ホームページ再開! 2023年11月 1日
再会のいきさつ
空白の日付
トイレの水漏れ 2023年 2月 5日
パソコン入れ替え 2023年 3月 4日
屋根の修理 2023年 6月27日
梅酒 2023年 7月16日
仕事を辞して 2023年 8月25日
ウォーキング 2023年12月10日
指輪 2023年12月 9日
2023年11月1日。この日、このホームページを再開することに決めました。
わたしがホームページを始めたのは、2001年の2月でした。その当時契約していた@NIFTYは、契約者向けのサービスとして、次作ホームページを持たせてくれましたので、それを利用して初めてのホームページを持ちました。
それからまもなく、さくらインターネットでホームページの契約をしまして、NIFTYのホームページもやりながらでずっと……。あの頃は、勢いがありました。とにかくなんでもやりたくて、目が不自由でもできるんだって証明したくて、人から認められたくて、がむしゃらに突き進んでいたのだと思います。そのエネルギーは、5年も続いたのだけど、2006年に一度とまりました。
わけは、勉強しなければならなくなったからです。7月末から始まった研修会は、月に2回ぐらいの頻度で概ね日曜日にあって、翌年の2月まで続きました。研修会の最後が終わった翌月には、試験があって、それに合格しなければ、その努力は水の泡となってしまう。だから手は抜けない。午前は9時から始まって、午後4時ぐらいまでひたすらの時間があったのです。
その努力とは、眠気との戦い!
講師先生が登壇。と、同時に手元のICレコーダーの録音ボタンを押します。そしてまもなく、果てしも名井眠気との戦いが始まるのです。勝率は?もちろん、連戦連敗!率など、わざわざ計算するまでもありません 笑。
その甲斐あって、どの甲斐があったのか?最後の研修が終わった一ヶ月後の試験は、ありがたいことにパスできました。
そうして厳しい!?試練の時期をくぐり抜けたにも関わらずわたしのホームページは眠ったまだったのです。
目覚めたのはそれから3年後の2009年9月。めでたくエッセイ再開!ことは樹雲頂……はず。
しかし、一度あることは二度ある!?
2011年4月。放送大学に入学。心理学を学ぶために!と、49才男は、迷わず?恐れず?身の程知らず?睡魔との戦いに明け暮れる日々に飛び込んでしまったのでした。
今度は全開とはレベルが全然違います。
\ | 研修 | 大学 |
---|---|---|
学びの場所 | 研修会場 | 基本的に自宅 |
時間 | 指定された日時 | 学期内ならいつでも |
期間 | 約半年 | 最短で4年 |
試験 | 1回 | 半年に1回 |
ということで、ホームページの更新のペースが徐々落ち。2012年4月で息切れ。その後2013年10月更新を最後にダウン! 今回も5年間でした。
がしかし、放送大学心理と教育コースを無事4年で卒業。4年間の成績表を提出し、めでたくも認定心理士に二駐めてもらえたのでした!
それから一年半。これまでのコンテンツを全部取り下げて、心機一転!2016年9月に再々のスタート。……のはずだったのだけれども、たった二ヶ月で更新ストップ。
あれから7年。またやる気になった! ……と、思います 笑。
ここしばらく、過去に書いたものを探して読んでいます。ことの始まりは、『記憶のずれ』です。
「あのときに、あそこに行った」
「行ってないよ」
「あのときじゃなくて、そのときだったんじゃない?」
「だったかなぁ」
こういうこと、誰にでもあるんじゃないかな?わたしは、そういう体験をしたものですから、とっかかりとして、日記を調べることをやりだしたのです。そして、次に、過去に撮影した写真を… 画像は分からないのですが、旅先などで撮った写真は、その後すぐにハードディスクの写真フォルダーに移して、撮影した写真のタイムスタンプ、何月何日何時何分から、いつどこで何を撮ったかを思い出すことをするのです。例えば DSC00049.JPG 2003/04/04 15:50 は、京都の清水寺にいた時間で、午後3時50分ということは、舞台から降りてきた時間だなとなり、なればこうに違いない!と、 21 清水寺、手水と桜.JPG と、ファイル名をただの通し番号から、意味あるものに書き換えておくのです。とにかく、そのように整理しておくと、後から分かりやすくなるものですからね。
