2013年のエッセイ

心理学に求める 2013年 6月10日
発達障害の書籍 2013年 8月11日


心理学に求める 2013年 6月10日

 わたしが大学で心理学を学ぼうと思ったわけは、2012年 1月29日のエッセイ、大学の心理学に書いたように、いくつかあります。同じ事を何度も書くようであれですけど、高齢の患者さんの気持ちに、どのように接していったらいいのか?といった理由と、同じ職場で働く職員たちにいる……、これをどう表したらいいのか、いつも迷うところなのですけど、“なんか変な人”と、つい思ってしまう人たち……、一体何が変なのかは、人それぞれなのでして、それでもあえて分ければ、二通りいるのかなぁですね。
 その一つは、この人としゃべっていると、だんだん気持ちが沈むとか、いらいらしてくるみたいに、いやぁな気持ちになってしまうタイプです。もう一つは、ずばり“KY”、空気読めないタイプです。こちらは、2007年に流行語で有名になりましたね。
医療介護の現場は、一人では何もできません。他の部署の人たちも交えてチームで取り組むことが基本なのです。そのために、連携を取り合うようにします。その方法として、“報連相”が、合い言葉になっています。これは、報告の報、連絡の連、相談の相からなる造語です。が、このことが、うまくいかない?うまくできない?そういう人たちがいる……、たぶん、悪意はない人が多いと思うのですけど……、現場は困っているのです。
これを書いているわたしだって、それを論じられるほどましな者ではありません。でも、上と下の間にいて、うまく現場をまわさなければならない立場上、なんとかしたいと思うは、ふつうのことだと思うのですね。そのためには、やっぱり“なんか変な人”は、一体どういう人なのかが分からなければならないと思うのです。……、わたしにその手のセンスがあれば良いのですが、どうも足りないものですから、今は大学に頼っているのですね。

 ところが、入ってみたら、そういったニーズを満たしてくれそうな科目が見当たらないのですね。例えば、見つけてすぐに飛びついた“人格心理学”。去年の後期に選択した“心理臨床の基礎”。今学期の“心理カウンセリング序説”、“思春期・青年期の心理臨床”、“精神分析とユング心理学”。どれも、かゆいところに手が届かない……、遙かに届かないのですね。
ですが、もしかして、これは……と思う科目があったといいますか、初めからそれ狙いでなかった、心理学ではなく、教育学側の科目なんですけどね。
“特別支援教育総論”です。

 教科書の序文に……、
特別支援教育は,障害のある児童生徒等の自立と社会参加を目指し,特別支援学校,特別支援学級や通級指導教室という特別の教育の場に限らず,すべての小・中学校等においても,一人一人の教育的ニーズに応じて,適切な指導と必要な支援を行うことを目的としています。
……と、あります。これが、なんでわたしのニーズに?と思いますよね。ええ、ここじゃないのです。
この科目は、タイトルにある通り、総論です。ですので、特別支援教育全般にわたる導入編です。 教科書の最初に特別支援教育の意義があります。そしてその次からですね、視覚障害教育、聴覚障害教育、知的障害教育、肢体不自由教育、病弱教育、重複障害教育、言語障害教育、情緒障害教育、発達障害教育、 と障害別の章が続いています。
はい、これです。ラストに取り上げられている“発達障害教育”を読んでいくほどに、“KY”、空気読めないタイプが発達障害者に当てはまるのではないかと、しかも思っていた以上に多いような気がしてきているのです。もちろん、わたしは診断できる立場にありません。ですが、そういう方に対する適切な接し方を身につけておけば、少しは良いのではないかなと思いはじめているのですね。
それにしても、発達障害は、まだ世間一般には認知されていないでしょう。法的には、2005年  「発達障害者支援法」の施行だけです。これは、学校教育での支援を公的責務としただけの法律のようなのです。これによって、“発達障害=子供”のような、世代限定のような誤解を生んでいるのかなと感じるのです。分かるかな?子供と同じ比率で大人にもいるのではないかと思うに至っているわけです。子供にいて、大人にいないとする理由、ないですものね。つまり、大人の中に、発達障害だと、本人も周囲も気がついていない、そういう人がいると思うに至ったわけです。
ということで、その手の検索をネットでかければ、あるんですねぇ。特にここ数年出版物が多いようです。それを書き出してみますと……、

