2015年のエッセイ

義父の遺言 2015年 3月28日
The Text Replacer 2015年 4月 1日
大卒 2015年 5月 1日
腫瘍 2015年 6月 8日
認定心理士 2015年 8月29日
占い 2015年11月20日


義父の遺言 2015年 3月28日

 妻の父は、難病で徐々に体力が落ちていく連れ添いを寝たきりになるまで自宅で見続け、自身も心臓病を持ちながら、数回の手術を経てなお、自宅で生活していました。2009年に連れ添いを見送った後、近くに住む兄、東京から戻った弟とときどき温泉旅行を楽しむなど、それからの生活をエンジョイしているようでした。わたしと妻は、ときどき会いに行って、いつものように一緒にご飯を食べて、お酒を酌み交わして、そしてじゃあまたと、何事もなく帰ってくるということが繰り返されています。でも、高齢者の介護の現場にいるわたしには、この毎日がそれほど長く続くはずがないとの懸念がありました。ですので、昨年、遠くからの“一人暮らしの高齢者見守り”の手立てを調べて、きっといやがるだろう義父さんに、どう説明したものだろう?妻の話では、そういうの入れても、きっと自分で切ってしまうわね、でも心配だわ……、と、あれこれ考えていた矢先に起きた、突然の死だったのです。

 妻の実家は、典型的な田舎の家です。聞いたところでは、55年ほど前に、取り壊された家をそのままもらい受け、移築したとのことです。ですから、オリジナルでは、もっと古い家になります。ですが、そのまま移築したわけでもなく、また、適宜に改修など施されてもいますから、純粋には、古民家とはなりませんでしょう。それでも、古いことに違いはなく、地震に耐えうるはずもないなどの理由から、必ず壊してほしいとの意志を残していかれました。わたしたちは、その気持ちを大切にしようと、一連の弔いの儀式が終わったところで、集まった親戚たちに、片付けのために、欲しい物があれば、持ち帰っていただきたいとお願いしました。でも、そのタイミングでそうそう多く持って行けるものでもありませんから、ほとんど手つかずの“家”をどうしよう?の日々が始まったのです。

 12月28日は、妻の実家でかたづけの手順を決めるために、いろいろと見て回ります。その中で目を引いたのは除雪車です。もし動けばと思いましたが、どうやらバッテリー切れのようです。形は中型なので、公道に出すには免許が必要なはず。これを使うことができる人は思い当たらないので、まだ年末年始休業に入っていなかった中古買い取り業者に来てもらい、その場で売却。持って行ってもらいました。
翌日とその次の日は、わたしは仕事でしたので、妻と新婚ほやほやの長男夫婦と、次男の四人にかたづけを任せました。
年が明けて元旦は、義父の好きだった食べ物を持って彼女の実家に行き、妻と二人で彼女の両親のことなど話をしながらしみじみと過ごし、家のかたづけはしばらく棚上げ。たぶん、もうここで過ごす正月はないのだと……。
正月が明けて5日、義父が乗っていた車を、買ったディーラー関連のお店で売却を決め、11日に売却。そして、1月17日から本格的な遺品整理をする休日が始まったのです。

 ここでのルールは、捨てる物と、売れる物の分別です。部屋を一つずつ、ある物を全部出しては、分別していく、それだけの作業です。中には持ち帰った物もありましたが、それはほんの一部。とにかく出しては、分けて、売れると判断した物をクルマに乗せては、一番近い中古買い取り業者に持って行きます。中には買い取りできなかった物もあったわけで、それらは持ち帰るしかありません。持ち帰れば、ゴミとして、燃える物と燃えない物に分ける分別する作業に入るわけです。これが終わったところで、できたゴミ袋をクルマに乗せられるだけ乗せて持ち帰るのです。できれば、その地域のゴミ収集に出したいところですが、平日はそこにいませんからこればっかりは仕方ありません。
一階の各部屋の整理が終わるのに思いの外時間がかかりました。なぜなら、1月25日、31日、そして2月1日は、放送大学 心理と教育コース最後の試験日だったからです。ですから、試験が終わっての昼下がりからしかできなかったのですね。また、その翌週の8日は、四十九日の法要ですので、この日もたいしたことができませんでした。