ただ、いつでも日記を書いたり、写真を整理したりしてきたわけではないのです。つまり定まらない事実が必ず出てくるわけで、別になんでもかんでもというつもりはないんですが、せめて生活のビッグイベントとみなされるものぐらいは、他に手がかりがないかとしているうちに、とうとう過去の私のホームページのコンテンツにたどり着き、さらには過去に発刊してきたメルマガの原稿まで調べたというここ数日だったりしたのでした。
2001年からのエッセイなどのテキストコンテンツはすべて保存してあり、少なくとも2006年ぐらいからのメルマガに書いた原稿も手元にあります。ただ、一時期設置していた自分用掲示板、メモ程度を置いておく場所として、自分しか知らないurlがありまして、それについては掲示板を取りやめたときに、全損。今となっては帰らぬデータとなっています。そこそこ詳しく書き残していたものもあったので、残念なことをしてしまいました。
これまで書き残してきた文書から、『これいいかもしれない』と思うものは、もしかしてそのまま復活するかもしれないし、それなりにお手入れをして、あるいは全く書き直して、または一度も表に出してないストーリーさえも!?いいかなぁと思っています。
ホームページのトップページに、最初はアクセスカウンターを設置していませんでした。が、あのころ、どのころ?ああいうのが流行していたので、付けたくなって設置しました。ただ、音声では読まなかったので、まもなくとりやめました。その後、どれくらいしてかな、音声で読むものがあることがわかり、それを導入し、それ以後、トップページのリニュアルごとにアクセスカウンターを取り替えたりもあったろうと思うのです。ただ、今回出してみると 0 じゃないというか、しっかりカウントされた値が出るので、そのまま引き継ぎにいたしました。このホームページのコンセプトそのものは変わらないので、まあいいかぁです 笑。
小学校に入ると、夏休みに絵日記を書かなければならなかった……?そして描いたのか……?まったく身に覚えがありませんそのように日記とは無縁ののまま成人し、1986年に就職。病院に勤務することとなりました。
リハビリテーション室には、三人が勤めていましたが、うち二人が助手で、もう独りは、入れ替わりで辞めていかれました。そのとき、その方ときちんと仕事の引き継ぎをいたしました。がしかし、業務日誌なるものはありませんでした。
まもなく他部署…、医師、ナース、介護、それに事務などと関わりを密にしていく中で、話し合いが定期不定期ににもたれ、まもなく『記録』をしっかり残しておく必要を感じ、業務日誌を書き出したのでした。
それ以来、職場では日々の記録を書いてきていますが、私生活においてのきちんとした記録、日記と呼べるようなものはあまりきちんと書いてきませんでした。日記というよりは、むしろ週記、月記、ときには季節記レベル。ないよりまし程度のものでしかありませんでした。
今年7月20日に、37年3ヶ月28日に及ぶ仕事生活を終えたとき、業務日誌もその日付をもって終わりとなりました。それまでは、患者さんのこと、他部署のこと、人間関係のこと、職場で起きたいろいろなことを書き残して…… その日に書くことができなければ、後日遅れても書いていたのに、毎日家にいるようになって、何も書かなくなってしまいました。
そして9月中旬、ひょんなことから『やっぱ書こう!』と、書き始めたのです。
まず、仕事を辞めた日にさかのぼって日記を、そう思い出しながら書き始めたのです。ところが、その日が過去であればあるほど、すっと思い出せない。明らかに特別な何かがあった日以外、出てこないのです。そしてどうなったかというと……
頼る歯、届いたメール。そこに出来事のヒントがありました。
次に、保存したファイルの内容、そしてタイムスタンプ。そこにも記憶の手がかりがありました。
LINEのやりとり、電話の履歴にも生活の履歴がありました。
また、気象庁の過去天気のデータの中にも参考になるものを見つけました。
そのようにして、あの手この手で生活の痕跡を探り、日記を埋める作業を続けたにもかかわらず、どうしても空白の日が散在してしまうのです。何も書くべき事がないなんて、あるはずがないのですけれどもねぇ。
