2024年のエッセイ

初詣 2024年 1月 1日
地震 2024年 1月 1日
宿泊 2024年 1月 9日
同情津波 2024年 1月14日
見かけの大きさ 2024年 2月18日
地球と月 2024年 2月24日
正しい方角と距離 2024年 3月23日
ランドマーク 2024年 4月18日
あらためてOCR 2024年 6月15日
遺品整理 2024年 8月28日
とある終活 2024年 9月30日


初詣 2024年 1月 1日

 昨年12月21日に20センチほど雪が積もり、このまま年越しになるのかなと思っていましたが、二日ほどでほとんど溶けてしまい、今年は雪なしの年越しでした。

 年が明けてみると、雨。外は、まったく雪がありません。であれば、雨さえあがれば、ウォーキングできます。ただし、昨年10月からは、もう一つの条件により、……。
それは、クマ。歩いていて、腹ぺこクマさんにばったり会うなんて、全然ありがたくありません。ですから、10月からは、街の方に歩きに行っていたのです。ですが、どうやら、クマさん、ここ2週間、ぱったり出てこなくなっているようです。そろそろいいかもしれません。

 午後2時。雨が上がりました。いよいよ行くか!
妻と、いつものウォーキングスタイル+クマ鈴を鳴らしながら、自宅を出ます。3ヶ月ぶりのコースです。まずは、標高差30メートルの斜面がわたしたちを待っています。角を曲がれば、斜面が見えます。すると妻が、「ええっ!?」
「どうしたの?」
「なんか、すかすかなの。大きな木はあるけど、幹だけ?下の枝がないの。それに下草も、低木も全然ないの」
「クマは、どこにも隠れようがないってこと?」
「そ、そう。斜面の上まで、見通せるわ」
「じゃあ、もし、いたら、ここからでも見えるってことだね」
「ええ、そうよ。ちょっと待って。大丈夫、どこにもいないわ」

 途中、野鳥や、風による物音にぎくりとして、とまります。怪しげな気配を探っては大丈夫と歩き出すこと、数回。坂を登り切りました。神社の境内の木立もかなり伐採されて見通しが良くなっています。しかし、鳥居の前で新年の参拝で留めて、すぐに元の道を降りることにしました。このまま、わずかな物音にびくつきながら、先を行くより、そこまで安全が確認できていた道を行く方がベターでしょうという理由です。
坂を降りて、まっすぐ、国道のバイパスのようになっている道に向かいます。そこそこ交通量が多いのですが、そこさえ2、3ヶ月前に、クマを3回目撃されています。少し離れますが、人身事故も起きているので、安全とは言い切れません。ですから、少しでも怪しげな感じがあれば、すぐに……とは思っています。ただ、クルマがけっこう走っているので、逆に怪しげな物音が聞こえないというデメリットがあるんですよね。
約1km歩いて、お不動様の所まで来ました。そこでお参りし、少し歩いて、おいなりさんにも参拝。同じ道を0.5km戻り、横にそれて、神明社に参拝。そこから、コンビニで年賀状を買い求め、更に歩いてお地蔵様のところでお参り。ここ、2021年わたしが町内会の副区長だったときに、地蔵尊祭を、ひっそりと執り行ったところです。それにしても、ここまで、元旦だというのに、誰にも会っていません。これまでこんなことあったかな?と思いながら、次、きょうのラストの場所へと妻と歩き出します。
約0.8km先にある天満宮。ここも誰も来ていません。そこで、お参りをして、帰途に就いたのでした。

 なぜ、誰もお参りにきていなかったのでしょう?もうコロナも終わったからでしょうか?いえ、それよりも、クマにびくつきながら田舎の神社に参るより、賑やかな街の大きな神社に行く方がいいに決まっています。きっとそうなのでしょう。

 もうほとんど午後4時。自宅に到着。歩数計を見て見ると、10720歩。よく歩いたねと、妻と笑い合います。クマっちも出なかったし、これで、地元を歩けそうだねと、ウインドブレーカーを脱いだのでした。


地震 2024年 1月 1日

 初詣から戻ったわたしと妻。笑いながら……、
「やっぱり、目立つかな?」と、わたし。
「ええ、このあたり。ここにも」と、妻。

 昨日、廊下に滑り止めに優れたワックスを塗ったのです。ただ、どうしても季節柄、速乾性とはいえ、乾きが良くなかったのです。そろそろいいかなと歩いてみたら、しっかり足跡がついてしまい、ありゃりゃ。しかも、まだ濡れていればごまかしようもあったのですが、もうほとんど乾く直前だったため、逆にくっきりと残っちゃったんですよ。
妻と、ぞうきんで擦ってみました。でも、全然だめです。
「上塗りしようか?」と、わたし。
「足跡の上に乗せてもだめよ。きっと」と、妻。
「だよな。いつまでも証拠が残ってしまう……」と、わたし。
二人で笑いながら、ダイニングに入ったそのときです。

 グラグラグラグラ
「地震!」
スマホが、地震警報を鳴らします。
「こっちだ!来て!行くよ」と、妻の手を引いて、地震が来たときに非難することにしていた部屋に行きます。
「震度は!」
グラグラグラ、ザンザンザンザン、ドドドドドドド……
「5だ!」と、わたし。これまで、震度4は、何度か経験があるので、4までは見当がつきます。今回、それを上回りました。周囲の様子も考慮すると、果たして強?それとも弱?
スマホが、新たな地震警報を鳴らします。
「ねえ、大丈夫!?」と、妻。
「この程度なら、大丈夫」と、わたし。
ガタガタガタガタ!
『揺れが弱くなった。震源地は能登。北からだな』
そのとき、わたしの頭の中には、ここ10年ののとを中心とした地震の記憶が再現され、『これまでと同じなら深さは10km。だとすると……これがもし輪島なら……、珠洲もありえるが……』
これまで、珠洲なら、おおよその距離を算定していたので、ピタゴラスの定理を当てはめれば……。そして、逆2乗の法則を使うと……。

 わたしの家から、珠洲市まで約90km。震源地が地下10kmなら、震源地からわたしの家までの距離は、90の二乗+10の二乗の平方根。ざっと暗算すると、90.5km。ほとんど地上と等距離。そこに逆2乗の法則を当てはめると、ここで震度5と仮定するなら、珠洲市の揺れのエネルギーは、ここの81倍ということになる。なる?えっ!
『やばい!!!』
そのとき、わたしの頭の中には、〈壊滅〉の二文字が……。これは、後でLINEの履歴で分かったのですが、4時13分。わたしの家より、北にいる友人知人親戚に「大丈夫か?」をばんばん書き込んで送っていたのでした。震源地に近いほど、その揺れの強さはどんどん強くなるのですから。すぐ返信が返ってくれば、オーケー。もし、返ってこなければ……。

 それから、次々と返信が帰ってきました。よかった。中には、津波を警戒して避難しているとのメッセージも。また、家の中がめちゃくちゃだというのもありましたが、返信できるなら大丈夫ってことです。
もちろん、わたしたちだって、この先、もっとでかい揺れが来たら、そんなことしている場合じゃありません。妻と一緒に避難袋を持って、外に出なければなりません。
東北の三陸あたりには、『てんでんこ』が、伝承されているそうです。これは、『でかい地震が来たら、人のことを気にしていてはいけない。一人で逃げろ!さもなければ津波にのまれてしまう』という意味だそうです。これは、家が倒壊してしまうような強い揺れにも当てはまるとわたしは考えています。家の下敷きになっては、助かるものも助からなくなるのですから。

 地震の揺れの拡がりは、逆2乗の法則で説明できるほど単純でないことはよく分かっています。それでも、何も分からないよりはましでしょうと思っているのですね。

 30分ほどしてから、テレビで、地震のニュースを流します。パソコンでも調べます。でも、能登で何が起きているのか?具体性に乏しいものばかりです。
ライフライン、特に電気が途絶えてしまうと、情報が外に送り出せなくなります。
警察、消防、市役所などの公的機関も被災してしまえば、そこに関わる人たちも、誰かまうことなく被災者になります。
このことは、阪神淡路大震災以後の教訓です。
どれだけ待っても、特定地域の情報が流れてきません。