 2月中旬から二階の物品整理に入りました。そこには、妻がわたしと結婚するまでの間、彼女の大人への成長の時を過ごした部屋があります。しかし、入ってみると、彼女にとってそれほどの物はなく、ほとんど義父さんの着ていない衣服置き場となっていました。それらも、売れる物は売却し、後はゴミとして廃棄しました。翌週、彼女の部屋に隣接する部屋。そこに足を踏み入れてみてびっくりです。なんと、あるはあるはの古い家具やいろいろの物品の数々。一階にあった物とは比較にならないほどの数が足の踏み場もないくらいあるのです。下は割とかたづいていた理由は、これだったのです。使わなくなると、全部ここに持ち込んでいたのですね。良く整理されてはいますが、圧倒的な数量に愕然。これらを一階に下ろすことを思うと二の足を踏みます。なぜなら、一階と二階を繋ぐ唯一の階段は、幅が狭く、階段というよりは、もうほとんどはしごなのですから。しかし、やらなければなりません……。

 そろそろ家屋解体の業者を決めなければならないなと、思っていた矢先、とあるところから電話が……。

 妻の実家のある地域は、田舎そのもの。過疎化が進行していて、人口減少に歯止めが掛かりません。でもなんとかそれを食い止めたい自治体の思いがあり、電話の内容は、都会から田舎に来て済みたいという家族を支援している。そして、妻の実家が候補に挙がったからと言うのです。そしてさらには、もう済みたいと言っているご家族がこちらに来ているので、中を見せてほしいと……。
えっ!まさか?でもそれは……。けっきょく押し切られというか、見せるだけならいいかなぁで、玄関を開けて町の担当者と都会からの家族に入ってもらいました。
「ここ気に入りました。住みたいので、よろしくお願いします」
「えっ!?」
まさか、嘘でしょ。ほんとうに丁重にお断りしたのです。でも、考えを変えていただけなくて、困りました。とにかく、その場では何も契約せず、少し時間をいただくことにしました。

 過疎地域活性化の起爆剤!
それは分かるけど……、と思っていましたら、一週間ほどして、何がどうなったのか分かりませんけど、あの話はなかったことにしてくださいとの連絡がありました。ちょっと微妙な気持ちの揺らぎがありましたが、とにかく話は振り出しに戻ったのですから、一度待ったをかけた解体業者選びを再開したのです。

 家屋解体の業者をネット検索で決めて、3月になってから見積もりのために来ていただいた担当の方に、家を見ていただきました。もちろん、かたづけもまだ途中になっていることも説明しました。そしたら、必要な物品の分別がないなら、つまり家と共に処分ということなら、家屋の解体費用そのままですとなり、契約書を交わし、わたしたち夫婦は、物品廃棄の手間暇から、解放。お役御免となったのでした。これにより、土日がきれいにオフとなりましたので、3月14日は、北陸新幹線開通記念の北陸新幹線初乗りに出かけることができたのです 笑。

 3月春分が過ぎて、家屋解体工事が始まりました。わたしも妻も仕事があるので、立ち会うことはいたしませんでしたし、その必要もないとのことでした。一応、毎日経過報告の電話があり、その最後の連絡があったのが翌週、「すべてが終わりました」ということでした。また、都合の良い日に現地で確認をということでしたので、週末、待ち合わせの時間に妻と出かけました。敷地に入ってみれば、本当に家屋はきれいさっぱりなくなっていて、庭木も石や車庫などの構築物も一切が撤去されていました。
『これで妻の帰る家がなくなったんだなぁ。彼女を大切にしなくてはと改めて思ったのです』

「終わったね」
「ええ」
「これで良かったのかい?」
「父の望みでしたから、これでよかったの」


The Text Replacer 2015年 4月 1日

 リアルタイムに印刷物を読みたい!