毎日家にいるようになって、記録のけじめがなくなってしまい、ついだらだらしてしまっていたのです。
今は、夜11時と決めて書いています。一日を振り返ってみると、書くことはあってあって、ありまくり。何をどのようにピックアップするのか?というくらいだったり…… です。
ことの始まりは、大晦日の大掃除のときに、「トイレの水漏れがひどくなってきたね」、から始まりました。
もともと、洋式便器の後ろに水漏れが起きていたのです。そのうち直してもらわなければ……と、思いながら、つい……。それが、急にひどくなってきていて、無視できないレベルになっただけのことだったのです。
これまで、子供部屋のリフォーム、キッチンや玄関のリフォーム、風呂のボイラー交換など、いろいろやってもらっている業者にネットでコンタクトし、担当者に来てもらい、見てもらった結果、床下配管からの水漏れらしいとなりました。一度便器を外して、床下を確認し、場合によっては、そこそこ大がかりな配管の入れ替えもあるかもしれないとの見立てとなりました。とにかく直さなければならないので、そうしてそれを第一として、ついでですので、壁紙も汚れているし、便器も古くなっているし、床板の痛んできているので、壁紙の張り替え、床板は、その上にパッドを当てて、便器は最新のものに変えることにしました。日程は、注文した便器の納品後、すぐとなり、工期は、配管のトラブルなければ、一応一週間となりました。一応というのは、今が冬で、ものの乾きが悪いので、それによって前後するということでした。
あれから待つこと4週間。いよいよ明日からトイレのリフォームが始まります。まず、便器を取り外すに当たり、簡易トイレが庭に設置されました。便座はヒーターで多少暖かいといっても、真冬です。戸外のトイレは、やっぱり寒い。が、こればっかりはどうにもなりません。たまたま降雪がなかったことが、さいわいといえば、さいわいでしょうか。それでもできることはしておこうと、簡易トイレまでの導線上に、ソーラー充電式のセンサーライト4つを置いてみました。たかだか1m程度でも、ないよりはましでしょう。そして、工事関係者の出入りの導線上に、工具や資材を置く場所に置いてあった物を移動させて空間を作りました。これで、オーケーです。
1月31日。工事が始まりました。ここまで時間がかかった理由は、たった一つ。注文した便器の納品待ちのため、だったのです。
この日から比較的お天気良く、暖かい日もあったりして工事は順調に進んだようです。また、やってみなければ分からないと言われていた問題も、便器を外して床下を確かめてみれば、追加工事の必要なしとなりました。
そして新しくなったトイレは、5日後、使えるように鳴りました。見違えるほどきれいになったトイレ。やっぱ新しいっていいよね。
3月3日、仕事を終えて帰宅すると、玄関に箱がありました。さっそく開いてみると、それは、間違いなく待ちわびていたノート型コンピュータです。一週間前、ネットでオーダーしたWindows 11パソコンです。CPUや、メモリーなど、自分好みにカスタマイズし、外付けCD/DVDを付けたものです。
金曜日に届いてよかった。その夜は、これまで使っていたノートからソフトやデータを削除し、完全に初期化。そして新しい方に、必要最小限のソフトをインストールし、データを移して、とりあえず使える状態にまでしました。この後に待っている“カスタマイズ”を思うと気が遠くなりますが、しかたがありません。ソフトはインストールしたままの状態では、ほとんど使いにくいのです。特にOffice Word, Excelは、そうなのですから。
翌土曜日。昨夜初期化したパソコンを買ったときの箱に開封したときの状態にできるだけ戻して……、箱の内容物は、売るときのことを考えて、剥がさなくて済むテープは剥がさず、使わなくて済む同梱物は使わず、剥がさなければならないテープはできるだけきれいに剥がすか、切るかして、また、ノートパソコンは、外付けキーボード、マウスで操作するので、基本、電源ボタン以外は触らない使い方にしています。やっぱり、使い慣れたキーボードの方が余計なストレスなしで使えるしね 笑。
