、「これ、今年一年の集計できる?」ということになりました。今月12日のことです。
「ええ、できると思います。いつまでですか?」
「24日の委員会までだから、その数日前までにできたらありがたいけど……」
「わかりました、やってみます」
もう関数は相当使い込んでいるので、それほどでもなさそうです。ということで、さくさくっと作ってみました。
日々のレポート表を参照して、毎月の集計を表示して、今度は、それを参照して、年間チャートに集計して表すだけです。ただ、できあがる表のサイズがどうしても大きくなってしまうので、そのあたりのカスタマイズにちょい工夫が必要でした。
それにしても、まさかここまでエクセルを使い込むようになるとは思ってもいませんでした。
一応説明しておきます。完全独学です。分からないことがあると、インターネットで検索です。『エクセル 関数 縦横集計』など、それっぽい検索語で調べます。するとあるんですよ。必ず答えが。いくつもヒットすることがあります。その中からこれ良さそうを二つか、三つ出してみると一つぐらいは当たりの説明……、これ視覚障害者にとっての当たりね。画像をふんだんに使ったのはNG、ノーサンキューなのです……、分かりやすい説明があると、それをコピーして、エディタにペーストします。そのままで良いこともありますが、関数名と、文法、機能だけあれば良いので、ちょちょいのちょいとお手入れして、excelというフォルダーに、例えば"vlookup.txt"といった関数名で保存したりしています。最近は、excelフォルダーを開くと、たいていのことが分かるくらい情報が増えました。
そんなことを繰り返しているうちに、少しずつ使えるようになってきました。
ここでたまたまvlookup関数を例に出しました。これ、よく使う関数です。F2キーで数式バーを開いて、=VLOOKUP(A2,Sheet3!A1:E9,4,FALSE)のように直接関数を書くというのが、わたしのやり方です。慣れると楽ですよ 笑。