2010年のエッセイ

パソコン 2010年 3月14日
比叡山延暦寺 2010年 5月 1日
相談会 2010年10月23日


パソコン 2010年 3月14日

 3月8日、仕事から帰ってきて、メールをチェックしようとパソコンを起動しました、……のつもり。
「あれ?」
いつもの電源ボタンを押したときのピッが鳴りません。ハードディスクからのブーンというかすかなモーター音もありません。もう一度電源ボタンを押してみましたが、何の音沙汰もありません。
『いっちゃったかぁ』

 いっちゃったかもしれないパソコン、2008年3月に、ミドルタワーで作成したデスクトップパソコンです。そのときのCPUは、Intel core2q6600box。
それにしても、たった2年でお釈迦は困る。一体どこがトラブっちゃったかな〜。とにかく、パーツ一つ交換で済むならと、コンセントから電源を外し、LAN、キーボード、USBなど全てのケーブルを外し台から下ろして、床の上に横倒しで置きます。
左の側板を外して中のパーツに指をそっと走らせます。配線の外れのようなものは見当たりません。となると、一度全部のパーツを外して、一から作り直してみるか……とパソコンの向きを変えたとき、カチャカチャという異音。
分かりました。ケースの前面の電源ボタンそのものが壊れていたのです。こうなると、パソコンのケースを交換するしかありません。つまり、全てのパーツをケースから外して、新しいケースに入れる、つまり一から作ることになるのです。

 さて、どうしたものか……。考えること数日。知り合いに聞いてみたりと、それなりに手を尽くしました。とにかくパソコンがないと困ることいっぱいあるので、なんとかしなければなりません。それも早急に。
結果、新しくしよう!と決定。ただし、丸ごと新しくする必要はないでしょうから、使い回せるものはそのまま使い、グレードを上げたいパーツだけ新しくする方向で考え始めました。

4日後。
パーツリストを作り、これでいこう!と、パソコンのパーツ屋さんに行きました。そこはそこ、やっぱり専門家に聞かないと分からないこともあります……、こっちの方が多いのですけど、最終的にマイリスト通りにはやっぱりいかず、一部訂正でこうなりました。

 新しくなったのはCPU、CASE、MOTHER BOARD、MEMORY、VGAの5つ。後は使い回し。それでも80900円の出費は痛手です。
これを夕食の後、次男の目を借りながら組み立てを始めます。わたしではどうにもならないことは手伝ってもらい、妻にも応援してもらい、午後9時に完成。
パソコンのケースはそのまま横たえたまま、サイドパネルも開いたままにして、ディスプレイ、キーボード、マウスを接続し、最期に電源ケーブルを繋いで、コンセントに刺します。ここまで問題なし。後は電源ボタンを入れるだけ。緊張の一瞬です。
電源ボタンを押すと、CPUファン、リアファンが回りました。内蔵ハードディスク1、2ともにモーターが回転を始め、そしてまもなく、ディスプレイに最初の表示が出ました。
うまくいっています。ここからは、キーボード。BIOSを出して、基本的な設定を与える作業です。これも、完了。もうこれで、パソコンデスクに戻して大丈夫。
一度電源を落として、ケースの側板を取り付けて、台に乗せます。LANなど必要な足回りを全て接続。次にセットアップしなければならないソフトのCDをごっそり持ってきて、机に乗せたところで一度休憩。この後が長いのです。

 昔、Windows 3.1、その後のWindows 95もはじめの頃は、フロッピーディスクでパソコンに入れてやらなければなりませんでした。あの頃は、何枚あったかな?2、30枚あったか、Windows 95は、40枚ぐらいあったような気がします。フロッピー1から順番にフロッピーディスクドライブに装填して、読取が終わるのを待ちます。一枚あたり3〜5分?もっと長いのもあったかもしれません。それを2、30枚やるのですから、半日がかりです。しかもパソコンにつきっきりでいなければならなかったので、……。特にWindows 3.1は、しょっちゅうWindowsがいかれてしまうので、そのたびにWindowsの入れ直しでした。2年ほど使いましたかねぇ。その間に、10回ぐらい、いえもっとかな、入れ直したような気がします。その頃のことを思えば、Windows 7は、遙か彼方に楽です。後は、音声でできたら……と、思います。今後に期待したいものです。

 妻に手伝ってもらいWindows 7をインストールし、次に音声ソフトJAWSを入れたところで、もう日付が変わって明日です。残りは、明日にしよう……あくび。


比叡山延暦寺 2010年 5月 1日

 京都には、何回も行っています。おそらく初めての京都は、中学の修学旅行。東京、そして京都奈良を回って帰るという、その当時わたしの中学に伝わる伝統のコースで訪れた思い出があります。その次は、まだわたしが独身だった頃、家族旅行で来ています。そしてその次の記憶は、とある女性とのデートで来ていまして、以来ずっと彼女と…… 笑。
これまでに京都で行ったことのある所は、誰もが知っている金閣寺、銀閣寺、清水寺、八坂神社、醍醐寺などなど……。が、そのうち、比叡山延暦寺に行ってみたいねと思い始めていました。それを4月中旬に急に思い立って、ホテルと電車のチケットを準備して、5月の連休の一日からの二日間としたのでした。
上の子は、大学。連休なのに帰ってきませんし、下の子は、高校の部活で忙しいというので、妻と二人、比叡山 de デートにすることにしました。