これに、不要になったケーブル、たぶん合わせて数十本--探したら出てきた、昔のWindows XPとか、7のころの--を合わせて買い取り業者に持ち込みました。査定の結果、個人的には満足の額で買い取ってもらえたので、よかったです。
2011年8月から屋根の上でソーラー発電しています。そのパネルも今年で満12年。特に変わりなく太陽が出るとせっせと発電してくれています。パネルは全然問題ないのですが、パネルを乗せている屋根瓦が、6月の定期点検で“用治療”……、じゃなかった、“用修理”ということになりました。
それで、これが初めての指摘か?といえば、そうではなく、昨年、一昨年からのことでして、今年、本当になんとかしないと、まずいことになるというレベルになっていたという話なのです。そこまで言われて、このまま放っておくわけにもいきません。屋根は大切ですから、修理しましょうということにしたのです。
季節は、梅雨。建物の周囲に足場を建てる作業から始まります。連日雨です。もし雨が長引けば工期も延びてしまいます。晴れてほしいな。いえ、晴れなくても降らなければいいのです。そう持っていると、運がいいことに予定工期三日間、雨なし。気温も暑からずのまあまあで、順調に屋根の修理が終わりました。足場の撤収の日も晴れで、その翌日、まるで待っていたかのように梅雨の季節に戻りました。
これでしばらくの間、屋根の心配がなくなり、よかった。屋根は10年に一度は、丁寧にお手入れしたほうが良いのだそうです。そういえば、先月、お隣さんち、屋根全部の瓦のふき直ししたばかりです。なかなか大がかりな工事で、一週間近くかけてやっていました。そのときは、まるっきり人ごとでした。まさか我が身にも降りかかるとは、瓦のかけらも思ってもいませんでした 笑。
久しぶり、おそらく30年以上ぶりに梅酒を作ろうと、妻と近くのスーパーで、梅酒用の梅、漬け込み用の容器、そしてホワイトリカーを買ってきました。6月になると、梅酒コーナーがちゃんとできているので、そこで事が足りるのですね。
梅の実を妻に洗ってもらい、わたしはそれの水気を拭き取り、漬け込み容器に入れていきます。次に氷砂糖と蜂蜜を適量、とはいっても、やや少なめです。そこにリカーを注ぎ込んでフタをすればオーケー。簡単です。
その翌週。たまたま知り合いから梅の実をいただいたので、また、漬け込み容器、氷砂糖、蜂蜜とホワイトリカーで二つ目の梅酒を漬け込みました。
不思議なご縁というものはあるもので、そこそこ気を入れて何かをすると、なぜか、それに関わる人に会ったり、物が入ってきたり、シチュエーションになったりということがあります。気のせいかもしれませんが、今回も、久しぶりということで、そこそこ気合い入れて梅酒作りをしたのですね。そうしたら、めったに会わない人に出会って、立ち話になり、そして梅をいただくということになったというわけです。もちろん、梅酒を作ったと、誰にも言っていませんから、そういう話が回り回ってというわけではありません。
話変わって、コンビニなどで、できあがっている梅酒を買って飲むと、いつもとても甘いのです。なぜ、甘くない梅酒はないのでしょうか?例えば甘くても、カロリーオフの甘味料ではだめなのでしょうか?そう思って、調べてみました。
すると、砂糖の糖分が一定以上ないと、梅の果実から、梅エキスが出ないのだそうです。その一定以上とは、梅の果肉の持つ梅エキス濃度より、周囲の液体、つまりエチルアルコール水溶液の糖分濃度が、高いということです。それによって、浸透圧差ができて、果肉から梅エキスが外に流れ出すという具合です。
ああ、なるほど、そういう科学だったのですね。
もし、糖度の低い水溶液を使うと、梅の果肉から梅エキスが流れ出ず、単に水とアルコールに溶ける“あく”ばかりが出て、苦くなり、渋くさえなるのだとか。
これを知ったのは、漬け込んでから半月以上経っていたので、もう今更糖度を上げてもだめかなで、来年は糖度を下げずにやってみようと思ったのでした。
そして7月16日。漬け込んだ容器から、ホワイトリカーの入っていたビンに、液体だけを移す作業です。わたしが漬け込んだ容器を持って、傾け、妻が布フィルターを当てたじょうごと注ぎ口を合うように持っています。これを2本やって、フタをしたらしばらく寝てもらいます。3〜6ヶ月ほどすると飲み頃らしいので、10月になったら飲んでみよう!