宿泊 2024年 1月 9日

 成人の日、わたしの所から、約10km北にあるホテルにチェックインしました。やはり地震による風評被害は避けられないだろうから、わたしと妻のお気に入りの宿に泊まることにしたのです。そして、わたしの住む地域より、10km震源地に近い地域の様子もたしかめてみたかったという動機もあったのです。

 一日の翌朝、わたしは、去年の夏に退職した元職場に、あらかじめ事務日直者に連絡を入れて、訪ねてみたのです。彼は、快く会ってくれました。聞けば、揺れはひどかったようです。でもというか、やはりでしょう。きちんと地震対策もありましたし、災害被害マニュアルも動いたとのようです。あの新潟県中越地震、2004年10月23日以後、人ごとではないと、対災害マニュアルをつくったのです。そして、ことある毎に見直し、改定を繰り返して今に至っているのですから。
あまり仕事のお邪魔をしてはいけません。何事もなかったのですから、わたしは早々に挨拶をして出てきました。

 話を戻しまして、ホテルの部屋にカバンを置いたわたしと妻、まずは周囲を歩いてみようと、西に、約1km先の神社に向かいました。
歩道は、もしかして、揺れでひび割れた?かもしれないものをときどき見かけました。そして、神社に到着。特に参道も拝殿もそれらしい被害はなさそうです。お参りをして、一度ホテル近くに戻ります。
次に、少し南東、ニュースで被害があったと報じられた神社に向かってみます。境内に入ると、すぐ、妻は気がつきました。石灯籠が傾いていたり、狛犬が台座から落ちていたり、そしてこれが一番。鳥居が崩落していたのです。
わたしたちが、拝殿でお参りをして、石段を降りてきたちょうどそのとき、午後5時。日の入りの時刻です。回りは一気に暗くなってきました。そろそろ行こうかと、街の灯りに向かって歩き出したのでした。

 そこからもうしばらく、元繁華街、今はほとんどシャッター外の通りを歩いたりしまして、ときどき、おそらく昭和の頃に建ったと思われる建物で、外壁からではないかと思われるかけらを見かけたりしましたが、意外と大丈夫だと思いました。
そして、ホテルのそばまで戻ってきて、ここに来たらよく行くトンカツのお店に入ることにしたのです。

 お店に入って、椅子に座り、妻と何を注文しようかと迷うというか、こういうときは、しっかり食べようと、“特選”でお願いしました。飲み物も、ワインをボトルでもらって、妻と、きょうのウォーキングのことなど話をしながらおいしくいただきました。
妻が見るには、おそらく食器棚に被害があったみたいと言います。やっぱり、そうでしょうと思います。それでも、こうしてお店を開いてくださっているのですから、やっぱりおいしくいただくに限る。そう思っているのですね。
レジを済ませて、「ごちそうさま、おいしかったー」と、お礼を言って、通りにでたのでした。

 ホテルに戻ったわたしたち、コンビニで買ったお酒を飲んで……と言うのは、ホテルに戻る前、バーでいっぱいやりたくて、飲み屋街にも足を運んでみたのです。でも、どこも真っ暗。やってないようなので、しかたなく…… 笑。

 翌朝、ゆっくり起きて、11時近くにチェックアウト。今度は、妻と、北方向にウォーキングを始めました。
すると、まもなく、公園内に地割れ、陥没している所に遭遇。更に足を伸ばすと、アスファルトにひび割れたと思われるすじや、段差、液状化の痕跡を発見。妻に写真を撮ってもらいます。

 昨日と、今日、東西と北方向、どちらも約1km程度歩いてみて、全然大丈夫と思われる箇所もあれば、これはと思うエリアもあったのでして、この差は一体?と、思いました。
これらは、震源地からの距離だけでは説明のつかない何かです。おそらく、地盤の固さの“差”ということになるのかもしれません。


同情津波 2024年 1月14日

 お昼少し前のバスに乗って、街の方に向かいます。目的地は、一週間前と同じ。バス停ごとに乗ってくる人、降りていく人。病院で働いてきたからなのか?それとも大学で心理学を学んだからなのか?それとももっと前にわけがあるのか?つい、人を見てしまいます。見るというのは、視覚ではなく、足音、歩き方、身のこなしのちょっとした気配、そして話し言葉。『どこから来て、どこに行くのだろう?何のために行くのだろう?』と、つい……。これは、ウォーキングしていてもありまして、エンジン音、走行音、加速減速の具合から、『土曜日の午前9時過ぎに、『このクルマは、どこから来て、どこに行くのだろう?何のようだろうか?』と、心理状態を推察してしまいます。困ったものです。悪い癖 笑。

 目的のバス停で妻と降りて、そのまま、ウォーキングを提案。まずは前回と同じように、西に1km、戻ってきて東に1km歩くことにしました。ただし、同じ道でも、前回とは反対側の歩道を歩いたり、前回歩かなかった道を歩いてみたりします。そうやってみると、またあれから一週間経っていますし、時間帯も異なっていることもあるでしょう。同じ街なのに、見えてくる“街の様”が、同じではないことに気がつきます。やっぱり生きているんだなと思うのですね。もちろん、タイミングよく、妻が、風景を教えてくれるので、分かるのです。こちらの方が全然大きいので、いつも感謝です。

 4kmほど歩いて、ほどよく“いい感じ”になったところで、お店の扉を開けます。そこは、なじみのバー、独乙屋倶楽部(ドイツやクラブ)。

「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
「なんかあれですけど、あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとうございます」

 カウンター席に案内されて、わたしと妻、ダウンジャケットを預けて、席に着きます。まずは、メニューをいただいて……、
「何からなさいます?」と、まま。
「どうしようかな……」
「ビールは、ベルギーのなら……」
妻は、ライトなビールを、わたしはこくのあるのを注文して、まだお昼食べていないので、これと、これ、それからこれもいただこうかなと、オーダーします。奥のカウンター席からは、もしかして女子会?30代から40代の女性の小グループの話し声が聞こえてきます。わたしのすぐ左にも女性。もしかしてお一人?などとつい……、また悪い癖 笑。

「こちらのfacebook見ていますよ」
「ありがとうございます。こちらにビール置きますね」
「ああ、どうも」

 ビールで妻と乾杯し、お料理をいただきながら、ママと地震からのことを聞きます。やはり、新年発開店で、たくさんの人が来店したようです。わたしも、あのお店どうしたかな?と、気になっているお店、いろいろとあります。ここもそういう意味では、そうだったのですから。そういうことでは、被災したいろいろな所、いろいろなお店、人たちを思ってしまっていればなおのことでしょう。たとえ遠方でも、一度でも訪れて、いい思い出があれば、つい思いをはせてしまう。そういうものだと思います。羽田空港も、これまで何度も利用しましたし、飛行機については、航空機事故報告書のようなものや、ノンフィクション、フィクションに関わらず読んできたこともあって、ちょっとだけ濃い思いがあるのかもしれません。

「次はなにになさいます?」と、ママ。
「あなたどうする?」と、妻に聞きます。
「じゃあ、テキーラで……」
「ロングでならテキーラサンライズ」と、ママ。
「ああ、それ、すてきね」と、妻。
「ご主人は?」
「ロイヤルサルートある?」
「ごめんなさい。今切らしていて、シーバスのリーガル……、みずならの樽で熟成した……」
「それいいね。ストレートでお願い」

 この後、ドライマティーニをいただいて、妻はジンリッキーでおいしくいただいているちょうどそのとき、奥の咳の女子会?グループがチェックアウトしていきました。残るは、わたしたち夫婦と、わたしの左隣の方だけ。
バーでやっていて、ふとしたことから、見知らぬ人と話が弾んで……ということ、ありますよね。わたし、そういうのけっこうありだと思っているので、やっぱり、そうなっちゃいました。
それからは、その方とわたしたち、それにままも加わって、にぎやかに?次々とおしゃべりのキャッチボールとなりました。話題の中心は、やっぱり地震。その当日の話からきょうまでの二週間のあれこれ。人それぞれの体験談を聞くのは、楽しいと書くと、ちょっと問題ありかな。地震の話が楽しいわけじゃありませんからね。みなそれぞれの体験をしていらっしゃいます。それを言葉にして引き出すことがおもしろいということです。