 と、出てきます。ここにヒントがあるような気がしてきました。今は、前期の途中です。今月はこの後、心理学実験も含めて二つの面接授業が待っているので、それどころではありません。7月は期末試験を前にして頭がいっぱい一杯になっているでしょうし、とりあえず、それらが終わってからかなぁ〜です 笑。


発達障害の書籍 2013年 8月11日

 放送大学の前期単位認定試験が終わって一週間。前期の科目“特別支援教育総論”で、ラスト取り上げられていた“発達障害”。やっぱり、気になるのです。職場にいる、そして過去にいた、空気読めない人たち。急に怒りだした人たち、すごい学歴なのにトンチンカンな仕事をする人たち、自分の言いたいことだけマシンガントークして、こちらの話を全然聞かない人たち、自分で勝手に決めたルールで仕事して、臨機応変に動けない人たち、免許はいろいろ持っているのに、仕事してもらうと時間ばかりかかって、間に合わない人たち、などなど。何らかの理由で、間に合わないからと人事異動で、部署をいくつも経てきて、やっぱり『使えない』と、思わせてくれる人たち、そもそも一つの職場に一年以上勤まらずに転職を繰り返してきた人たちとか……。

上からは、「うまく仕え!」
下からは、「あの人と一緒に働けない!」

「なんでだろう?どうしてだろう?」と、理性的に思いたいのに、毎日毎日毎日毎日…、毎週毎週毎週…、毎月毎月が、季節を四つ越えると、仏の顔も三度ならぬ、四百度になってきて、『あのなあ!てめえなに考えてやだんだ!』と、頭にきて、胸がむかついて、腹が立ってどうしようもないのを抑えて抑えて、それでもなんで分からないかなぁこの気持ち!って思わせるかなぁ〜〜。

 まず、
「空気が読めない」という病 大人の発達障害の真実 | 星野仁彦 | 2011
を読みました。
この本の著者、星野仁彦先生は、精神科医で、この著書に、ご自身が発達障害のADHDと書いておられます。内容は、発達障害全般を網羅しています。けど、読むと、かなりADHD(注意欠陥性多動症)に多く紙面をさいてあります。それはそれでとても参考になりましたね。読むほどに、『あの人は、……だったんだ』と、確信度が深まりましたから。そういうことでは、なるほどです。
ただ、もっと目を引いた記述がありまして、それは、どの障害者より、発達障害者は多いと読み解ける一行です。
たしかに発達障害は、知っていました。おそらく最初に知ったのは、10年以上前、いえ、もっと前だったかも?です。でも、発祥頻度については、具体的な数値は、もっと全然低かったと思います。それが、変わったのですね。この変わったというのは、発生頻度が上がったのではなく、診断精度が上がったという意味です。つまり、以前は、明らかに!な人しかピックアップしていなかった。それが今では、なんか変だよねの人も該当しているということだと思ったわけです。このことは、目から鱗でした。

 次に、
あの人はなぜ相手の気持ちがわからないのか もしかしてアスペルガー症候群!? | 加藤進昌 | 2011
を読みました。
これは、発達障害の中でも、自閉症に、特に自閉症の中のアスペルガー症候群に焦点を当てた書籍です。
こちらについても、読めば読むほど、経験してきた人たちの中に、『もしかして』から、『かなりそれっぽい』と思いが変化したのですから、読んだ価値ありの書籍でした。

 これらの書籍で参考になったのは、具体的に列挙してある人物像もさることながら、診断のためのチェックリストですね。

 そして、発達障害の当人に、その障害に気がついていない人が多い、もちろん周囲……、家族も、職場も、“障害者”だと気がついていないということです。これが、他の障害者、例えば視覚障害や聴覚障害、肢体不自由などと大きく異なる点だということも明らかになりました。たしかにその通りだと思います。でなければ、上に書いたような経験をするわけがないのですから。

 ここまで書いてきました。ここにきて、これを書くべきかどうか、今でも迷っています。気持ちもやもやしています。
それは、「きみね、発達障害かもしれないから、その手の診断をつけてくれる医者にかかったら?」と、言うことができるか?です。
ものすごく躊躇しています。なぜなら、5年前、明らかにアスペルガーだと、どこからどう見てもそうだった人に、そうにおわせたことがありました。どうなったかというと、激しく拒絶したという結果になったからです。以来、わざわざ悪者を演じたくない。できたら関わらずに済む道はないだろうか?そう思ってしまい、一歩を踏み出せないでいるのです。