仕事を辞めて、行ったことがいくつかあります。その一つは、使わなくなった物を手放すこと。売れる物は売却し、売れない物は捨てること。
職場を去るにあたって、自分の私物を持ち帰ってくることがありました。このあたりのことは、7年前から、徐々にではあるけど、私物減らしをすすめていました。ですので、今回持ち帰ってくる物品は、クルマのシートに乗る程度の量しかありませんでした。そして、それらのほとんどを、帰り道で立ち寄ったハードオフで売却したのでした。
そもそもをたどれば、いくつも思い当たるのです。その一つは、1995年1月17日の阪神・淡路大震災でしょう。このとき、知り合いの建築技師にわたしの家の安全性を見てもらい、あの程度の地震が起きたら、耐えられないだろうとの診断を受けたのでした。そして、建物の耐震化をするには、相当の金額がかかるとも言われ、結局、今は大地震が来ないことを祈るしかない……。
そして2004年10月23日の新潟県中越地震の翌年11月に、新潟で被災した医療施設で、何が起きて、どう対応したのかを現地で被災した病院の方からの研修が職場でありました。そこで聞いたことは“医療の現場”に言及してはいたものの、近隣の家屋のことまで話が及んでいたため、とても参考になりました。これを聞いて何もしないわけにはいきません。だからといって家屋全体の改修に踏み切るわけにもいきません。そこで、子供部屋に限って事をなしたのでした。
三番目は、2010年6月、この年14回目の研修。テーマは、“5S”。これは、 Seiri 整理, Seiton 整頓, Seiso 清掃, Seiketsu 清潔, Shukan 習慣 の五つの単語の頭文字を集めた物。もちろん、職場での研修ですので、院内業務に言及してはいます。しかし、これを個人的に用いて全然問題なし。すぐに自宅で用いました。これを強くバックアップしたもの、それは、翌年の3.11です。
我が家は二階建てです。とにかく地震に少しでも耐えられるようにするためには、二階の部屋の軽量化だと考えました。そこで、二階にある重たい家具や物品を少しでも減らそうと考えたのです。だからといって、階下に下ろせば良いと、短絡して事を起こすわけにはいきません。一階には一階なりに、部屋の用途に応じた物が、そこそこ所狭しとあるのですから。ですので、初めはそれほど大きな変化はなかったのです……、できなかったのです。
2014年、長男の結婚、そして別居。これが決定打となりました。
この年から、まず一階の整理整頓が始まりました。古くなった家具類の判定です。まだ使えるのか?使えるとして、次にまだ必要なのか?これが必要条件です。そうして、少しずつ一階の断捨離が始まったのです。
これと同時進行……、やや遅れではありましたが、二階の家具類の整理整頓も動き出しました。と、同時に、物品の整理整頓も始めました。
ルールは、通年で使う物なら、過去二年間に使ったかどうか?使っていない物は、“廃棄”とします。冬や夏にしか使わない物は、過去三から五年間に使ったかどうか?で判定します。
それにしてもよくもまあこんなにため込んだものだ!と思うほどいらない物が次から次へと出てきました。それらを順番に、“売れる物”か、“捨てる物”かに分ける手続きをしていきます。わたしと妻で決められない物については、ネットで検索し参考にしました。そして、売れるとした物については、ひとかたまりになるごとにハードオフ、オフハウス、着物オフなど、近くの中古買い取り業者に持ち込みました。これまで一体何回運び込んだでしょう? 笑。そして、売れなかった物と、売れないと判断した物は、次々とゴミとして出すことを繰り返しました。中には、そのまま出せない物もあったわけで、のこぎりなどの工具を用いて、切る、外す、つぶすなどして、どうにか手放してきました。
また同時に、使い続ける家具類には、転倒防止策をこうじなければならない家具もあるので、順番に対策をしてきました。
こうして家の軽量化の一環として、8月25日、更に整理整頓のルールに適合した物品を売却してきたのですね。
今、二階に机より大きな家具はありません。一階の家具類もかなりかたづきました。もちろん、家の中は、家族の合意、進んでの合意なくして物事を進めるわけにはいきません。それが、ここまでかかってなお、道半ばの理由でもあります。
わたしが職を辞して行った大きなもう一つ、それは整形外科受診です。
ここ二十年わたしを悩ませ続けたこと。それは“腰痛”です。