 比叡山は、西からのアプローチもあるようですが、東、滋賀県からがメインのようなので、一度京都駅で電車を降りて、乗り換え、京都から東、JRで琵琶湖の湖畔の町、比叡山坂本駅に向かいました。時計は、午前11時少し前。
比叡山に一気に上げてくれる坂本ケーブルの麓の駅、ケーブル坂本駅までは、徒歩10〜20分のようです。駅前に来てみれば、わたしたち以外、誰もいなくなっています。妻がバスの時刻表を見てくれました。
「次のバスは30分後ね」
「待つ?知らない道を歩くのもあれだし、近くて申し訳ないけど、タクシーにしよう」

 坂本ケーブル駅は、そこまでの人気のなさとは打って変わって、多くの人で埋め尽くされていました。列に並んでケーブルカーに乗ってみれば、わたしと妻は、扉を入ったすぐのところで動けなくなってしまいました。ほとんど身動き一つできません。これはやはり、連休効果なのでしょうか?
ケーブルカーが動き出しました。
天井からは観光アナウンスが流れ、足下からはゴトンズスンとレールから伝わってくる音と振動が車内を満たす中で、一人の赤ちゃんが泣き出しました。聞く人によっては迷惑でしょう。赤ちゃんを抱えている親にとっては、もうなんでこんなとこで泣くのよと、周囲に申し訳なくて身が縮む思いに違いありません。わたしたちもかつてそういう思いを何度も味わったことがあるので、人ごとのような気がしません。
そうこうするうちにケーブルカーは終点のケーブル延暦寺駅につき、開いたドアから流れるままにわたしたちも外へと...
「おー、下より涼しい」

 駅前の案内図の前でしばし...。
右に行けば延暦寺根本中堂、左へ行けば無動寺。ケーブルカーを降りた人たちは一人残らず右へ、根本中堂へと歩いていきます。根本中堂は、延暦寺の中心伽藍ですから、やっぱりそちらから行きますかとわたしたちも...
 根本中堂(こんぽんちゅうどう)に入ってみれば、やっぱりお堂は人でいっぱい。ご本尊の薬師瑠璃光如来像の前は、とくに多くの人を集めている様子です。わたしと妻も一角に場所を見つけ、座りました。
「なあ、これホットカーペットじゃない?」
「そうね」

 わたしは妻とお寺に参ったときには、そこがそうしてよいようなら、座して瞑想のようなことをすることにしています。瞑想のようなというのは、今のところ、それほど不快トランス状態になったことがないからです。そのうち、深く入り込んで、仏様からお言葉をいただきたいものだと…。そう思っているからだめなんでしょうね 笑。

 次に大講堂。そして阿弥陀堂。どちらに入っても、人の出入りが多く、落ち着きとは縁遠い様子でした。一応、座って、迷走のようなものを試してみました。が、ようなものは、やっぱりようなものでした 笑。

 つぎにもう一カ所行ってみたいところがあります。それは、降り立ったケーブル駅から左。誰も向かわなかった無動寺です。やはり行ってみたい。
ケーブル延暦寺駅まで戻って、さらに南へと... それまでの広かった路はいきなり半分以下の幅となり、舗装が砂利道になりました。その道も、まもなく急なつづら折りの山道となり、ようやくの思いで坂を降りきったときには、わたしも妻も膝ががくがくです。まさか、これほどの悪路だったとはーです。

 本堂に当たる不動堂に入り、座ります。そして少しずつ身体の力を抜くようにします。とにかく、きつい坂道を降りてきたので、足の筋肉ぱんぱんです。
そうして、少し楽になったところで、二人で軽く迷走のようなものを始めました。上にいたときと異なり、他には誰もいませんから、できそうなものですがねぇ。め い そ う 笑。

 お堂を出たわたしたち、さっき降りてきたあの道を戻らなければなりません。思わず来るんじゃなかったと思いそうになるところ、無理に明るい声で、
「はあ行こう!」
登り切ったとき、わたしも妻も汗びっしょりになっていました。そして、ケーブルカーを降りて、比叡山坂本駅で歩数計を確かめてみると、一万五千を越えていたのでした。
よく歩いたねぇ〜

比叡山延暦寺 2010年 5月 2日

 翌朝、ホテルをチェックアウトしたわたしたち、京都駅から、もう一度比叡山坂本駅、そして麓の日吉大社に向かいました。
 境内に入ってみますと、山の麓のあるがままをいかしながらもきれいに整えたといった様子でしょうか。平坦なところが少なく、山の麓の緩斜面そのままの様子です。そして、境内のどこにいても、どこかから必ず水の流れる音が聞こえてくるのです。
わたしたちは、30分ほど境内を散策して、ジンジャーな気持ちいっぱいになって出てきたのでした 笑。