 そういう願いを叶えたくて、初めてスキャナを購入して、コンピュータで読むようになって、20年を越えたと思います。初めて買ったスキャナー GT-6500 を購入した記録が見当たらないので、はっきりしないのですが、メーカーサイトを見れば発売日 1992年3月とありますから、おそらくその年か、その翌年だろうと思います。

 そもそも画像から文字を抽出する技術、Optical Character recognition: OCR (光学的文字認識)を知ったのは、元号が昭和から平成になった頃あたりだろうと思います。その当時に書いたわたしのメモによると、それがどういうものなのかの具体的な情報は全くありませんが、価格だけが500万円とあります。高嶺の花すぎますねぇ 笑。

 それが、5年ほどして、スキャナが20〜30万円、コンピュータが30〜50万円、OCRソフトが5〜20万円ぐらいになりました。ということは最安値で55万円でできるようになったわけです。
これはチャンスかもしれない!
そう思ったわたしは、スキャナ20万円、コンピュータ30万円、OCRソフト5万円でパーソナルOCRを準備したのです。その記念すべき日がいつだったのかが分からないのが、ちょっと残念かもしれないのですが、別にそんなことが分かったところで、何の益もありませんね 笑。

 昨年作り始めた誤認識文字自動訂正ソフト replacer 。言語はVBA(Visual Basic for Applications)を、あれからちょっとずつお手入れしまして、ようやく完全版 The Text Replacer ができあがりました。
あれから、扱える文字コードをシフトjisに、ユニコードを加え、単一テキストファイルだけでなく、フォルダーを指定すれば、そこにある全てのテキストファイルをまるごとやっちゃうようにもなり、とりあえず、考えていた形にはなったかなぁです。
そして、それよりも何よりも誤認識単語の収集です。一年かけて誤認識文字が含まれる単語を見つけては、登録するようにして、今は、2000パターンほどになっています。

 今困っているのは、判断がつかないパターンがいくつかあるということです。
たとえば、「すぼらしい」と、「すばらしい」があります。
これだけだと「すばらしい」が正しいと思っちゃいますよね。
では、「みすばらしい」と、「みすぼらしい」だとどうでしょう。
「みすぼらしい」ですよね。
ええ、そうなんです「すぼらしい」だけで判断できないのです。わたしの作ったソフトは、日本語として正しいかどうかを判断する国語添削ソフトではないのです。ただ単純に“こういう単語があったら、これに変えてね”を機械的にやるだけのものなのですね。それにしても、OCRソフトが、「ば」と、「ぼ」くらい、ちゃんと認識してくれれば済む話なんですけどねぇ……。

 とにかく待望のツールができたことは、いくらかVBAが使えるようになったということでもありますから、よかったなぁ〜です。


大卒 2015年 5月 1日

 3月末に、めでたく放送大学を卒業し、そして、認定心理士の申請も卒業の数日後にいたしました。おそらく、数ヶ月後には、認定心理士と胸を張って言えるのかなぁです。ただ、残念だったことは、放送大学卒業は、わたしの職場では大卒扱いにしないということです。そもそも放送大学で学んだ理由は、高齢者の心理と、ky(空気読めない)職員とは?だったのですから……。こうして四年経ってみて、分かったことは、疑問の答えは、これからの“探求次第”でしょうということです。
そのことはさておき、とりあえず卒業は卒業なので、ここで一度心理学メインから、息抜き。ちょっと目線を変えてみたいと思ったのです。

 放送大学には、四年制大学卒業を目指す全科履修生と、好きな科目だけ1年学ぶ、選科履修生と、半年学ぶ科目履修生があります。わたしは、酔狂?にも4月から選科履修生で、学び続ける選択をしたのです。そして、今学期選んだ科目は、発音をめぐる冒険。なんと英語なのです。

 放送大学四年制卒の必要条件に、外国語2単位があります。ですから、科目でなら一つで良いのです。でも、わたしは、二つ増やして3科目にして、更に面接授業二つも受講していたのです。そしてそして、自宅では、スピードラーニングも買って、四年前から朝は、6時前に起きて、ひたすら聞き流していたのです。

 その結果……変化なし!