 30分かそこいらお話をしていたでしょうか、その女性の方もお帰りになりまして、わたしと妻もすっかりということで、お会計を済ませ、ママにまたねと……。
帰り道、夕飯の食材をと、スーパーに立ち寄ります。妻とは、被災地からのものがあれば、これから少しずつ買おうねと決めていました。こういうことは、東北での震災や、熊本地震の後もしてきたことなので、今回も言わずとも通じていたのですが……。
「ねえ、ないのよ」と、妻。
「入っていないとか」と、わたし。
「いいえ、能登からの品があった場所はあるのよ。でも、商品がないの」
「売れちゃったってこと」
「そうみたい」

 わたしは、こういう現象を“同情津波”と、勝手に呼んでいます。被災直後に、被災地に大量の支援を目的とした物資--その物資の用途として意味のない物や失礼な物も含めて--が押し寄せてくるといったことに代表される“応援の気持ち”の大波ですね。突如店頭から被災地からの商品が売り切れるというのも同じかなと……。
とりあえず、ない物はしかたないので、来月あたりから、少しずつ買うことにしようと、エコバッグに買った商品を入れて、バス乗り場に向かったのでした。


見かけの大きさ 2024年 2月18日

 わたしと妻の朝食は、平日と休日で違うのです。平日は、概ね6時か6時半起床。パンと目玉焼きにサラダ。目玉焼きが卵焼きになったり、サラダが野菜炒めになったり、そのあたりは、妻のアレンジで日替わりです。パンは、ホームベーカリーで焼くドライフルーツたっぷり食パンで、ドライフルーツレシピも妻が毎回変えてくれます。妻がキッチンにいる頃、わたしはコーヒー用の台で豆を挽き、ドリップでコーヒーを煎れて、ダイニングテーブルにお皿が並ぶ頃に、サーバーとコーヒーカップを持って行きます。そして、向かい合わせに座り、「いただきます」で始まるのです。
これが、休日になると、起きる時間も7時を過ぎ、たまには8時もあっったりして、パンがパンケーキになり、これにフルーツと、コーヒーを付けます。食べる場所は、ダイニングから、わたしたちの部屋に変わり、南向きの窓の前にあるカウンター風の長テーブルになるのです。窓には、遮光カーテンが掛かっているので、中から外は見えるのですが、外からは中が見えません。そこがお気に入りなのは、天気や季節の変化が分かりやすいからでしょうね。

 今朝もそうやって、早春の柔らかい日差しを遮光カーテン越しに浴びながら、パンケーキを食べていると……、
「飛行機?かしら」
「えっ!?」
「南南西あたりから……、こっちに向かって来る」
「えっ!?」
「行っちゃったわ」
「東の窓から見える?」
「ちょっと待って」と、妻がテーブルから離れて、東の窓のカーテンを開けに行きます。
「いるわ。北東に飛んで行く」
「今まで、そんなコースで飛んで行ったことあったかな?もしかしてUFOかも?写真撮ろうよ」
「ええ」と、スマホを机から持ってきて、遠ざかる機影を写真に収めていたのでした。

 それにしても、未確認飛行物体にするには無理があります。ニュートン物理学まんまで飛んでいましたから…… 笑

 それから30分ほどして、わたしと妻は、ウォーキングスタイルに着替えて、いつものコースを歩いていたのです。
「ねえ、またいるわ」
「何が?」
「飛行機」
「どこ?」
「上にいるの」

 わたしはポケットからスマホを取り出して、カメラモードにして上にかざします。妻は、わたしの手を持って、機影がファインダーに入るようにしてくれたところで、「いいわ」に合わせて、シャッターを切りました。 時間は、9時58分。
「また来たわ。西からよ」
そうして合計4枚の写真を撮って、ウォーキングを再開しました。

 ウォーキングをしていると、また空にジェットらしき機影が現れます。時間は、10時35分です。そして、11時2分にも現れたので、空にスマホを掲げました。

 ウォーキングの途中や、天満宮で休憩しているときに、妻が、ジェットらしき飛行物体の具体的な様子、例えば方位とか、機体の形状とかを教えてくれます。わたしは、それを聞いて頭の中で計算を始めたのです。

 もしその機体の全長が、20mだとしてそれが高度1万……、つまり10km上空を飛んでいたとしたら、その機体の見かけ上の大きさは……
機体全長10mの飛行機が高度5kmを飛んでいるのと同じになる。
全長2.5mの機体なら、高度2.5kmで同じのはず。ということは、……
この割り算を繰り返していけば、高度30cm上空を飛ぶ全長0.6mmの機体の飛行物体と見かけは同じはずです。

 『30センチ先の0.6ミリの物体ねぇ』、遙か上空をぶっ飛んでいった飛行体が、なんか急に手の届く距離に感じられるから、面白いですね 笑。

 あとから、妻に物差しを示して、「30センチ先の0.6ミリの物体」と、言いますと、彼女は、そんなに小さくなかったと言います。そこで、インターネットで、下から見た飛機の形状で調べてもらいます。すると、輸送機C-2と、戦闘機F-15だったと分かったのです。
まずC-2は、全長43.9mです。そしてF-15は、全長19.4mですから、これを計算式に当てはめて見かけの大きさの一致する数値を割り出す作業をしたところ、おそらく高度は、6千から8千の間で、高い確率で高度6千メートルで飛行士ていたと結論したのです。
ちなみにC-2なら、37センチ先の3.7ミリの物体と見かけ上同じ。F-15では、37センチ向こうにいる1.2ミリの物体に見かけ上等しくなり、確かにそうだったようなのです。

 次に速度です。これ、うっかりしちゃったんですよ。測っておけばよかったって……。
コーヒーを煎れるために、いつも電気ポットからお湯を注いでいます。このとき、どれくらいお湯をドリップに注ぎ入れるかを時間で決めているんです。例えば、4秒注ぎ2秒休むを3回、そして3秒注いで6秒休むを5回とか、コーヒー豆によって変えているのです。ここで大切なことは、頭の中のメトロノームです。いつも同じ秒カウントができるようになるように、そこそこ練習しました。ですから、数分ぐらいまでなら、それほど誤差なしで時間がカウントできるんです。気持ち落ち着いていないとだめですけど 笑。 なので、二つの地点を決めて、その間の距離と時間が分かればなぁと、今頃思っているわけです。

 もし、もしもです、道路の西の建物の屋根から飛行機が現れ、道路の東の建物の屋根の上を越えて飛んで行ったと仮定します。ここで西の建物の屋根が、仰角45ど、東の建物の屋根が、仰角60どにあるとして、そして飛行物体の飛行高度が6千だと仮定すると……、
ざっと計算すれば、西の屋根を越えて現れてから、東の屋根を越えて視界から消え去るまでの飛行距離は、約9.64kmとなります。
これを輸送機C-2の巡航速度890km/hで飛行したと仮定すれば、目撃した時間は、約38秒になるのですが、果たしてそうだったのだろうか…… 笑。
仮定に次ぐ仮定なので、このあたりは、全くNGです 笑。

それにしても、どこに何をしに行ったのだろう?本当はジェット機型UFOだったのでは?
ウォーキング中、「あそこの角を曲がって、そこにUFOがいたら乗せてもらう?」
「いいわね」
『初乗りが500円で1キロ。それからは1キロにつき100円ずつ加算で、アンドロメダまで行くとなると……アチャー!大気圏どころか、あの雲の上どまりだよなぁ〜』
笑い


地球と月 2024年 2月24日

 きょうは満月。もし、空が晴れていれば見ることができるはず……、夕方から少しお天気が回復。東の方角を見てもらうと、出ました!でも、薄雲の向こうにぼんやりと現れただけ。それでも、待てば、ちょっとだけ雲が晴れてきて、これならいける!とスマホで撮影。一枚だけ撮れました 笑。

 そういえば、月の見かけの大きさって、どれくらいなんだろう?
手で触ってたしかめるわけもいかないし……。それじゃあ、先日のジェット機に用いた計算でやってみますかぁと、インターネットで調べてみました。
月の直径(km)3474.8
地球の直径(km)12,756
地球と月の距離(km)380000