事の始まりは、2003年7月23日の腰椎椎間板ヘルニアです。以来、繰り返される腰痛があり、今年も3月末から三ヶ月に及ぶ痛い毎日がありました。
思い返せば、腰痛のために介護の現場を去って行った、辞めざるをえなかった人たちのなんて多かったことか。いちばん若かった人で30代前半。40代も多かった。介護福祉士として主軸で働いていた男性も腰痛により40才で、2年前にリタイヤしました。
入院患者さんの平均要介護度は、限りなく5。つまり“介助なしに日常生活を送ることができない。コミュニケーションも困難。昼夜問わず常時介護が必要な状態”です。そのような方々をお世話していますから、誰もが腰に大きなストレスを抱えています。それが一線を越えてコルセットを手放せなくなった方も多くいます。わたしもロッカーにコルセットを2本常備し、自宅にも2本置いて、ひどくならないうちに用いてきたものです。
数年前、職場で、“腰痛にならない介護の方法”を指導する講師をする予定の職員が、腰痛になり寝込んでしまったという、笑うに笑えないできごとがありました。それくらいの現場なのですね。
今年の春の腰痛は、昨年4月の腰痛ほどひどくなかったので、さいわいにコルセットと湿布で乗り切ることができました。しかし、左の膝の腫れは、徐々にひどくなり、ズボンの膝部分がぱつぱつに内側から引き伸ばされるまでになってきました。痛みも出てきていたため、整形外科受診やむなしで、受診したのです。
X線を撮り、いくつか検査の結果、医師は関節液を抜く、あるいは薬物を入れるなどの積極的治療はしないで、休養と冷湿布だけで様子を見ようとなったのでした。
休日は、お天気がよければ妻とウォーキング。
ウォーキングのきっかけは、健康診断です。わたしも妻も、40才を過ぎて受けた血液検査で“要治療”となり、“運動不足”が原因ですとなったのでした。
その当時は、夕食の痕、2km程度近所を歩くを習慣にしていました。しかし、一年のほとんどは、もうすっかり暗くなっていますから、見通しもあまり良くない暗い道もあるということで、わたしが携帯ランタンを持って、前を照らしてとしていました。
それにしても、最初は、たった1kmほどで脚が痙りました。しかも全然遅い足取りです。情けなかったですよ。これほどまで体力が低下していたのか!です。そして、歩いても歩いてもなかなか改善を実感できないのです。一年ぐらいはかかったように思います。それでも続けた動機はいったい何だったのでしょう?たぶん、生活習慣病のなれの果てと書くと、失礼かもしれませんが、若くして生活習慣病によって、日常に戻れなくなった方をたくさん見させていただいたからでしょう。そういうことでは、『ああはなりたくない』といったマイナスの動機があったことは否定できないと思います。
そういったマイナスの動機はそれほど長続きせず、だんだんとプラスの動機……、『歩けるって気持ちいい』に変わっていったと思います。それが今まで続いた理由でしょう。
ただ、お互いに持ち帰りの仕事も増え、妻は残業で遅くなるなることもあって、歩く時間が、夜の10時になるなんてことも日常化してしまいました。健康のためのウォーキングが翌日まで残る疲労の原因となれば、果たして続けるべきか?健康のための習慣が、不健康のもとなのでは、本末転倒!ということで、7、8年ほど前からウォーキングは、休日の日中だけと決めたのです。
今年の夏、仕事を辞めて毎日家にいるようになり、妻は、定年後、パートになっていましたので、二人で家にいる日も時間も増えました。ということであれば、ウォーキングのルールも二人が家にいるならいつでも、他に用事がないお天気の日中歩こう!になるは必然でしょう。
7月。気温30度を越えています。照りつける太陽。焼けたアスファルトからも刺すような熱気。二人とも、クーリング対策を施しても、すぐに全身汗だく。途中で水分補給も必要。いつもの4kmを歩いて帰る頃には口数も減り、ただただ歩いているだけ。
そもそも真夏の真っ昼間ってことが問題なんだよね。ということで、歩く時間を早朝に変更したのです。
目覚ましが、5時10分に鳴ります。外はもう昼のように明るくなっています。ささっと身支度をして15分後には出るということにしました。気温は、概ね30度未満。たまぁに25度ぐらいまで下がっています。朝日が東から差し込んでくるだけで、アスファルトからの放射熱はありません。快適なスタートを切ってありきだします。がしかし、横から照りつける日差しは、おもったよりは強いのです。たださいわいなことに、たまぁに雲が遮ってくれましたし、8月になると、日の出の時刻が遅くなるほどに、太陽光が地平線の少し上、山々の稜線を越えてくる時間も遅くなったのでした。