 でもまだあきらめたくないので、この期に及んでまだ大学に残って英語科目を撮って、通算3回目の英語の面接授業も先月25日26日に出席していたのです。いいかげん、もう手遅れだと気がつけばいいのにねぇ 笑い。

 ちなみに3回とも英語の面接授業の講師先生は、英語人だったのです。このことが、わたしにこの面接授業を受けたいと思わせたのです。 It made me take the class. でしょうかね。
日本人の英語と、ネイティブの英語をしゃべる英語人とでは、根本的に発音が違うでしょう。日本人の英語って、どことなくカタカナ的になりやすく、いえ、そういう発音がだめと言っているのではなく、母国語が英語の人の発音に“なま”で接してみたかったのです。そうすれば、ちょっとはましになるかなぁ〜でした。(スピードラーニング四年聞き流してだめだったってこと、なんで学習できないのかね 笑い)

 わたしの毎日に英語はありません。生まれてからこの年齢になるまで、一度も英語を必要とした日はありませんでした。ないのですから、英語を聞き取る必然性もありませんし、英語を話さなければならない理由も存在しなかったのです。英語しか通じない人に、『あなたの言いたいこと、知りたくてしかたがないのです!』もなければ、『あなたに分かってもらいたくて夜も眠れないのです!』もないわけです。日本人が英語できない本当の理由は、これだと思うのですね。とにもかくにも、英語母国語人が、わたしの周りのどこにもいないことこそが、英語できない真の理由。であれば、せめて面接授業ぐらい、英語の人とお近づきになれれば……と、思ったのです。

 “ない”ことをくよくよする暇があったら、“ある”ことに、この程度のことなら誰でもできそうじゃないですか、ねえ。そう思うのです。


腫瘍 2015年 6月 8日

 一昨年あたりからだったろうか?右足の第三足趾(中指)の先端の皮膚の肥厚が気になり始めていました。足の爪を詰めきりで切っているとき、指先の皮膚が妙に硬く盛り上がってきていました。ウオノメ?と思っていましたが、それが大きくなってきて、試しに詰め切りのやすりで削ってみると、1ミリ2ミリ削り落としても痛まずに削り落とすことができたのです。これでいいかなと……。でも、しばらくするとまた元のように盛り上がっています。試しに、爪切りでゆっくりと先端をカット。3ミリぐらい切り落としても痛みがないのですね。こりゃおかしいと思ったのですが、嫌なことは後回し!を決め込んでいたのです。

 そして今年4月。やっぱり皮膚の盛り上がり方が進行してきているので、近くの皮膚科にかかり、見てもらいました。すると、医師は、これは腫瘍なので、ここで治療できません。病院を紹介するからそちらに行くようにと言います。あちゃぁ〜です。そこで、午前に休みを入れて、紹介状を持って、総合病院の形成外科に行きました。

 名前を呼ばれて診察室に入り、検査台に仰向けになります。医師は街頭局所を診て、まもなく、「腫瘍の可能性があります」と言いました。その後の話をはしょって、5月25日に、組織検査、6月1日に切除術の日程を決めたのでした。

 6月1日は、午前で仕事を終えて、妻を待ちました。この日、職場を出る前に、右足を洗い、新しい靴下に履き替えて職場を出たのです。
予定された時間、午後2時の少し前、総合病院の受付からエレベータで形成外科のフロアに上がり、待合室で待ちました。まもなくわたしの名前が呼ばれ、診察室に、そして妻を残して処置室に案内され処置台に仰向けになります。術式は分かっているので、ただ待つだけです。そこに執刀医死ともう一人の医師(女性医師)、そしてナースです。
足、足趾の消毒があり、第三足趾に麻酔のための注射針がプツッ、プツッ、プツップツッと刺されます。これがなかなか痛いのです。これが分かっているので、処置台に横になったときから、呼吸リラクゼイションをしていました。そして注射の瞬間は、足のことは医師たちに任せて、わたしの意識は、全然違うところに運び去っていたのです。ですから術中、医師たちが行う術式に関しての記憶があまりないのです。
腫瘍を含む指先の組織は、爪の三分の一ごと取り去られ、皮膚縫合、テーピングで一連の処置が終わりました。