 これだけデータがあればオーケーです。
計算してみますと、地球から見える月の大きさは、50センチ向こうにある直径0.46センチの球ということになりました。思っていたより小さいというのが正直な感想です。
それでは、月面から見た地球の見かけの大きさも計算してみますと、50センチ向こうにある直径1.68センチの球となりました。こちらも『意外に小さいんだ』と思いました。SF小説では、月面からの地球って、もっと大きく描かれているもの、とても多かったように思います。読み手のわたしが勝手にそう思い込んでいたのかもしれませんが……。

 ついでですので、スカイツリーから見た富士山の高さもさくっと計算してみましょう。こちらも、インターネットで調べると、簡単にデータを得ることができます。
スカイツリーの高さ(m)634
富士山の高さ(m)3776
スカイツリーと富士山の距離(km)105.6

 スカイツリーから方位248度の方角で、50センチ向こうにある1.8センチの山が富士山です。
逆に富士山頂からでは方位68度、50センチ向こうにある0.3センチの塔がスカイツリーとなりました。なお、方位は、それぞれの緯度経度から算出するサイトから拝借いたしました。

 話を月に戻しまして、50センチの物差しの片方に直径1.68センチの球を置いて、反対側の端に直径0.46センチの球を置けば、地球と月の760000000分の一縮尺モデルのできあがりです。
そういえば、地球を直径1メートルの球にして……という縮尺モデルもよく見かけます。これを用いるなら、月は、直径27.2センチの球となり、二つの間の距離は、29.79メートルとなります。ここに高度408キロの軌道を飛んでいる国際宇宙ステーションを配置しますと、直径1メートルの地球の上空3.2センチの軌道を飛行していることになります。
『まじか!イメージしていたよりずっと低いじゃん!』

 ついでですから、太陽と地球も計算してみましょう。

太陽の直径(km)1,392,700
地球の直径(km)12756.274
太陽と地球の距離(km)149600000

 太陽の直径を1メートルまで縮尺すると、地球の直径は、0.9センチになり、その間の距離は、107.4メートルになります。

 とにかく、手で触ってたしかめることができない物体をなんとなく実感を持ったものにしようと思ったら、やっぱりこの手でしょうかね。


正しい方角と距離 2024年 3月23日

 今年になってから、ときどき調べてみては、おもしろがっていることに、“距離”と、“方角”があります。
そもそも、能登地震があって、そのときに、震源地から自宅までの距離をほぼ正確に得るにはどうしたらいいのだろう?から始まりました。
手っ取り早いところでは、やはりインターネットでしょうと、調べてみたのですが、“地図をクリック”は、完全にバリアですから、使えません。それでいくつか試してみて、ここに落ち着いたサイト、それは、 2地点間の距離と方位角 - 高精度計算サイト でした。
これは、地球上の2地点の緯度・経度を指定して最短距離とその方位角を計算し、地点AからBの方角を表します。とあります。はい、住所でも郵便番号でも、地名でもなく、緯度・経度で二つの地点をポインティングします。そのため、前もって、二つの地点の緯度・経度情報を持っている必要があります。ちなみに、説明分では、緯度・経度と書いてありますが、実際の入力フォームは、経度が先で、緯度が後なので、これちょっと中尉が必要です(2024/3/23現在)。

 そのために、地点の井戸経度を調べるサイトとして、 Geocoding - 住所から緯度経度を検索 を利用しています。

 このサイトに、住所やランドマーク名とありまして、住所はもちろんですが、建物の名前でも調べることができるので、便利です。例えば……、“スカイツリー”と入力して、GPS座標検索ボタンを押すと、
東京スカイツリー 緯度: 35.710063 経度: 139.8107 OLC: 8Q7XPR66+27
と出ます。

 次に“東京都庁”で検索しますと、
東京都庁(?) 緯度: 35.689481 経度: 139.691686 OLC: 8Q7XMMQR+QM
とでます。

 これら、二地点の井戸経度を用いて、上記の2地点間の距離と方位角 - 高精度計算サイトで調べますと、

ABの距離d11.000236km
方位角φ 258.012896°258°0′46.42″
とでます。

 これで、スカイツリーから、東京都庁の距離が、11km23cm6mmと分かります。そして方角は、258.012896、つまり真西と西南西の真ん中あたりの向こう側にあると分かるわけです。もちろん、スカイツリーにいて、正しい東西南北が分かっていることが必要です。

 最近は、自宅にいて、この二つのサイトを用いて距離と方角を調べています。自宅の井戸経度は、分かっていますので、地点Aをそれにして、地点Bにいろいろな地点、建物や、山などの井戸経度を入れて出しています。なお、自宅にいて、正確な東西南北は分かっていますから、それによって、『ああ、この方角の向こうにスカイツリーがあるのだなぁ』と……、思いにふけることができているというわけです。物は見えなくても、なんとなくですが、頭の中の3Dマップに、描くことができると、少しだけ位置覚が整うというのか、ただ漠然としたどこかが、少しだけクリアになる気がします。

 これを読んでいる方で、「この方角に札幌がある、東京が、名古屋が、大阪が、福岡が」と、指さすことができる方がいらっしゃいますか?いらっしゃったら手を挙げてください。「それはよかった」と、言いますから 笑。
ついでですから、以下に、五つの都市のランドマークタワーとして、調べてある井戸経度を載せますね。

各地のランドマークタワーの井戸・経度
ランドマークタワーさっぽろテレビ塔東京都庁名古屋城あべのハルカス福岡空港管制塔
緯度43.06110535.68948135.1847534.64607133.593863
経度141.356425139.691686136.899688135.513477130.449932

ランドマーク 2024年 4月18日

 ランドマークを新明解国語辞典で引いてみると……

高い山や(特徴のある)高層ビルなど、その土地の目印やシンボルとなるような遠く(空中)からも目に付きやすい地形や建造物。

新明解国語辞典

と、出てきます。

 先日、町内会の班長の一人になりました。わたしの所の班には、全部で28軒(空き家を含む)あります。一応整備された住宅街ですので、道路はきれいに東西南北となっています。ただ、半世紀以上かけて少しずつ拡がりながらの継ぎ足し造成のために、完全な碁盤の目とはいきません。それでも、斜めの道も、湾曲した道路もありませんから、分かりやすい方です。
先日、妻と歩きながら、班を構成する家の所在地を確かめながら見て回ってきて、帰ってすぐ、エクセルで、班を構成するエリア……、シートの原点A1のセルを北西の角として全てのお宅の名前と、道路を入れての簡易地図を作りました。こうして簡易版でもいいので、地図を作ってみると、“実感”を持って、空間の拡がりを意識できるので、良いかなぁです。

 目が不自由になってから、地理感覚には、けっこう悩まされます。特にクルマなどの乗り物に乗って移動しますと、距離感も方向感も得られないので、困ります。なんとか地図を読みたいものだと、以前、点図ディスプレイで地図を表示してみようと、大阪に行って試したことがありました。そのときは、惨敗、さっぱり分からないという結果に終わってしまいました。それ以来、積極的な行動は起こさず、気がついたら…… 笑い。

 今年元旦に、能登地震がありました。地震のさなかに、震源地からの距離を推定して、自宅の揺れから震源地での被害を推定してみたことをきっかけに、いろいろな地点の緯度経度を調べては、距離や方角を確かめるということをやり始めました。そして先月、地点名と、その場所の緯度経度データがあれば、簡易地図を描くことができる!と、思ったわけです。データは、Geocoding - 住所から緯度経度を検索でほとんど収集できます。あとは、集めたデータをどうエクセル上に描くか?だけです。

 これ、山手線の各駅の緯度経度データです。これらのデータから、

が、分かります。この緯度経度データを用いて、 2地点間の距離と方位角 - 高精度計算サイト で調べると、南北13.169875 km、東西7.030108 kmのエリアにこれらの駅がある、つまり山手線エリアが、ぼんやりとではありますが、見えてきます。ただ、このままでは、“この中にある”とだけしか分かりません。そこで、……
例えば、エクセルのセル一つを、1km×1kmとすれば、縦14、横8こ……、つまりA1からH14の112このセルに、それぞれの駅の緯度経度情報を用いて、配置することができます。これで、エリアの中の位置関係”が見えてくるにちがいありません。
ということで、やってみました。