8月も終盤に入った頃のことです。歩いていると、妻の様子がへんです。聞くと、高齢の女性がいると言うのです。高齢者が早起きで早くから動き出すはよく聞く話。ただ、その出で立ちがへんだと言うのです。
頭の中で何かが引っかかるというのか、直感みたいなものがあって、その方のそばに連れて行ってもらいます。そして「おはようございます」と話しかけました。ここからの話は省略させていただくとして、とどのつまりは、認知症の方が、徘徊……、この用語は個人的には使いたくありませんが、まだ市民権がありますので、そう書きますけど、会話を通して、その方のお宅を特定し、お連れしてご家族に託したというエピソードがありました。
9月に入り、どんどん日の出の時刻が遅くなってきます。起床の時間もそれに合わせて少し遅くしていったのです。スタートが遅くなれば、帰宅も遅くなるのですから、結果、朝食も遅くなります。その後の生活スケジュールの都合、やっぱり6時40分より遅い帰宅は、どうかなということと、そもそも暑さ対策で変えたという“暑さ”も落ち着いてきているので、元に戻そうということになりました。
かかりつけの町医者で、定期の健康診断をしましょうということで、体重を測ってもらうと、二人とも3kg以上減。ナースさんもドクターさんも「どうしたの?」と、驚きの声を上げます。
理由は簡単。ウォーキング回数が倍増しています。一回歩行距離も、4kmから、5kmぐらいまで増える日もあります。にも関わらず、歩行時間はそれほど増えていないのです。食事は変えていませんから、それしかないと説明しましたら、なるほどぉでした。
もう一つの変化は、睡眠時間です。
これまでは、深夜0時に寝ることはなく、1時前後が当たり前。そして5時半起床でした。大学生をやっていた頃は、もっと遅くまで起きていた日もありましたから、平均睡眠時間は、5時間を切っていたと思います。それが今は、7〜8時間。ぐっすりです。
ちょい付記しておきますが、先日、木曜日に床屋に行きました。これまで、平日に行ったことがなかったので、気がついたのでしょう。聞かれましたので、「仕事を辞めました」と、答えました。
すると、すかさず「暇でしょ」と返されました。
これ、どこに行っても、誰からも、そういう風な言葉を掛けられます。世の退職者は、そんなに暇なんでしょうか?そんなにやることがないのでしょうか?
残念ながらわたしは、睡眠時間は延びましたが、暇だと思ったこと、まったくありません。むしろ逆、人生残り少ないのに、これじゃあ全然足りないとさえ思うことあります。
仕事をリタイヤしてから始めたことありますし、仕事をしながらもやってきたことをメインに押し出しましたので、それであっという間に時間が過ぎている毎日になっています。このことについては、昨年まで続けたメルマガを読んでくださった方の中にはお気づきの方もいらっしゃるのではないかと思います。そのうち、機が熟しましたらここに書くこともあるかもしれません 笑。
早朝ウォーキングをやめた理由に、クマの出没もあります。こちらの方が理由としては大です。
クマは、早朝、日の出前に餌探しのために動き出すのだそうです。今年は山にクマの餌となるものが少ないため、9月、クマが人里に降りてくるとの情報が流れました。そういえば2019年にも近所で新聞配達員がクマに遭遇し、けがをしたというニュースがありました。これを無視できるほど鈍感ではないので、朝のウォーキングを打ち切り、明るい日中に歩くことにしました。そして、クマの生態を調べている方から、餌不足で山を下りてくるクマの中には、パニック状態に陥る個体もあり、日中でさえ遭遇の危険ありとの情報がありました。となれば、たとえ日中でも、わたしの家あたり、であってしまうかもしれません。
そこで、過去のクマ出没データより、“出没履歴なし”の場所を見つけ、クルマで10分以上行った先の運動公園で歩くことにしたのでした。
この判断は、その後のクマ出没、人身被害が報道されるほどに正しかったことが証明されたと思っています。なんてったって、我が家から数百メートルのところでも出ちゃったのですから。
7月のウォーキング回数は、12回、平均歩行距離3.6km。8月は、16回、平均4.2km。9月は、18回、4.3km。10月は、16回、4.3km。11月は、11回、4.1kmでした。12月から来年2月が終わる頃あたりまで雨や雪が増えてくることもあるでしょうし、積雪や凍結のためにコンディションも悪くなります。外に出る機会もきっと減るでしょう。