 その後、定期的に来院しては局所の消毒とテーピングが繰り返されます。それにしても、切除術の帰り、麻酔が切れた足の痛いのなんの。意識を痛む足から外したいのに、どれほど呼吸法を繰り返しても、なかなかうまくいきません。精神鍛錬が足りませんね 笑。

 そして一週間後のきょう、形成外科に行きました。担当医師から、摘出した腫瘍は組織検査の結果、悪性ではありませんでしたと伝えられ、 わたしも妻もほっとしました。このまま順調にいけば、来週抜糸。その後術後処置数回の後、一ヶ月後で通院が終わりますと案内があり、妻と二人、気分は軽やか、わたしは右足をまだ軽くひきずっていますから、足取りは重く、形成外科から出て通路を歩きます。窓から外を見ればきょうもいい天気。そういえば、通院の日は、全部晴れていたなぁと、お天気に感謝です。


認定心理士 2015年 8月29日

 先日、認定心理士認定証と、認定心理士証が届きました。これで、“心理学の専門家として仕事をするために必要な,最小限の標準的基礎学力と技能を修得している,と日本心理学会が認定した人”になりました。ええ、心理学で仕事をするための最小限の基礎学力がある人になったわけです。最小限ですから、まだまだ先は長いわけです。この程度で満足しているわけにはいかないのですね。なのに、きょう、放送大学の後期科目申請に、心理学の科目を入れずに出してしまいました。言っていることとやっていることがちぐはぐじゃないですか?ねえ 笑。
人は、どうして思いと行動が一致しないのでしょうね。このあたりも、心理学の基礎ではほとんど扱わない分野ですから、そのうちなんとかしたいなとか思っています。

 10月から学ぼうと3科目申請いたしました。その中の目玉は、“安全・安心と地域マネジメント”です。これは、主に、災害に対しての、社会の取り組みを学ぶ科目です。昨年の面接授業で“リスクコミュニケーション論”を受講し、そこから更に発展的に学ぼうと思っていたことを実行に移した結果です。
災害と言えば、誰もが地震 雷 火事 親父を思い起こすのではないかと思います。地震ということなら、直近で東日本大震災です。雷は、落雷。火事も分かります。さて、どうしてここに親父が入っているのでしょう?
思うに、アニメ サザエさんのお父さん 波平さんかな。よくカツオ君に「ばっかもーん!」と、怒っていた姿を思い出してしまいます。カツオ君って、落ち着きがなくて、おっちょこちょいの忘れん坊で、成績もぱっとしなくて、だけど憎めないキャラって感じですかね。そのカツオ君にいつも雷を落としているのが、波平さんですね。この“怒り”を象徴して“親父”なのかなって思っているのです。
それで、この“怒り”の感情が、いつ、どこで、だれが、なにが、どんなふうに、なぜ?に生じるのかが分かると、いいかなと思っているのですね。
その手始めとして、先日、
感情を知る_福田正治_2003
を読みました。このあたりも、心理学の基礎ではほとんど扱わない分野ですから、そのうちなんとかしたいなとか思っていたりします……が、一体いつになることやら 笑。

 話を戻しまして、“災害”と、それに対しての取り組みの“今”について、客観的に知ることができればと思っているのですね。……なんだか、タイトルと中身がずれてますね 笑。


占い 2015年11月20日

 きょう、一人退職しました。10年ほど前にわたしの部署に配属され、いろいろあった人です。この人を一言で言うなら、「なぜ、そうまでしてわたしを、いえ、人をいらつかせる!?」です。人をいやぁな気持ちにする天才じゃないのか?というほどの人でした。なぜ?なぜ?どうして?一体この人はどういう人なのだ!KY?空気読めない?いえ、それだけじゃない何かがある。でも分からない……。
人とは、なんと不可解な生き物なのだろうか?