 結果、同一セルに二つの駅が入る場所が二カ所できました。やっぱり日暮里と西日暮里は近いのでそうなりました。もう一カ所はどこだと思いますか?想像してみてください。

 そこで、もう少し縮尺度を変えて、セル一つを0.8kmの正方形としてみました。以下が、それです。

0.8km四方の□でマッピングした山手線の駅地図
W\N1234567891011N/E
1 池袋駅 大塚駅 巣鴨駅駒込駅 田端駅西日暮里駅 1
2目白駅        日暮里駅鶯谷駅2
3高田馬場駅         上野駅3
4          御徒町駅4
5新大久保駅         秋葉原駅5
6新宿駅        神田駅 6
7代々木駅        東京駅 7
8原宿駅       有楽町駅  8
9渋谷駅       新橋駅  9
10       浜松町駅   10
11 恵比寿駅    田町駅    11
12  目黒駅  高輪ゲートウェイ駅     12
13   五反田駅 品川駅     13
14   大崎駅       14
W/S1234567891011S\E

 これで見ると、東京駅の西にあるのは、代々木駅で、北に神田駅、日暮里駅、西日暮里駅があるように描画されています。厳密には0.8km内のずれがあり得るのですけど、とりあえずなるほどぉです。

 このことに手応えを感じたので、約一週間、わたしのいる県の鉄道の駅、市役所、デパート、ホテル、ショッピングセンター、道の駅、球場、港、一級河川の橋、高速のインターチェンジ、主な学校、主な山の山頂、ゴルフ場、総合病院、腫国道のバス停などなど思いつくところで、528箇所の緯度経度データを収集して、我が県のランドマーク地図をsheet1に表示するプログラムを作ってみたのです。
描画の縮尺、つまりセル一つを縦横どれくらいにするか?は、10mから10kmの範囲で、自由にできるようにしました。ただ、だからといって、10mにすると、とてつもなくなにもないセルばかりが、無限!と思えるほどになってしまうので、いけません。ということで、わたしんとこの県レベルでは、1〜2kmで大雑把に表示、詳細になら333.33mがいい感じかなぁです。

 ついでなので、以下の四カ所を日本の東西南北端と決めて、

日本の東西南北
地点名緯度経度
最北端:宗谷岬45.522903141.936595
最南端:桜島31.583333130.65
最東端:根室市役所43.330111145.582866
最西端:佐世保駅33.163925129.725646

日本中の884カ所のランドマークの緯度経度データを集めてsheet2に表示するようにしてみました。ここに九州から南が入っていないのは、海を渡る距離をそのままエクセル上に当てはめると何もないセルが延々とあるだけになってしまうので、海を渡る距離カットプログラムを作ってからかなぁなのですね。さて、話を戻しまして、セル一つを3km四方での表示です。こうやってアクティブセルを上下左右に移動してみると、『このあたりにあるかな』と思っていた市役所がそこになく、『ここだろう』と思っていた駅が下(南)にずれていたり、意外な発見のオンパレードの毎日をやっています。
例えば……

が、ほぼ南北関係なのですね。大宮駅って、もっと東にあるのかなと勘違いしていました。
と、成田空港の方が、経度が大きい、つまり秋田市役所より東にあることも驚きでした。
敦賀稲毛駅、甲斐市役所、甲府市役所、笛吹市役所、上野原市役所、八王子駅、下北沢駅、東京ディズニーランドが、東京タワーと南北プラマイ3kmの緯度線上にあるとか、
あべのハルカスが、御前崎市役所、USJ、神戸空港と、南北プラマイ3kmの緯度線上にあるとか……。
『へえぇ、そうなんだぁ』です。

 なお、同一経度線上の地点は、南北関係となりますが、同一緯度線上の2地点は離れれば離れるほど東西関係にはならなくなります。それは、地球が球体だからです。それの例として……、東京スカイツリー、上野駅、池袋駅、荻窪駅、三鷹駅、焼石駅は、ほぼ同一緯度線上に並びますが、スカイツリーとの距離と方角の関係はこうなります。なお、球体上にある同一緯度線として計算するために、緯度は全てスカイツリーの緯度にそろえてあります。

スカイツリーとの距離と方角
地点名上野駅池袋駅荻窪駅三鷹駅焼石駅
距離(km) 3.009151 9.020853 17.322386 22.567584 235.930309
方角(度) 89.990284 89.970874 89.944071 89.927135 89.238137

 上の表で一番遠い焼け石駅は、岐阜県下呂市焼石にある、高山本線の駅です。スカイツリーから235.9kmも離れていても、角度にして1度もずれていないので、微差と思われたかもしれませんが、参考までにということです。

 そして今週、sheet3に、東京メインのランドマークを359集めて、表示してみました。

東京の東西南北
地点名緯度経度
最北端:氷川神社35.916835139.629686
最南端:浦賀駅35.250938139.714978
最東端:空港第2ビル駅35.773118140.387184
最西端:小田原駅35.256445139.155393

 これまで言葉で聞いたことはあっても、行ったこともないし、そもそもどこにあるのかもよく分かっていなかった東京都庁とか、豊洲市場など、いろいろの場所の位置関係が分かるようになりました。
あとは、道路、鉄道の路線がなんとかならないかなぁです。
今は、鉄道の駅とバス停ですね。東海度本線から始めて、新幹線の全駅、これまでに利用したことのある電車の路線の駅、バスの停留所データをエクセル上に描画して、セルを上下左右に移動することで、『あっなるほどこの路線はこう走っていたんだ!』と、おぼろげながら“道”が見えてきています。

 これから、プログラムのお手入れをして、表示する項目をセレクトできるようにするとかしようかなぁです。
それにしても、地点名と緯度経度をもっともっと集めないと話にならないのですけど…… 笑。


あらためてOCR 2024年 6月15日

 2021年の夏から、昔読んだ本を再び買い求めてOCRをやりましたという話を また読みたい本 2021年 8月15日 のエッセイで書きました。あれからも、昔のOCRで出力した本のテキストデータを開いてみて、『誤認識多いなぁ〜』と思い、その上で『やり直したほうがいいかな』と思う場合、ネットオフやブックオフ--古本通販サイト--で探してみるを繰り返しています。それにしても、ものが20世紀に出版された本がほとんどなものですから、めったに出てきません。そこで、次に日本の古本屋や、Amazonで検索。すると割とあるんですよ。でも、お高いのですね。ネットオフ、ブックオフで300円前後になっている本が、その倍か、それ以上、ものによっては、五千円とか、一万円越えなんてのもあったりして、『いや、そこまでして買うべきか?』と自らに問いただしてしまいます。なにしろ、本を紙の束にして、読取が終われば、資源ゴミに出してしまうのですから……。『本が欲しいのではなく、本を読みたいだけなのだから』と、自らに言い聞かせても、やっぱり本をばらすことに、少なからず罪悪感持っちゃっているものですから……。

 まずは、古本サイトで定価よりお安いこと。そして、送料無料ラインを越えるほど、他に読みたい本があれば、それらを併わせて買うを基本にしています。ということで、一回の買いで、5〜8冊ぐらいとどくのです。ですから、ここ2年の間で、またOCRテキストが増えてしまいました (笑)。

 先日も古本サイトから本の入荷のメールが届いていました。配信された時間を数時間過ぎていたので、だめかなぁと思いながら、ちょっとだけ期待して繋いでみると……、運良くまだ在庫がありました。それを買い物かごに入れても、送料無料に届かないので、それから検索ワードを駆使して読みたい本を探して、ようやくその金額を越えたところで、レジ。そして決済。今回の買い物はこれでした。

  1. 創世記機械 (¥770)
  2. 火星の長城(1) レヴェレーション・スペース (¥440)
  3. 楽園の泉 (¥550)
  4. SCARDOWN 軌道上の戦い(2) サイボーグ士官ジェニー・ケイシー (¥220)
  5. ティンカー (¥110)

 探していた本は、一冊目 創世記機械 | James Patrick Hogan | 1981 です。1981年出版の本なので、見つかるなんて、ほんとラッキーでした。ただ、お値段が770円は、定価より低いを満たしていません。でも、なんかいけるような気がして、検索を続けてみます。すると、どんどんヒットしてきます。送料無料にするためじゃなく、ほんとに読みたかった本が四冊もヒットしました。合計2090円。ついているとしか言いようがありません。平均すると、一冊あたり418円。良い買い物ができました。