 そして坂本ケーブルで終点まで登り、そこから、バスで横川へと向かいます。
そこには、横川中堂(よかわちゅうどう)があるのです。
 途中の、桜祭りをやっているという西塔(さいとう)も昨日は行くつもりでしたが、昨日は時間的にむりでした。
きょうはきょうで、時間はあるのですが、あまりにも多くの人たちが降りていきましたので、なんとなくきょうはスルーしちゃおうかと…、妻も同じ気持ちでしたから、そのまま横川に向かうことにしました。

 横川中堂の伽藍に入ってみれば、ひんやりとしたおちついた空気。ご本尊の聖観音立像の前でお参りし、つぎに、お不動様の前でも……。
これは後で調べたことなのですが、この伽藍は、まだ立てられて40年ほどしか経っていないのですね。そもそもは落雷で消失したのだとか。それで鉄筋コンクリート製ということであのひんやり感があったのですね。床は薄いカーペットをしいただけの固い感触。空気は冷涼です。

 2日目の比叡山は、横川中堂だけです。帰り道西塔前で停車したバスに、たくさんの人が乗り降りしました。わたしたちは、そこを通過し、次に京阪、京阪参上。駅前からはタクシーです。
やっぱり京都市内は、大渋滞のまっただ中。これは困ったなと思っていたら、タクシーの運ちゃん、渋滞を避けて細い道路をするする抜けて行きます。さすがやぁと思ってしまいました 笑。

 タクシーを降りてみると、今度は人が渋滞しています。妻は、地図を片手に、もう片手でわたしを引っ張りながら狭い道を人を縫うようにして行きます。
ここにいるたくさんの人たちは、やっぱり大河ドラマの影響なんでしょう。きっと龍馬さんのお墓参りに、わたしたちと同じように行こうとしている人たちか、それとも行ってきたのだろうと思います。興味のある方は[維新の道]で検索してくださいね。

 拝観料300円。墓前へと石段を上がっていきますと、まもなく、黒山の人だかり。
「ここが龍馬さんのお墓よ」と、すこしだけ人がまばらになっているところで、お墓の方に向かせてもらいます。
「ねえ、どうしたの」と、妻。
「うん、こんなふうにしている人が見えるんだ」と、頭の中に現れたイメージと同じように姿をまねると...
「龍馬さんの姿そのままよ」と、妻。

 なぜそのようなイメージが見えたのか?分かりません。もしかして、30年より前、わたしがまだ視力があった頃に実際に見たのかもしれません。そのときの記憶がなにかのきっかけで偶然想起されたのかもしれません。

 二日ともいい天気でした。また来よう!そう妻と約束して、京都駅から帰りの電車に乗ったのでした。


相談会 2010年10月23日

 一昨年、全国学会で研究発表をしないか?との話があり、3ヶ月程度のごく短い期間で仕上げるという、突貫工事型研究論文で学会にのぞみました。内容は、高齢者リハビリをやらせていただく中での、いわゆる“やる気”をテーマにしました。これは、リハビリのことというよりは、心のことになります。ですので、短期間で心理学系の書籍を読んでのにわか作り論文です。素人にちょっと毛が生えた程度の、なんちゃって研究でしかないと思っています。
それ以来、<『こんなことではいけない』が、
そのうち、『なんとかしたい』に変わり、
『やっぱり心理学をきちんと学ばねば』となっていったのでした。

 ここまでに一年。
インターネットで調べて、自宅で学べる大学、放送大学があると分かり、そこで心理学も学べると分かってから、即、資料請求。

 9月24日の昼休み。思い切って放送大学に電話しました。そして、大学で心理学を学びたいと言いました。そして、全盲の視覚障害者であることも告げました。
そこでの話を短く書きますと、放送大学は千葉県に学校そのものがありますが、各都道府県に学習センターというものがあり、基本的には、そちらで学生に対応することになっています。ですから、まずは学習センターで具体的な相談をしましょうとなったのでした。

 そして指定された日。妻に学習センターに連れて行ってもらいます。その日、対面で相談しましょうとなったからです。
どれほどのことになるのかなぁと思っていましたが、じゃあ4月からの入学生です。この書類に名前などを書いて期日までに提出してください。それから、高卒なら、無試験で入学です。卒業した高校の卒業証明書ももらって一緒に提出してください。
これだけでした。
視覚障害者ですけどと言いましたら、もう既にめの不自由な方が、今現在入学していて、学んでおられますから……
あっそう。
これも、あっさりと終わりました。その後、施設の中を案内していただき、丁寧に教えていただいたのでした。

 なあんだ、それだけ?こっちは、ずっと悩んでたのに、気持ちはあっという間に軽くなってしまいました。
学習センターの入口を入るときとは、うって変わって、妻と二人、軽やかにスキップしながら……は、嘘です。笑顔で言葉明るくしゃべりながら出てくるのに30分もかからなかったでしょう。
後は、卒業した高校に行って、卒業証明書をもらってくるだけです。近いうちに午後に休暇を取って、久しぶりに高校に行ってみよう。その前に一本電話入れておけばいいかな〜。