 わたしが高校を卒業して、東京で一人暮らしをはじめて、いろいろな人と知り合いになりました。それはもちろん学校で一緒になった人たちもいますが、それ以外の人たちとの出会いもたくさんありました。せっかく出会えたのだから、うわべだけのつきあいじゃなくて、もっとなんて言うかな、もう少し親しく?それともわかり合いたい?だったかな?時間を作っては、喫茶店でしゃべったり、たまには飲み屋でアルコールの力を借りたりして……。これ、未成年なのにまずいですよね 笑。このあたり、アルコールのあるおつきあいは、中学ぐらいからやっていまして、高校生の頃は、かなり盛大に仲間で集まって……、ったくいけませんね はんせい 反省。

 話を戻しまして、人を知りたいという動機から、東京で神田神保町、本の街で本を探しているうちに、ふと目に留まった本……、なぜか占いコーナーでした 笑。それで、生年月日から占星術、そして次にはタロットを、その次には名前から姓名判断をするようになりました。星占いと、姓名判断は、数年後にはコンピュータのデータベース化して、生年月日や、名前の画数を打ち込むだけで、結果を出すというプログラムを作り、盲学校の学園祭で“占いの部屋”をやらせてもらうまでになっちゃっていました。あの頃は若気の至り、困ったものです 笑。

 それにしても人とは、なんと不可解な生き物なのだろうか?
そのことを次に感じたのは、いえ、ずっとあったことなので、途切れたことはありませんが、強く感じた次のタイミングは、高齢者の現場に入職してからです。
『えっ!この人、60才なの?めっちゃ老け込んでるじゃない。』
同じ年なのに、めちゃめちゃ老人やっている人もいれば、わかぁく見える人もいるわけです。この差は一体どこから?と、思いながら臨床にたずさわらせていただいていました。そして、まもなく、呼吸が違うことに気がついてきたのです。

 すぐに呼吸関連の情報を集めました。そう思っているからかどうか分かりませんけど、テレビやラジオで、呼吸をテーマにした番組ばかりが入ってきたように思います。東北大医学部の呼吸器の先生の話とか、番組名は、たぶん、関口宏さん司会のワンダーゾーンで搭乗した呼吸法の話。そこで紹介された方の著書をすぐに取り寄せて、その頃始めたばかりのOCRで本をテキストにして読みました。

 読めば誰でもできそうなメソッドばかり。すぐに始めました。そして、1997年9月に東京支部やの西野バレー団に呼吸法を習いたいと行きました。そこでしか習えないというのなら、ジェットで通うかもしれないぐらいの気持ちで行ったのですが、残念ながら、視覚障害者は危険が伴うので入門できないと言われ、やむなくあきらめて帰宅した思い出があります。

 それはさておき、その頃は、呼吸関連の書籍を次々と読んではいろいろと考えていたものです。と、同じ頃、何か変!?と感じる人たちが、患者さんたちだけではなく、医療介護の現場にもそこそこいることに気がついたのです。

 話を最初に戻しまして、きょう辞めたその人のおかげでと、全く言えるのですが、分かりたくて読んだ本は、例えば

 これらによって、『こういう人なんだ』の答えは得たと思います。でも、だからどうできる?なぜ、この人はそうなってしまったのか?の答えは与えてはくれませんでした。つまり、原因と、対処が分からないままに終わったということです。もっと端的に書けば、診断はついたが原因と治療法が分からない!みたいな感じでしょうか
そこで、更に答えを求めて……

などなど、このほか多数を買い求めては読みましたが、なんとなくピンとこないのです。分かるのは“今”、つまり“表現”、“症状”なのであって、“原因”に行き着かない感じなんですよね。きっと何か見落としているに違いありません。意外に近くに答えがあるのかもしれません。この際です、占いに頼っちゃおうかな 笑。