 届いてすぐやること、それは、本のおもてうら探しです。手触りで表表紙がわかるのは、表紙を開いてすぐ、写真?かもしれないページがあるときぐらいです。だからといって、その本の書名がわかるわけではないので、やっぱりこちらが表表紙だろうと当たりをつけて開いた最初のページをフラットベッド型スキャナの原稿台に乗せることをやります。
スキャンしてOCRで、そこに書名が現れればラッキー!逆に奥付でわかることもあるので、それならそこは本の裏とわかるわけです。ところが、どちらをスキャンしても出てこないことも案外あって、そういうときは、10枚ほどめくって読み取りを試します。小説のストーリーが出てくれば、その内容によって、見当がつくからです。ただ、これでいきなりエンディング。ミステリー小説の犯人逮捕のシーンを読んでしまったということもあるので、注文した小説によっては、試しスキャンのページを安易に選ばないようにしなければなりません。
こういったプレスキャンでうまく本のタイトルがわかれば、その最初のページの左上の角に折り目をつけます。折り方もちゃんとルールがあるんですよ(笑)。その上で、次に、カバーを外して、表表紙にタイトルを点字で打ちます。これができれば、本の分解作業開始です。

 まず、ハードカバー外し。表表紙、背表紙、裏表紙を一枚と扱って、本の本体とを接着している部分……背表紙からベリベリとばかり外します。
次に、本の本体の最初のページから、12枚を数えて綴じ込み部分を接着剤から外していきます。これが、新しい本だと、接着剤が粘り強いために、抵抗すること甚だしいのです。はずそうとする指先の力に徹底的に反抗してくれるものもあって、うっかりすると、破れてしまうこともあるので、新しい本では、ほんと手こずるのです。ところが、さすがに1981年の本は、うれしいほど簡単に外れてくれます。まるで、お菓子のゴーフルを割るかのごとく、パキッ、ペリッといった具合に外れるというより、折れるとしたほうがいいくらい、たやすく外せるのです。
外した12枚を、裁断機に乗せて、紙の幅10cmに合わせて置くと、ちょうど糊付け部分がはみ出してくれるので、後は、裁断レバーを下ろすだけです。
そして、裁断を終わった12枚を紙置き台に表側を下にして置きます。
次は、13枚を数えて外し、裁断です。そしてまた12枚、13枚。これを全てが終わるまで続けます。12枚と13枚を繰り返す理由は、合わせて25枚、つまり50ページをひとかたまりにするため……と言いたいところですが、これは後出しじゃんけんみたいな話。文庫本の紙の厚さで、重ねて無理なくきれいに裁断できる最大枚数がその程度だったというのが事実。ということは、紙が厚ければ一回で裁断できる枚数は反比例して減っていきます。単にそういうわけなのでした(笑)。
ものはどうあれ、25枚の50ページを単位として、作業しています。今回の創世記機械は、25枚の束×7と、9枚の束ができました。

 裁断作業が終わったところで、184枚の紙の裁断線のチェックです。背表紙との接着のための接着剤が、多すぎるというのか、まだしぶとく紙同士を接着していることがあって、それをそのままにしてドキュメントスキャナに通すと、紙詰まりなどのトラブルの原因になります。このあたり丁寧に接着外しをやらなければなりません。
ここまでにかかる時間は、十数分という感じでしょうか。

 ドキュメントスキャナに一度に乗せる紙の枚数は、文庫本なら50枚としています。ただし、季節によって増減ありです。梅雨の時期など、湿度の高い日は、紙が湿ってべたつくというのか、紙離れが悪くなりがちです。重複紙送り……つまり何枚かがまとまってローラーに引かれてしまいがちです。きょうは湿っぽいなと思ったら、部屋を除湿機で除湿するか、晴れるまで待つかどちらかにします。
もう一つの問題は、紙の質です。表面が光沢加工してある紙は、重複紙送りがものすごく起きるのです。湿度に関係なく紙離れが悪いので、やっかいです。何度もパラパラ、パラパラ紙を裁きをやりますこれでうまくいく程度なら良いのですが、にも関わらずだめな本の場合、しかたがないので、一枚ずつスキャナの用紙トレイに乗せては、一枚スキャン。200枚あれば、200回これをやります。手間暇かかりますが、こればかりはどうにもなりません。さいわいにして、今回届いた小説は、どれもスキャナ向きのベストコンディションでした。
創世記機械は、368ページでしたので、50枚ずつが4回でした。

 読取は、解像度400DPI、24ビットフルカラー、両面読みです。きもは、24ビットフルカラーです。なぜなら、ものが古書ですから、紙の変色当たり前。しかもページごとに変色の度合いが異なることも当然ですが、ページの上下左右、様々に変色、汚れなどあってあってありまくりなのです。これをモノクロで撮ると、白地に黒字ならぬ、黒地に黒字の画像が得られてしまうこともあるのです。ですので、基本、フルカラーで画像を取り込むことにしています。もちろん、OCRの認識率を落とさないためにです。

 最初に使うOCRソフトは、e.Typist NEO v.15.0です。
これで、認識したテキストを出力し、さらに取り込んだ画像をtiffで全ページ出力します。

 次に、読取革命Ver.16を起動し、さっきtiffで出力した画像を読み込み、文字認識。そしてテキストファイルを出力します。
そしてさらに、本格読取 5を起動し、同じ手続きをします。
書籍によっては、ABBYY FineReader 15を起動して、テキスト出力も行います。

 合計4つのOCRソフトを使う理由は、認識に得意不得意の個性があるからです。が、ベースは、e.Typist。これには、“自然改行”でテキストを出力してくれる機能があるからです。
自然改行とは、“文書の本当の改行で改行してくれる”ということです。
以下に書籍“創世記機械”の14ページから得られたOCRテキストを引用します。

e.Typist NEO v.15

残る可能性は、高次モードだけが存在し、通常空間には振動成分がまったく存在しない場合である。これから生じる相互作用の点中心は、時空における運動に何らの抵抗も示さず、したがって常に観測可能な最高の速度、つまり光速度で運動する。これらは質量のない素粒子、すなわちおなじみの光子とニュートリノ、それに仮想的な重力量子である。

創世記機械 14ページから

 読取革命Ver.16

 残る可能性は、高次モードだけが存在し、通常空間には振動成分がまったく存在しない場合で

ある。これから生じる相互作用の点中心は、時空における運動に何らの抵抗も示さず、したがっ

て常に観測可能な最高の速度、つまり光速度で運動する。これらは質量のない素粒子、すなわち

おなじみの光子とニュートリノ、それに仮想的な重力量子である。

創世記機械 14ページから

本格読取 5

 残る可能性は、高次モードだけが存在し、通常空間には振動成分がまったく存在しない場合で

ある。これから生じる相互作用の点中心は、時空における運動に何らの抵抗も示さず、したがっ

て常に観測可能な最高の速度、つまり光速度で運動する。これらは質量のない素粒子、すなわち

おなじみの光子とニュートリノ、それに仮想的な重力量子である。

創世記機械 14ページから

ABBYY FineReader 15

nる可?性は・A。モードだけが"在し・.fl常ヤドには振動成分がまったく" 一flしない以八rlで ある。これから生じるIII互作用の占中心は,時;にお:げ動に何らのft抗も示さず?したかっ て富に観測可能な最高の4rtl・つまり二、運動する。?ーれ,は質暈のないr粒子?すなわ・ おなじみの无子とニュ:トリノ・それに仮想的な軍力制子で?る。

創世記機械 14ページから

 ええっと、ABBYY FineReader 15の認識率、ひどいものですよね。まるで読めたものじゃありません。だから、これはダメか!?と言うと、そうでもありません。横書きには強いのです。しかも英語を読ませれば、他3つのOCRから比べるとダントツに良い結果となるのですね。だから、通常縦書き本のOCRには使いません。参考までに出してみたというわけです。