そこで、代わりに始めたバランスボード。これは、2020年の9月にスポーツ店で買い求めたものです。
直径42cmの円盤の表は平らで、裏は、中心が丸く出っ張っています。これを床に置くと、円盤は、床から9cmの所に浮かんでいるかのようになります。もちろん、その上に立てば、前後左右、ありとあらゆる方向に傾く……、というより、バタンと倒れます。
これに初めて乗った3年前。たった3分で両脚の筋肉がぱんぱんになりました。これじゃあいかん!と、約3ヶ月、割と毎日乗りました。その甲斐あって、ようやく10分をクリアできるようになりました。その後、あっという間に20分、30分がクリアできるようになり、それからは、日曜だけ30分を続けて今に至っています。
今は、ウォーキングに出ないウィークデイは、午前か午後のどちらか、またはどちらもそれぞれ30分ぐらい乗ることにしているんです。
時間は、概ね午前11時と、午後3時前後。FMラジオを聞きながら…、ラジオ番組いまいちなら、CDを流したり。そして、音楽に合わせて踊るように動いたり、逆にしずかにコーヒーを片手に、のんびりコーヒータイムを楽しんだりしているんですよ 笑。
ウォーキング効果なのか?それとも……、指輪がすっかり緩くなってしまいました。指輪をしていて、くるくる回るし、指を下に向けると、抜けそうになります。洗剤で手を洗っていると、本当にスルリと抜けてしまって、指先でとめなかったら、洗面台に落ちて、排水溝から流れてしまったかもなんてこと、繰り返しありました。妻も、わたしみたいになっていると言います。
このままにしておくわけにもいきません。そこで、頻繁に指にはめている結婚指輪と、ファッションリングをサイズ直ししようと思い立ちました。聞けば妻もそうだと言います。一本あたり数万円ぐらいかかるでしょうが、落としてしまうわけにもいきません。そこで、どれもオートクチュール宝飾サロンJ.C.BARで、オーダーメイドしたものです。さっそくそこに電話してみました。すると「いつでもお直しします」との返事でした。
11月19日。指輪を持って行きました。
まずは、今の指のサイズを測りましょうと、測ってもらいました。すると、わたしも妻もそれぞれ2号下がることがわかりました。
この“号”が、分からなかったので、調べましたら、1号が、指輪の内周40.8mmで、1号増えるごとに約1mmずつ増えるとあります。つまり、わたしも妻も円周が2mmほど小さくなった。つまり痩せたということですね。
指輪を預けて、料金をたずねましたら、そのお店でのオーダーメイドリングについては、無料だと言われました。そして、お直しに2、3週間くださいと言われます。こちらとしては、全然オーケーなので、できたら連絡くださいと、お店を後にしたのでした。
それにしても、いつものことですが、ショーウィンドーにきれいな石がずらり。興味がわいてしまいますねぇ 笑。
12月9日の午後、リサイズされた指輪を受け取りに行きました。サイズは、どれもピッタリ。これで、うっかり抜けてしまうことはなさそうです。よかった。ただ、それだけで帰らないのがわたしたち。
いくつか新しく入荷した石を見せてもらい、それらの石にまつわるストーリーを聞かせてもらいました。
宝石貴石の類は多々あって、ダイアモンド、エメラルド、ルビー、サファイヤ。他にスピネル、ガーネット、トルコ石、アイオライト、オパール、アクアマリンなどなど、たくさんあります。石の名前や、何月の誕生石だとか、石言葉を知っている人はそこそこいると思います。でも、その石が、どの国の、何という鉱山で、いつごろ採石されたのか?どんな人が、どのようにして採石して、その原石がどこに行って、どういうカットをされて、磨かれ……という、石それぞれの“履歴”を知っている人は少ないと思います。そのお店は、そういう情報もけっこう教えてくれるのですね。そうしますと、こんなにちっぽけな石なのに、人のぬくもりが、見えてくる気がするんですね。
今回は、グリーンランドのルビーをわたしたちに紹介していただき、その石にまつわるお話を聞かせていただきました。もちろん、手にも持つというか、掌に置くというのか、観賞させていただきました。
きれいな石って、ただきれいなだけじゃなく、それが世界を股に掛けてやってくるための“始まりの話”を一つ仕入れることになりましたという話でした。