 話を戻しまして、読取革命Ver.16と、本格読取 5は、見かけの開業を忠実に再現してくれています。これはこれで良いときもあるのですけど、小説のような文書スタイルには向かないと思っています。もちろん、e.Typist NEO v.15にも、見かけの開業をまじめにやってくれるモードもあるのです。けど、やっぱり読み物向きではないのではないかなぁと思っているのですね。

 上に引用したOCRテキストですが、たまたまe.Typist NEO v.15での読取は良いページだったのです。ときどき、何の弾みかわからないのですけど、1ページ丸ごと、あるいは1段落がスッポリ抜け落ちてしまうことがあります。原因は、ページの中にイラストや写真などの文書じゃないものが差し込まれていると、そういうことが起きやすいのかもしれないと……、とにかく、その手の抜け落ち、あるいは誤認識文字があったとき、他のOCRテキストを参照すると補填できるケースがあるものですから……というわけです。


遺品整理 2024年 8月28日

 妻の叔父が危篤の連絡が入ったのは、今月初旬。その人は、中卒で就職し、まもなく東京に転勤となり、そのまま東京住まい。果たして愛しい女性がいたのか?いなかったのか?生涯を一人で過ごし、自由気ままなシングルライフをおくり、バブルが崩壊した後の支社を任されるという重圧の中、働き続け、そして職を辞して地元に帰ってきたときには、健康を害していたため、再就職の道を断念して療養生活にシフトしての老後を選んでいたのでした。

 その連絡をもらってすぐの日曜日、妻と訪ねることにしました。行った先は、地元に戻ってから住んでいたはずのアパートではなく、老人保健施設の一室でした。担当ナースさんに話を聞けば、ケアプランは“みとり”とのこと。なるほど、そういうことになっていたのですね。そう思いながら、わたしたちは案内されて部屋に入ります。
およその容態を聞いてから、まず呼吸音を聞きます。そして、手首で脈をとりながら様子をうかがいます。ナースさんからは、どれだけいてもよいとのことでしたので、妻には、叔父さんに声をかけてもらい、わたしは、ポジショニング……、できるだけ安楽な寝姿にしてさしあげて、それから1時間近くそこにいました。昔の歌にあるじゃないですか、そこにいてくれるだけでいい♪って。そう思うのですね。何も言わなくていい。何もしなくていい。ただ、そこにいてくれさえすればいい。そんな感じが良いのだと思うので、そうしたのです。

 その次の日曜に、もう一度訪問……、これがラストチャンスかもしれないので……。ただ、今回は、叔父さんのお世話をしてきた、彼の姪、妻のいとこと近くのファミレスで落ち合うことにしました。いろいろと相談しておきたいことがあるからということです。
わたしは、もちろん妻も気になっていたこと、この5年間の叔父さんの動向。アパートにいたはずの彼が、なぜ今、老健に?をたずねました。すると、やはり健康状態が悪化していたことが語られました。そして、それに付随していろいろな話もありました。
ここに紹介することは、その中のたった一つのことなので、それだけで人柄を判断していただきたくないのですけど……。アパートに戻れない状態となったことがはっきりとしたとき、アパートを引き払わなければなりません。そのときに、彼の私物、家財道具一切を彼女の家の倉庫に運び込んだというのです。たいした量でないと言いますが、まさかスーツケース一つじゃあるまいし、それ相当の金額がかかったらしいこともうかがい知ることができました。
そのようなご苦労があったことなどを聞いて、本来の話題、これからのことを話し合い、三人で気持ちを決めて老健に向かったのです。
事務所で面会の手続きを経て、エレベータで上がり、ナースさん、介護さんたちに挨拶をして叔父さんの部屋に入ります。担当のナースさんには軽くことわってから、前回と同じようにバイタルをちょっとみさせてもらい、のんびり三人で時を過ごしました。
そして退室し、担当職員さんに、きたるべき時のための話をして、駐車場でもう一度いとこさんと確認をして、そして帰宅したのです。

 その夜、亡くなられたとの連絡。翌朝から、そうなったときの手順通り、ことは全てシンプルそのもの、必要最小限の流れで埋葬を執り行う二日間があったのです。

 ここ10年、わたしたち夫婦は、シンプルに生きることを目標として、使わなくなった物を手放すことを繰り返してきました。それによって、地震に強い家になっていたことも今年1月の大きな地震でたしかめることができたと思っています。それについては、2019年のエッセイの使わない物かたづけに載せてあります。

 そのようなわけで、家を軽くすることを繰り返してきていながら、まだ!ほとんど手つかずの場所があるのです、……というかこれを書いている今は、あったのですの過去ですけど……。

 それは、一階のリビング。壁一面を覆うほどの大きさがある作り付けの書棚です。
この部屋は、東と南に、採光のために広く窓を当ててあり、北の壁は、半分以上に物置のための扉をつけてあるのです。そして西の壁には、北の端に換気のための小窓がある以外、それより南側の全面に、床から天井まである書棚をつけてあるのですね。

 これまで、その書棚の半分ほどは手が入っています。でも、まだ半分ほどが、道半ばだったのです。それはなぜなのか?

 書棚のいちばん下の段にある、全36冊の百科事典。40年前のもので、その当時は、たまぁぁぁに開いたのかもしれませんが、少なくとも、ここ30年間、きっと誰にも使われることもなく、ただ“そこにある”だけの存在となっていました。これを全部取り出そうと……
「ったく、なんて重いんだ!」
これが、これまで手つかずだった理由 笑。

その下にある引き戸がついた戸袋。そこには、新婚当時の諸々。新婚旅行パンフ、旅行日程表、飛行機の座席表、宿泊したホテルの領収書、旅先から持ち帰った自分たちへのお土産のなれの果て。などなど、そこに入ってから延々と眠り続けていた、今となってはどうでもいい物ばかりが、いかにも大切であるかのように、相当の空間を占領してあったのです。
“思い出”が、もう一つの理由 笑。

 書棚の最上段には、観音開きの扉があり、それを開けば、わたしの学生時代のノートをはじめとした、紙の束のなれの果て。そして、古ぼけたダンボール箱の中には、壊れたウオークマン、5インチフロッピーディスク、シャーペンなどの筆記用具、ものさし、三角定規などの文房具。
これらは、“記憶”のために使われたのであって、適切な時期を過ぎてしまえば、ごくろーさんでした!となるだけのもの 笑。

 その下の段には、平置きでぎっしり紙の束や雑誌類。今では見る価値も無いものばかりが所狭しとあります。引っ張り出してみれば、昔懐かしい女性アイドルの水着の写真集があったり、そういえばコンサートに行ったときに書いてもらったアイドルのサイン、1970年代のオーディオのカタログや、学校の成績表!
ものがものなだけに、価値の重さより、ずっと大きな質量の塊。そういったものが書棚の一角を図々しく占領していたのでした。
“記録”もまた、半世紀の間、一度も見ることもなければ、今後見ることもなく、今となれば、無用の長物 笑。

 いちおう、妻に見てもらいながらも、ほぼ99%“不要品”と判断し、書籍と紙類は、紐で縛って、昨日、資源ゴミとして出してきました。残りのほんの一部は、次の日曜に、古本屋と、ハードオフに売却しようと……、この手のものは、素性の明らかな業者に持ち込むことにしています。

 (誰にとっても)価値あるものだけを残して、あとはきっちり今のうちに処分!
今のうちから遺品整理。残った者たちによけいな負担をかけないためにも、できなくなる前にしっかりやっておかねば。ねえ、笑。


とある終活 2024年 9月30日

 リビングの書棚を整理……、わずかないる物と、大量ないらない物に分けたという話を上に書きました。これには、後日談があり、整理の手続きは、書棚だけにとどまらず……、というか、むしろこっちの方が先にあったという方が……、という話を書きます。

 婚礼家具。
昭和が終わる頃、わたしは妻と結婚しました。その頃、あたかもそれが常識であるかのような、異常とも言うべき訳の分からない“婚礼儀式”が存在していたのです。
それは、“結納”から始まり、“結婚式”、“結婚披露宴”、“新婚旅行”、そして”婚礼家具”へとつながる、一連の“大出費”、あるいは“無意味な散財”を伴う行事の数々です。

 これらのほとんどは、バブルの崩壊以後、もっと意味ある出費へと見直されたのではないかと思います。そのあたりの変遷について、ここで語るつもりはありませんので、興味がある方は、その手のサイトを探していただければと思います。

 話を戻しまして、わたしもあの頃の常識にあらがうことができずに……。気がついたら、二階の部屋に、わたしの伸張よりも高く、両手を広げたよりずっと幅広い婚礼家具の中心とも言うべき、タンスがどかぁんと運び込まれていたものです。これを、一階へ下ろしたというエッセイを かたづけ 2019年 8月31日 に紹介してあります。ただ、そこに、詳しく書かなかったことが一つあるのです。それは、一竿残した。つまり下ろさなかった……、正しくは下ろせなかったタンスがあったということなのです。
なぜか?それは、階段を下ろすには大きすぎて、無理だったのです。ではなぜ下ろせないものが二階にあったのでしょうか?それは、運送業者さんが、たぶん大の男四人でよってたかってどうにか上げたという話と、クレーンで釣って窓から入れたという話があって、記憶というのは、ほんと、当てにならないものだなぁということなんですね。ともかく、その一竿はわたしと息子の二人では下ろせなかったのでした。そのでかいタンスを今回ついに、とうとう、ようやく……。

 新品だった当時は、『これは一生物だ。孫子の代まで使えるよ』と言われたような気がします。たしかに部屋に運び込まれた当時は、ピカピカの新品。そう信じたものです。しかし、経年変化は、タンスそのものを老化させました。とびらのちょうつがいががたつきもしましたし、板材の表面も薄くはがれる箇所が出てきて、うっかり触ればとげが刺さりそうでもあります。たしかに家具職人によるものかもしれませんが、初戦は昭和の大量消費財の側面もしっかりあって、そのあたりの化けの皮が剥がれてきていたのですね。

 ことは、一本の電話をかけたことから始まりました。
「では、30日の午後1時30分でお願いします」
そうして電話を切ったわたしは、二階に取り残された洋服タンスを床に横たえ、とびらを外すことから始めました。
まず手にしたものは、プラスドライバー。とびらのちょうつがいを留めているネジから外しにかかりました。外した木ネジなどの数は、全部で64本。その他、鏡押さえなどのネジも入れれば、70本近くに……。この作業だけでも1時間ほどかかりました。なぜなら、木ネジが固すぎて回りにくいのです。けっきょく半分近くは、ねじ頭が欠けてしまい、ペンチ、のみ、釘抜きなどを使っての無理矢理引っこ抜きとなったからです。
次に、とびらを外した後でも大きく重いタンス本体。これを自分一人で階段を下ろそうというのですから、やることは、一つだけ。それは、“分解”です。
はじめは、上中下の三つにしようと、洋服タンスの側板の上から三分の一に、ノコギリを当て、水平に切断します。次に同じ側板の下たから三分の一の位置で水平に切断。これと同じ作業を反対の側板と、タンス中央を縦に通る仕切り板にも必要です。そうしようと、タンスを転がして、反対側の側板を上に出し、上下三分の一の所に目印をつけます。でも、『あと合計4回切るのか?』と、思ったとき、『もしかしたら、上下二分の一で、事足りるかも?』と思いたくなって、なぜって、実際あと4回するのと、2回で済むとしたら、やっぱり少ない方がいいよねって……、ノコギリ引きで汗だくの身体が言うのです 笑。
ということで、けっきょく板切りは、その後、上下中央を水平に切ることで済ませちゃったんですよ。
もしかして、手引きノコ?と思われました?ええ、そうなんです。近くのコメリで電ノコを見てきてはいるんですけど、そうめったに使う物でもないだろうし、すっかり手になじんでいる、たぶん20年は使っているノコギリでやったほうがいいかなぁなんですよ 笑。

 背板を上下半分に切り、もともと三分の一に切ってある中央の側板を背板から外せば、切断作業が終わります。その後、切った板のギザギザに養生テープを貼って、この後の取り扱いで誰もけがをしないようにしておきます。
そして、半分になったタンスの上半分を部屋から、階段の上の踊り場に出し、一段ずつ、一歩一歩下りながら、どうにか下ろすことに成功したのでした。
これに味を占めたわたし、下半分もと思ったら、こちらの方が同じサイズなのに、重さがずっと重いのです。『こりゃやばいかも!?』と思いましたが、とにかくやってみてだめなら、上に戻して、さらに切るだけだよと、自分に言い聞かせながら、下から支えながら一段、もう一段と下りたところで、ちょっと傾きを変えたところで、うわっと重さがかかって……。ほんとやばかった。もう少し重かったら、タンスもろともに落ちていたかもしれなかったのですから。
とにかく、どうにかこらえて、一階に下ろしたわたしは、5年前に下ろしておいたタンスの前にそれらを並べて置いたところで、「やったぁぁぁ」と、思わず、歓声を上げてしまったのでした。

 それからの約2週間、5年前に一階に下ろしていたタンス全てのとびらを外すことから始めたのです。全ては、軽量化のためです。個数が増えても、一つ一つが軽くなれば、運び出すときの負担が軽くなりますから。

 9月30日。お昼を食べた後、玄関に一番近い部屋の戸口から廊下まで、床に古いカーペットを、玄関から外へは厚手のダンボールを敷いて、土足で行き来できるようにします。そして、先日真っ二つにしたタンスの片方を抱えながら、ゆっくりと部屋から廊下へ、そして玄関に下りて、外へと運び出したちょうどそのとき、「来たわよ」と、妻の声。
そうです、電話で頼んでいた、市の大型廃棄物回収サービスのトラックが家の前に来たのです。
でも時計は、午後1時6分。『まだのはずだけど……』
内心あせりましたが、トラックから下りてきた方が、「ここで引き取ります」と、わたしがやっとの思い出持って来たタンスをひょいと持って行くのです。とにかく、玄関先に積み重ねなくてよくなったのですから、『ならばバケツリレーならぬ、タンスリレーだよ』と開き直って、一人で玄関まで出せば、トラックから降りてきた屈強そうなおにいさんたちが軽々と持って行ってくれます。
「これ、わざわざ切らなくてもいいのに」
そういう声もありましたが、『わざわざ切らなければ下ろせなかったのだよ』と、心の中で思いながら、一竿ずつ玄関へと運びます。お約束ごとは、市の担当者は家の中には入りません。外に出された物を受け取りますということですから、玄関を挟んで力量の差は歴然です。とにかく洋服たんすは部屋の戸口の高さより高いので、斜めに傾けたり、横にしたり縦にしたり……。上下左右、見えないながらも気配り、力配り、……、そうやって、どうにか一人で玄関口まで運べば、若いお兄さんたち、手慣れた手さばきで、それまでの何倍ものスピードでトラックへ飛ぶように持って行きます。家の中に戻る途中、バキバキバリバリと、今出したタンスが、細かく破砕されていく音が聞こえてくる中、次のタンスを部屋の戸口へと……。にしても部屋の戸口までは、搬送用のキャスターを予めタンスの下に入れて置いたことが、これほど役に立つとは……、このことのために買っておいて良かったぁ。
タンスを一つ残らず出した後、次はこれも予め電話で依頼しておいた、古い机とサイドデスクも……。

 予定していた全部を出してまもなく、出したタンスその他の総重量と、単位重量あたりの金額を記載したものが妻に手渡され、その場で支払って決済完了。二台のトラック……、燃えるゴミを破砕して運ぶトラックと、不燃物を乗せていくトラックに乗ったパワフルなお兄さんたちを見送ったわたしと妻。ほんと、ありがたいサービスだと、しばらくそこに感謝の思いで立っていました。

「終わったぁ」
「終わったわね」
「こんなもんだよ」
「この部屋、こんなに広かったのね」
笑い。

 タンスから出したほとんどの古い衣服は、すでに手放してあるので、もうあのようなでかい箱はいりません。古い衣服は、やっぱり着なかった。5年間着なかったものは、10年経っても着ないし、20年経っても着ない。わたしは、年を経るほど価値があがる、たとえばジーンズみたいなものは持っていないので、基本、何か一着買えば、古くなった一着を手放す。妻もこのルールでいてくれているので、小型の収納箱でことは足りるようになっているのです。

 自分が死んだとき、処分するのに手間暇かかるような物は、できるだけ残さないようにしておくくらいのつもりでいるのです。